八の巻〜『親父様』
それから数年、何度も戦は起きた。 しかし、大きな戦は無く比較的穏やかな日々が続いていた。
『組頭様!!精が出ますな!』畑を耕す茂助を見つけ権左が声をかけた。
『その言い方は止めろと言ってるだろ権左!』
茂助は、荷駄部隊の組頭になっていた。
出世と言えば聞こえはいいが、元組頭である山崎が病になり、荷駄部隊の主な者は農民であったため、その人望の厚い茂助が抜擢されたのである。まさに五十を過ぎてからの出世である。
『父上!!』真柄の声である。『お前もその呼び方は止めろ!』
真柄は茂助との出来事から、人が変わったような朗らかな男になり、また、戦の時は先駆けとして、戦功を挙げ続け今では、侍大将にまで出世した。まわりの国の者からは『鬼真柄』と恐れられていた。
そんな真柄はいつしか、茂助の事を、父のように慕っていた。天涯孤独という彼は、時にふざけて茂助のことを『父上』『親父』と呼んでいた。
茂助には妻に先立たれ、子供にも恵まれなかったため『父上』とは、初めて言われ言葉だ。恥ずかしかったが、決して悪い気分ではなかった。
『今日はどうした?おふう殿も一緒か。』
おふう。とは、昨年、祝言を挙げた真柄の奥方である。田尻という組頭の次女で、おとなしく慎ましい女であった。
『実は、ふうに子が出来ましてなぁ。親父殿と飲もうと思いまして。』二人とも少し頬を赤く染め、照れていた。
『そりゃ、あめでたい!』茂助は自分の事ように喜んだ。『しかしなぁ、うちには、何もないぞ。』
真柄『大丈夫!私が買ってまいりました。』真柄は、酒や魚を取出し『今日は、親父殿の料理が食べたくて、これで足りますかな?』と続けた。
『ハハハ!こりゃ参ったなぁ、よし任せておけ!』茂助は腕を捲り、さっそく調理を始めた。『何かお手伝いを…』おふうが、そっと寄り話し掛けると。
『よい。よい。座っていてくだされ!今日はお客さまゆえ。』そうやって両手を振り、腰を低く言う茂助におふうは、思わず笑った。それを見ていた真柄は『相変わらずだの〜親父様は飯の事になると、誰にも触らせないのだから。』
しばらくして、いい香が漂い始めた。『今日は何を作っているんだ?』真柄は我慢出来ず、作る茂助を眺めるように言った。『いま少しだ、待っとれ!』茂助は左右に慌ただしく動いている。
『ほれ!出来たぞ!自慢の茂助鍋じゃ!今日は寒いでな』さらに、魚の煮付けや漬物を『こんな料理しか出来んがの。』と茂助が照れ臭そうに料理を並べていった。すっかり辺りも暗くなり宴が始まった。
『うまい!』真柄が、膝を叩き『おふうでは、こうはいかんな』と言うと、おふうが真柄の足をつねり『私だって出来まする!』と顔を膨らませた。
顔を痛みで歪めた真柄が『わかっておるよ、冗談じゃ、冗談!なぁ、許せ。』と謝っている。『ガハハハ!すっかり、尻に引かれてるな。鬼の真柄も、勝てぬものがあったか!ハハハ。ワシの昔の頃と同じじゃ!』茂助が、微笑まそうに笑っていた。
『なんじゃ、皆でいじめるな。』真柄はやけになったように、酒を一気に飲み干した。
『楽しそうじゃの〜?』匂いに釣られたのか、羨ましそうに権左が家に入ってきた。『あっ!真柄様!奥方様も!今日はどうしたんじゃ』
『ワシにも子が出来てな、茂助様に祝ってもらっていたのだ』真柄が言うと
『本当か!俺も誘ってくれよ!水臭いなぁ…。そうだ!ちょっと待ってくれ!』すぐに権左は、どこかに向かって茂助の家を出ていった。
何をするつもりなんだ?と考えていると、家の外から太鼓や笛の音が聞こえてきた。
権左が仲間を連れ戻ってきた。『俺たちゃ、金がないからさ、金掛かるものは出来ないけど…。代わりに、これを俺達の気持ちだと思って聞いてくだされ。』
権左が言うと、一斉に太鼓や笛の音が流れ出し、部屋一杯に溢れだした。そして身分などの壁を越え、人との触れ合いの中から生まれる暖かさがつつんでいた。
『親父様すまんが、そろそろ私達は帰らなければ。』真柄は席を立った。『何だ、まだよいではないか?』少し微酔いになりながら、茂助は呼び止めた。
『実は、北の国境の砦を預かることになりまして、あす発たねばならんのです。親父殿とは、会いずらくなりますなぁ…。』哀しげな表情の真柄に『何を言っとる!いつだって会える。それにしても、大出世ではないか!子も生まれるし幸せ者が!』寂しそうな真柄の表情を見て、笑顔で茂助は勇気付けて『がんばれ!』と尻を叩いた。
茂助達は、皆で真柄を見送った。丁寧に頭を下げ、去っていく二人の姿は、あっという間に暗闇に消えていった。手にもった提灯の明かりが、ぼんやりと光っている。今日に限って、月も星も出てはおらず、辺りは何も見えなかったが、茂助は提灯の明かりが、小さく見えなくなるまで目で追い続けた。
『親が子供を送り出す時は、こういう気持ちなのかなぁ』
初めて感じた感覚だった。茂助の見つめる暗闇が、滲んで見えてきた。
『茂助様、何してるんだい?まだ酒もあるぜ!飲み直そうや』権左が酔っ払って声をかけた。
『よし!飲もう!』茂助は赤くなった目を、権左達に悟られまいと必死に明るく振る舞った。
茂助は夜風がいつもより冷たく感じた。茂助は、酒を飲むとすぐに寝てしまうほど、弱かった。だがこの夜だけは、なぜか酔うことが出来なかった。