参の巻〜『信じれる者』
孫一は、何か思い付いたのか、『昼まで待ってくれ、必ず金を作り持ってくる。』と言うではないか。
店主は、何か悪事を働くのではと『早まっちゃいけないよ、御代は諦めていたからさ。』と態度を柔らかくして説き伏せようとしたが、
孫一は『これでも武士だ、ワシは大阪の役では…』
店主『それは、さんざん昨日聞きましたよ。まったく。』
孫一は、少し恥ずかしそうに頬を染めた。『とにかく!昼までには届けるから。』と孫一は、しつこく言い続けていたので、
店主は『わかった。わかった。ただ、変な事するじゃないぞ!』やれやれと、店主は折れた。
『信じてくれるんだな!』孫一が言うと。
『あぁ、信じてやるよ。早く行かないと、昼になっちまうぞ!』
『それもそうだ!急がねばな!』
と、なぜか嬉しそうに孫一は店を飛び出していった。
『変な侍だ。』と店主は、これまでよく見てきた、横柄な姿や気位の高い態度の浪人とは、まるで違った孫一を見て
『あんな侍もいるんだなぁ』と呟いた。
日頃、浪人達の態度を見ていた店主は、浪人達を毛嫌いしていた。
しかし、孫一のその風貌からは考えられない腰の低さや素直さに、自然と笑みがこぼれた。
どういうわけか店主は、この孫一という男を信じたくなった。
だが昼が過ぎても、孫一はやって来なかった。
店主は『仕方がない、信じた私が馬鹿だったか…。』店主は、夜の店の準備に追われていた。
とうとう夜になった。店に明かりが灯り、賑やかな客の声が、店の周りまで明るくしていた。
店主が、昨日からの出来事をの話を常連の客にしていた。
すると、『そんな男、構わないほうがよかったんだ。すぐに、代官所に届けりゃよかったんだ!』と言われてしまった。
店主は苦笑いを浮かべるしかなかった。
『まったくだよ!うちの人は、人が良すぎてねぇ。あたしが居ないと駄目だねぇ』昨日は居なかった、店主の妻が不機嫌そうに、店の片付けをしながら。言っている。
『わかった!奥さんそこに惚れたんだ!ガハハ。』客が楽しそうに言うと。妻は『何言ってるんだい!』と少し照れながら、忙しそうに手を動かしていた。
しばらくして、ドタドタっと外から大きな足音が近づいてきた。
『ガラガラ、バタン!!』引き戸を勢い良く開けた音に、客達が会話が止まり戸の方を、何事かとばかりに一斉に見た。
『はぁはぁ、はぁ。ふぅ〜』息を切らしながら、孫一がやって来た。
髪を振り乱して、汗を体中にかいた姿に皆、息を呑んだ。
孫一は、店主の前に歩み寄ると
『おっ…遅れてすまなかった…。この街には…質屋が無くてよ…。隣の街まで行ってたら、遅れちまった!』息が切れ、言葉を詰まらせながら言った。
孫一は、懐から巾着を取り出し『親父!これで足りるか?』と、巾着ごと渡した。
店主は、巾着を開き覗き込むと
『ああ。これなら足りるな!』
店主は孫一が戻った事で、得意げな顔をしていた。
しかし、孫一がどうやって金を作ったか疑問があった。
『あんた、さっき質屋って言っていたが、何を売ったんだい?そんな売れるものなんかあったのか?』
孫一は、
『もう戦はなさそうだしなぁ、これだよ』と綺麗に漆の細工が施された鞘を握っていた。
店主『まさか、刀をかい?』
孫一『まぁ、しょうがない竹みつ(中身が竹で出来た刀)でも何とかなるだろう。じゃあ、ご馳走さん!』と言うと、足早に帰っていった。
『なんだいありゃ、化け物みたいな男だなぁ』客が騒ついていた。
店主は、孫一から渡された銭の入った巾着を開けて『かわいそうになぁ』と呟いた。
客『何がだい?』
店主『いやなぁ、いくら安物の刀売ったって、もう少し、金にはなるもんだ。あの侍は見かけによらず、素直でやさしいから、騙されちまったんだなぁ…。』
常連の親父は『戦国の世で、すさんだ人間は多いからなぁ、正直者は損するだけだよなぁ』と真面目な顔をしている。
店主『戦国の世には、あの侍も、さぞかし苦労したろうに…。』
『…。』店に居合わせた者は、戦国が終わった今でも戦国の考えでしか、人を見る事が出来なくなっていた。
そんな自分を、孫一に気付かされたような気がした。久しぶりに静かな夜になっていた。
孫一は、特に行き先に当ては無かった。
夜だったが、不思議と足取りは早く、また軽かった。
それは、久しぶりに人に信じてもらえたからである。孫一は、今まで人を信じる事で信頼を得ようとしていた。
だが、そうした孫一は人に利用され、騙されることが多かった。
昨日、店で金が払えなかったのも、道すがらに知り合った男に
『そなた、当藩に仕えぬか?
