七の巻〜『茂助と真柄左馬ノ介幸盛。』
『ぎゃははは!』暗い空気の陣中に何人もの笑い声が聞こえてきた。
一人の男を中心に、人だかりが出来ている。
『また、茂助かぁ。』周りに居た者は呆れ顔でそう言った。
その男は尻に、焚き火の炭で尻に顔を書き滑稽に踊っている。
周りの人々は戦であるのも忘れ笑い転げていた。
すると、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら小太りの男が走ってきた。茂助の組頭山崎弐衛門である。『ええ加減にせぇ、茂助!いい年をして何してるか!早く具足を付けろ!』
すごい剣幕で怒っている。茂助は驚いた顔をして、
『これはこれは山崎様、皆が暗い顔してたもんで。元気出させようと…すいません。』照れくさそうに、着物を着はじめた。
その姿にまた、皆の笑いを誘っていた。
『皆も静まれ!明日には戦だぞ、しっかり休め!』そう言うと、山崎はぶつぶつと文句を言いながら帰っていった。『まいったなぁ、またやってしまった。』と頭を掻いていた。
髪に白いものが混ざりはじめた『茂助』という四十過ぎの男、本名『菅沼茂助直隆』見かけによらず彼は、代々続く、武士の家系の男である。
彼は荷駄部隊という、戦の時に米や食料などを運ぶ部隊であった。
農民達には、その腰の低さや武士の身分を少しも鼻に掛けない姿から『茂助様、茂助様』と人気があった。
一方で同僚の武士などからは、『あれでも武士かと。』蔑まれ、陰口を言うものも少なくなかった。
また、茂助が戦場で作る料理が『うまい』と評判であることから、同僚の間では『米炊き茂助』と呼ばれていた。
今回の戦は隣接する。岡上家との戦だった。先代の頃からの因縁があった一族だ。最近では、この犬猿の仲の両家は秋頃になると毎年、小競り合いが起きていた。
今年は、いつになく規模の大きな戦になり。
日にちも流れるように速く過ぎていた。泥沼化した戦に、『まだまだこれからよ。
』と指揮する武将達は意気が揚がっていたが、戦う兵士達は両家とも疲れ切っていた。
数日後『明日、国に帰る。』と組頭の山崎から、言いわたされた。その夜皆、一応に安堵した顔を浮かべ、茂助作った雑炊を食べていた。『やっぱり茂助様の雑炊は一番だの〜戦が終わると、これが食べれなくなる。さみしいの〜』権左という、茂助と同じ村から来ている若者が、椀を持ち名残惜しそうに言った。
『何を言ってる。戦となると震えとるくせに。』茂助に言われ、皆に『ハハハ、違げぇね〜』と笑われ権左は『そんなことはない!』と、ふてくされて違う方向に体を向けて、雑炊をかき込んでいた。
ススキや草が風に、たなびいて擦れる音が静かに流れていた。
『うわっ!』権左が椀を落とし、一点を指差したまま身を震わせていた。
指の先には、一人の男が血塗れになりながら、立っていた。皆、慌てて刀や槍を手に取りった。皆、逃げ腰になりながらも、一塊になり刀や槍を向けたが、不意の事態に動揺していた。
その男の兜や鎧が所々、損傷し、その姿からは、この戦で激しく働いた証に見えた。
なおかつ、その男の勇猛さが体から滲み出ていた。
一同が怯えるように男を警戒していた。
すると、男が口を開いた『海東家の御家中か…?』
茂助が『そうだが…。そこ元は?』と声を震わせながら言い返した。 男は『ワシも海東の者だ。真柄と申す。』
真柄は、大きく息を吐くと、その場で座り込んだ。
『あれが噂の真柄かぁ、恐ろしいのう。』皆が話すように、最近、真柄というやたらに強い男が流れてきて仕官したらしい。
噂によると、すごい癇癪持ちで、前の仕官先では些細なことで人を斬って出奔したとか。噂は噂を呼び、彼は何とも浮いた存在だった。 茂助は、ためらわず真柄に近づいていった。権左は『茂助様、やめといたほうがいい。』と引き止めたが、茂助はどんどんと進んで真柄の前に腰を下ろした。
『ご苦労さんだったの。傷は大丈夫か?』
真柄は『返り血だ…。』と欝陶しそうに、これが
「米炊き」
と言われる茂助かとしみじみと見ながら言葉を返した。
真柄は、この国での戦の手緩さに頭に来ていた。毎回、意思表示のような小競り合いの戦を繰り返し、この戦も今一押しというところで撤退だ。自分が命を懸け戦うのが、無意味に感じていたからだ。
すると、茂助が真柄の目の前に、雑炊の入った椀が出された。『まぁ、命があって何よりだ。今日の雑炊は特別だぞ。そこの山に、茸がたくさん生えていてな、うまいぞ。』
真柄に手渡そうとしたときに、真柄は『いらぬ!!』と椀を茂助の手から、叩き落とした。
茂助の顔が一変した。『バシッ!』茂助は真柄を殴り付けた。遠巻きに見ていた、権左達も今まで見た事ない茂助を黙って見守ることしかできなかった。
『この米はなぁ、百姓達がどんな思いで作ったかわかっとるのか!!百姓達は我ら侍の為に、こうして戦にも出て、米まで与えてくれているのだ!』と怒鳴っていた。
真柄は、あの噂に聞く茂助との違いに唖然とし、何も出来なかった。
茂助は椀を拾い上げ、今一度、雑炊を真柄のもとに差出し、『おかわりは出来ぬぞ』と最初の優しい顔に戻っていた。そして、『兜を素手で殴っちゃ痛ぇよなぁ!』っと、心配そうに見守る場所に帰っていった。
真柄は、何故かはわからないが無性に、身勝手な自分が恥ずかしくなり、情けなくなった。
ただ、体に入る雑炊の温もりが、人の暖かさのように包み、少し優しくなれた気がした。
しかし、近くで談笑し、笑いの耐えない茂助達が、すごく遠くの存在に感じていた。
真柄が椀を返しに立ち上がり、茂助のもとにゆっくりと歩み寄った。
どうやって声を掛けていいかわからない真柄に、茂助の横に座っていた権左が気付き、茂助の肩を叩いた。『どうだい?うまかったろう。』茂助が明るく問い掛けると、真柄は『さっきはすまなかった…。うまかった。それでは…。』
椀を渡し離れようとする、真柄に茂助は『こっちに来て、火にでも当たりな。今夜は冷えるぞ。』と茂助は立ち上がり、真柄の腕をとり輪のなかに引き込んだ。さっきの空気とは違って、すっかり、何を話していいかわからない雰囲気になってしまった。
『しょうがないなぁ』と茂助は懐から、手ぬぐいを出し顔に巻き踊りはじめた。『待ってました!』と権左が合いの手を入れ始めた。くすくすと小さな笑い声が起こりはじめ、徐々に大きな笑い声に変わっていった。
そして、今日はその笑い声の中に、一際大きな声が交じっていた。