会誌第八号
「すっかり日も暮れてしまったね」
そう言って亜門が、メンバーを見まわしながら微笑んだ。
「ひとまず、会議は終了だ」
聖司の言葉に、全員がどこかホッとしたような表情を浮かべる。
「じゃあ、今日は大浴場に行こうか」
亜門の言葉に、全員が顔をあげた。
「奥村くんは行ったことないよね? たぶん、びっくりすると思うよ」
亜門は楽しそうに真浩を見た。
「えっと、よくわかりませんが、連れて行っていただけるならついていきます」
大浴場という言葉から風呂であることは想像できた真浩であるが、びっくりするような風呂とはどのようなものなのか想像できない。ただ、一つ言えることは、その大きさが半端なものではないであろうということだ。
「んじゃ~、大浴場にレッツゴー!」
「ちょっと、待て」
元気の良い拓海の言葉に、つられて立ち上がった真浩を聖司が制する。
「奥村、お前、また忘れているだろう」
そう言った聖司の視線の先には朝からずっと眠っている英の姿があった。
「はあ~……はい」
一つ溜息をついて、昨日と同じように英を起こしにかかる。他のメンバーはそんな真浩と英をおいて、大浴場へ行く準備をするため各々の部屋へ散っていった。
真浩は一人ソファーで眠る英を昨日と同じように声をかけたり、ゆすったりしてなんとか起こそうと試みる。しかし、昨日より英の眠りは深いらしくなかなか起きる気配がない。そうこうしているうちにメンバーがぞろぞろと帰ってきた。
「あっれ~ヒロちゃん。まだがんばってるの~?」
面白そうに笑いながら拓海が近寄ってくる。
「はい、昨日よりよく眠っておられるみたいで……」
心底困った様子で真浩が言うと、拓海はしばし思案した後、ニヤリと笑って言った。
「俺、いいこと思いついちゃったかも~」
不思議そうにしている真浩と、何かを思いついた様子の拓海を、周りのメンバーは黙って見守っている。拓海はニヤニヤ顔を崩さないまま、一条の耳元でつぶやいた。
「ハナ先輩、ヒロちゃん、先輩が起きないと坊主になるって」
拓海がそう言った瞬間、今まで固く閉ざされていた英の瞼が勢いよく開いた。
「イヤーーーーーーー坊主はダメーーーーーーー」
英はそう叫ぶと、目にもとまらぬ速さでソファーから起き上がり、真浩の突進するように抱きついた。
「グエッ」
「ダメダメ! ダメだよ! 坊主なんてかわいくないよー!」
昨日以上の力で抱きしめられた真浩は、本格的に命の危機を感じ英の腕の中でもがいた。
「あ、あの! 俺! 坊主にはなりませんから!」
真浩の言葉に英の動きが止まり、真浩をまじまじと見つめた。
「ホント?」
「はい、本当です」
「よかった~」
心底安心したといった様子で英はやっと真浩から離れた。その様子を見ていた聖司が真浩と英に声をかける。
「お前たち、起きたなら早く準備をしろ。置いていくぞ」
「はい」
「はーい」
真浩と英は返事をすると、部屋に戻り着替えを持ってゲストルームに集まった。
「それでは、行くとするか」
聖司の言葉を合図に全員で大浴場に向かった。
大浴場は寮から少し離れたところに建てられている。
「うちの寮、浴場が遠いってことが唯一の欠点だよね」
脱衣場で、亜門が一人ごとのようにつぶやいた。
「だが、寮内にここまでの入浴施設を作るのは無理だ。遠くともこのぐらいの規模でなければ、風呂に入った気がしないだろう」
聖司が亜門のつぶやきにごく自然な様子で言葉を返す。
二人のやりとりを真浩は横で聞いていたが、聖司のこのくらいの規模発言にはあえて何も言わなかった。大浴場は脱衣場だけで既に、一般的な学校の教室二つ分くらいの大きさがある。浴室を含めればその大きさは計り知れない。それをこのぐらいと、あたかも妥協したかのような表現をする聖司の感覚に、真浩はややあきらめに似た気持ちになった。
おそらく真浩の価値観はここでは通用しないのであろう。
脱衣を済ませ、全員で浴室に向かう。そこでふと、真浩は見なれない人物が混じっていることに気がついた。じっくりその人物を見ると、それはカツラや女性物の制服を脱いだヒカリであることがわかった。
「……」
「っ! 何よ」
ジロリと睨まれ、真浩はとっさに首を横に振る。
「いえ、珍しいお姿だなと……」
「あのね、あたしはれっきとした男なの。あの恰好は、似合うからしてるだけ」
少しイライラとした様子でヒカリがそっぽを向いた。
「よ、よく、お似合いだと思います」
