九の巻〜『変動の始まり』
この年の、冬に事件が起きた。その日は今年一番の寒さ、ともいえる朝であった。
城の中は、慌ただしく動いていた。国一番の医者が呼ばれ、皆、悲壮な顔をして祈ることしか出来なかった。至る所で涙をすすり、嗚咽のような声が漏れていた。
倒れたのは、茂助達の主君、海東資長その人だ。
朝、廁に行った時に廁の中で『ドタッ!!』と音がしたため、近従が見ると倒れこんでいたという。医者が手首を握り、目を閉じ慎重に脈を探っている。周りを囲むように皆が、その一挙手一投足に息を殺し、食い入るように見ていた。
やがて医者が目を開き、資長の目を確認していた。そして、先程まで握っていた手をゆっくりと布団の中に戻すと『残念ながら…。』と首を横に振った。
一瞬の沈黙のあと、膝を落とし、激しく号泣する者。この現実を信じれず。唖然としたまま動けぬ者、城の中は騒がしく一様に悲観に暮れた。夕刻、この国のすべての禄を持つ侍に登城が命ぜられた。茂助にも、『急ぎ登城せよとの、ご命令です』と使者がやってきた。
雪がちらつく中、茂助は笠を被り、蓑に身を包み急ぎ城に向かっていた。
『くぅ〜寒いの〜。
この歳に、この寒さは厳しいの〜まったく、何があったんじゃ!』などと、ぶつくさ言いながもやっと城に着いた。中間の者が『お早く、大広間へ!』と言いうと、去っていった。みな、落ち着かない様子だ。『何事だぁ?』といつものように、のんびりと茂助は、大広間に向かった。
大広間には、すでに多くの侍が、ごった返していた。外の寒さを忘れるくらいの熱気が充満していた。
侍達は『殿が亡くなられたらし』、『これから当家はどうなるんじゃ』、『近従の二人が殉死したらしいぞ』、などと、さまざまな声が飛び交い騒がしく話し合っている。
『はっ?殿が亡くなられた?』茂助は、初めて聞く話しに困惑した。
辺りを見回すと、遠くに真柄の姿を見つけ。駆け寄っていった。
『おいおい!幸盛』と肩を叩いた。
『おおっ親父殿。』真柄は珍しく強張った表情をしていた。
『殿が亡くなられたとは本当か?』茂助が聞くと
『どうやら本当らしいですぞ…。』と言うと、唇を噛み締めていた。 特に、何も話すことはなくとにかく待ち続けた。
『静まれ!皆静まらぬか!』と言いながら、広間の奥から家老であり殿の嫡男、珠々丸様の守役の水野忠左衛門が出てきた。
その後ろから、殿の奥方の凪の方が珠々丸の手を引いて現われた。
皆、頭を下げ騒がしかった、大広間が一瞬にして静まりかえった。
凪の方は、珠々丸を従えたまま、皆に語り始めた。
『殿は今朝、倒れられそのまま亡くなられた。卒中であったそうだ。戦に明け暮れ、病魔に気付かなかったのやも知れぬ。』
所々で啜り泣く声が聞こえて来る。茂助の前に座る真柄の肩が震えていた。真柄は、亡き殿に拾われ侍大将にまで取り立ててくれた大恩ある方だからだ。
凪の方は、気丈にも表情を変える事は無かった。
『今日からは、この珠々丸が当主である。
皆、変わらぬ奉公を願う。』
『はっ!!!』皆の声が同調し、静かだった城内に響いた。
しかし、珠々丸は歳は未だ十歳、集った侍達の不安の色は消えなかった。
次に凪の方に代わって、水野が話を始めた。『殿が亡くなってすぐに殿の近従の佃、山岸の両名が殉死をした。両名の忠誠心は、武士として手本とすべき事なれど、先程の奥方様の言葉どうり珠々様の為に働いてもらいたい。殿も必ずそう言われるはずだ。よってこれからの殉死を禁じることを、奥方様や我ら家老から、皆々に申し付ける。
また、この事実が他家に伝わることは時間の問題であろう。 幸い、今は冬街道は雪で塞がれる為に、春の雪解けまでは安泰であろう。しかし、北の岡上をはじめ、東には柿崎、南の大国の木之下までが、いつ牙を向き襲い掛かかって来るやもしれん。海東家の団結に一片のほころびを作らぬ様に、力を一にし団結してもらいたい。某からは以上である。』
皆、ため息をつき不安ばかりが頭をよぎった。
大きな戦の予感が、鈍感な茂助にも感じる事ができた。葬儀は、すこしでも他家に知られることが遅れるよう、出来るだけ少数の人間で密葬として静かに執り行われた。寒空のなか、大きな位牌を持つ珠々丸の姿が参列した者の涙を誘っていた。