その体なら、さぞかし戦では働いたのだろうな?
ただ、その為には金がいるんだ。
悪いようにはせんから、どうだろうか?』と言われた。
なんでも、この辺りを治める戸田藩の者だという。
孫一は、その身なりを見ても、疑い用が無いと思い、金を渡したのだった。
しかし、待てど暮らせど、それから男は現われなかった。
痺れを切らした孫一は、城を尋ねたが『当家は、新たに仕官する者なぞ、探してはおらん!』と追い返されてしまった。
まんまと男に、渡した金を全額持ち逃げされていたからである。
このように孫一は、幾度も騙されてきた。
『負け三條』と呼ばれた訳も、戦況が悪い状況では、侍達の中では、逃げる者、寝返る者も多かった。
それがまた、戦国の生き方でもあった。
だが孫一は、どんな状態でも、義理堅く最後まで戦い続けていた。よって結局は負け戦である。
このような経験や不遇の中でも、孫一自身は変わることが無かった。正確に言うと、変えることが出来なかった。
孫一は、とある国の名門の武家の出であった。
三人兄弟の末の子で、出来の悪かった孫一は、幼い頃から兄達に比べられ疎まれていた。
八つの頃に養子に出されたが、その家でも、実家で疎まれていたせいか、孫一は伏し目がちであった。
しばらくしすると、
『協調性に欠ける男子だ。これでは将来が不安だ。』と言われ、家に戻される始末であった。
そんな時に孫一の祖母が、『孫一。人はのぉ、人の繋がり無しには生きては行けないのだ。どんな時でも、人を信じなさい。人を信じれる者は一番偉いのだよ。
これなら、孫一も出来るじゃろう?』
いじける孫一に、やさしく言い聞かせた。
唯一、この祖母が味方になってくれた。
孫一が、十五の時に祖母が亡くなった。
孫一は、この言葉を一生守り続けると祖母の墓前で泣きながら誓った。
祖母の言葉は孫一が、唯一信じる人の言葉だったからである。
だが、家での居場所を失った孫一は、この時に家を出たのだった。
夜、星の明かりを頼りに、どれだけ歩いたろう。
孫一は、ふと腰に目を落とした。『刀も無くなってしまったなぁ、フッ、やることなすこと裏目だなぁ。』
孫一は、どこか変な気分であった。あれほど武士というものに執着していた自分が、刀を失っても別段、落ち込むこともなく、むしろすこし、気楽な気持ちになったからだ。『さぁて、どこか寝れるところはないかぁ』とぼとぼと歩きながら、周りを物色していた。
すると、うっすらと、水田の横に小屋のようなものが見えた。近寄ってみると、ボロボロだが小屋があった。至る所が腐り欠けていたが、『一晩くらい。』と、中に入った。
真っ暗な中、孫一は中にあった、わらの上に寝転んだ。
『明日から、本当に無一文だなぁ。やっぱり釣りは貰っとけばよかったなぁ〜』さっきの店で見栄を張った事を、少し後悔していた。走り回って疲れたせいか、すぐに眠りに就いた。
外には蛙の声だけが絶えず響いていた。