何と答えてよいのかわからず一応ヒカリの容姿を褒めた真浩であったが、ヒカリから答えが返ってくることはなかった。
真浩がヒカリの様子をうかがっていると、ガラリと扉の開く音がした。開かれた扉からは、浴槽からあがる湯気が漏れ出てくる。
「うわーー……」
扉の向こうの景色に、真浩は思わず声を漏らした。それほどに浴室は広く美しい作りになっていた。
真浩は、一歩ずつ進みながら、周りの様子を観察する。金色の蛇口やシャワーヘット、二十五メートルプールが余裕で収まってしまいそうな大きさの浴槽。極めつけには、テレビ番組の高級ホテルの特集などでよく目にする金色のライオンまで備え付けられている。
白一色に統一された清潔感のある空間に、真浩はただただ驚くばかりであった。
「おい!いつまでキョロキョロしているつもりだ! 早く入ってこい」
聖司に呼ばれて浴槽を見ると、既に他のメンバーが湯に浸かっているのが見えた。真浩はぼんやりとしていた思考を覚醒させ、急いで軽くシャワーを浴びた後、聖司の横に並んだ。
「どうだ? 驚いたか?」
心なしか、聖司が楽しそうに真浩に問いかける。聖司にとって真浩の反応は興味深いものらしい。
「はい。みなさんよくここに来るんですか?」
「夏の間はあまり来ないが、冬はやはり風呂の方がいいからな。まあ、個人の好みにもよるがな」
「そうなんですか。会長はお風呂お好きなんですか?」
機嫌の好さそうな聖司の様子に、真浩は僅かな確信をもって聞いてみた。案の定、笑顔の聖司がうなずいた。
「ああ。ちまちまと部屋でシャワーを浴びるより、こちらに来た方が絵にもなるだろ?」
聖司から暗に自らの華やかさをアピールされたのだと気づいた真浩は、曖昧な笑顔でそれに応じ、さりげなく周りで湯に浸かっているメンバーに視線を向けた。
一通り生徒会の面々を観察していた真浩は、全員が細いチェーンを首にかけていることに気づいた。それが何なのか確認しようと真浩が目をこらした時、横から聖司の声がかかった。
「やけにじっくり見ているな。そちらの気があるのか?」
おもむろにそう言った聖司に、一瞬真浩は理解できず首をひねった。しかし、次の瞬間言葉の意味を理解して、顔を真っ赤にしながら反論する。
「な! ち、違いますよ!」
「焦るとは怪しいな」
ニヤニヤと笑う聖司に、真浩が反論する。
「違います! みなさんの首にかかってるチェーンを見ていたんです!」
真浩の言葉に聖司は少し驚いたような表情をした後、自分の首にかかっているペンダントを手にとった。
「これのことか?」
聖司が手にしているペンダントは、細いチェーンに繊細な龍の細工が施されたが飾りが通されているものだ。
「これは、四龍会の一員としての誇りだ。俺、亜門、紅、英はそれぞれ黒、赤、青、白の石で造られたペンダントを肌身離さず持っている」
「じゃあ、拓海先輩たちが持っているのはなぜですか?」
「あいつらが雛だからだ。この学園の師弟制度は辰が雛にペンダントを贈ることで成立する。デザインは、銀の龍を基盤にしていればどのようなものでも構わない。拓海たちは玉雛だからな、特別に龍の瞳がそれぞれの辰が身につけているペンダントと同じ色をしている。例えば、拓海なら飾り自体の色は銀色だが、その瞳は青になる」
真浩はこれまで聞いた話と合わせて、学園の師弟制度をなんとなく理解できたような気がした。
「生徒会の役員以外の辰はペンダントを持っていないんですか?」
「基本はな。中には卒業した辰に敬意を表して持っている者もいるが。さて、そろそろあがるか」
説明が終わると聖司は真浩を一人残し、さっさと湯からあがり歩いていってしまった。残された真浩は、学園の師弟制度について考えながら湯船に深く身を沈めた。
髪を洗い終り、聖司は一つ溜息をついて目を開けた。白い湯気の立ちこめる大浴場は、視界が悪く見通しが利かない。ふと、なんとなく嫌な予感がして周りを見回した。若干近視のきらいがある聖司だが、周りのメンバーをなんとなく判別することはできる。
亜門、紅、ヒカリ、祥一郎。先ほどまで湯に浸かっていた、英と拓海も各々湯からあがって髪や体を洗っている。特に変わった様子は見られない。その場にいるメンバーを確認し、視線を戻して蛇口に手をのばしたところではたと気づいた。そういえば、最近生徒会に入った一年生の姿を見なかった。
急いで立ちあがった聖司は、隣の亜門が怪訝そうな視線を自分に向けていることにかまわず浴槽に近づいた。そこには聖司の予想通り、真っ赤な顔をしながら仰向けで浴槽に浮かんでいる真浩の姿があった。真浩の体は全て湯に浸かっており、今にも顔まで沈んでしまいそうである。その様子を見て、聖司は急いで浴槽に入った。
「おい! 奥村!」
聖司の焦った声に、その場にいたメンバーが何事かと視線を上げる。
「うっわ、どしたのヒロちゃん!」
聖司に抱きかかえられた真浩を見て拓海が驚きの声を上げる。ぐったりしている真浩のようすを見て、亜門が足早に近づいてきた。
「うん、お湯に浸かりすぎちゃったみたいだね。きっとのぼせちゃったんだよ」
湿った真浩の髪をかきあげながら亜門が聖司に視線を向けた。
「そうか。俺は、こいつを部屋に連れていく」
「僕も一緒に行こうか?」
「いや、俺一人で大丈夫だ」
「そっか。冷たいタオルとかで冷やしてあげるといいよ」
「わかった」
短く返事をすると、聖司は亜門にドアを開けてもらい、真浩を抱えたまま浴室を後にした。
「あたし、聖司先輩があんなに慌ててるの、初めて見た……」
聖司が出て行ったドアを見ながら、ヒカリがぽつりとつぶやいた言葉は、浴室の湯気に紛れて霧散した。
真浩が目を開くと、予想に反して昨日からお世話になっている部屋の景色が跳びこんできた。ゆっくりと瞬きをして気だるい体を起こす。ちょうど同じタイミングで、部屋の扉が開かれる音がした。
「やっと目が覚めたか」
安堵と呆れが混ざったような表情で、聖司は真浩の寝ているベッドに近づいた。
「あの、俺、風呂に入ってたはずじゃ」
真浩の記憶では、大浴場で湯に浸かっていたはずである。
「……お前、のぼせて風呂で浮いていたんだよ」
「え……」
確かに、真浩には湯に浸かっていた途中からの記憶がない。
「お前の姿が見えないから、嫌な予感がして湯船をのぞいたら今にも沈みそうなお前が見えた。全く……危うく寮の風呂で死人が出るところだった」
眉間のしわを深くしながら聖司が真浩を見る。その視線に真浩は身を縮めた。
「えー……と……お騒がせしました」
「全くだ」
聖司が呆れたように溜息をつく。自分の失態に真浩は穴があったら入って、更に蓋を閉めたい気持ちになった。
「あの、つかぬことをお聞きしますが、ここまではどなたが……」
現在真浩はTシャツと短パン姿で、額には冷却シートが貼られている。ここまで、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた人物がいるのなら、お礼を言わなければいけない。真浩は聞き慣れない寮の職員の名前が出てくるものと予想した……のだが。
「俺だ」
「……え?」
「俺がお前をここに連れてきた」
「え……職員の方では……」
「しつこいやつだな! 俺がお前に服を着せて、ここまで連れてきた! 亜門が冷やせというからこうやって世話をしてやっているところだ! 悪いか!」
聖司は怒ったようにまくしたてると、そっぽを向いてしまった。
そんな聖司の様子を真浩は唖然としながら見ていた。この常に皮肉な笑みを浮かべている生徒会長が、自分のことを気にかけるなど信じられなかった。しばらく言葉を失っていた真浩だが、はっと意識を戻して聖司に向き合った。
「あの、何やらお世話になったようで……」
「……」
「ありがとうございました」
真浩の言葉には答えないまま、聖司は手に持っていたミネラルウォーターを差し出した。
「あ、すみません」
真浩は、差し出されたそれをそっと受け取った。
「……今日は、それを飲んで休め」
それだけ言い残すと、聖司は足早に部屋の扉に向かった。
真浩はミネラルウォーターに視線を向け、再度聖司の背中に感謝を伝えた。
「会長、本当にありがとうございました。水、いただきます」
真浩の言葉にピタリと歩みを止めた聖司であったが、振り返ることなく「寝ろ」とだけ残して部屋を出て行った。
残された真浩はミネラルウォーターに口をつけた。冷たい水が喉を流れていく感覚は心地よい。飲み終わったペットボトルを枕元に置き、真浩は蒲団に包まった。蒲団の中でまどろみながら、真浩は御門聖司という人物について考えていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次話から学園に話を戻す予定ですが、連日の多忙さにより思うように執筆が進んでおりません。
書け次第投稿させていただこうと思いますのでよろしくお願いします。