拾九の巻〜『茂助の生き様』
茂助はその頃、村人達の姿を、遠くから見守っていたのかもしれない。
捕らえられた夜に、茂助は敵の大将、木之下秀家の前に連れられた。
『おい黒雲。この者は水野に間違いないか?』
秀家の横には、海東に仕えていた忍びの黒雲が控えていた。
黒雲は、海東に仕えていた忍びの頭である。
海東家の家老水野から、焼け落ちる城の中で託された、海東家の若殿である珠々丸一行を裏切ったのだった。黒雲は、従う忍びと共に珠々丸一行に襲いかかり、女子供、容赦なく殺害した。
その中には、亡き主君の奥方の凪の方も含まれていた。
そうして黒雲は、珠々丸を木之下勢に引き連れたのだった。
『いや…。この者は、荷駄頭の菅沼茂助という男。
水野様は、城中にて腹を召されました。』
『どういう事だ!柴田ぁ!』
秀家の厳しい目が柴田に向けられる。 『いや…。その、これは…。貴様!騙しおったな!』体を丸くしていた柴田が、刀を抜き刄を茂助に向けてきた。
茂助は、動じる事無く目を瞑った。
『待て柴田!!』
秀家の声が柴田の動きを止めた。
『菅沼と言ったの。そなた、なぜに水野に化けたのだ?』
『民の為にございます。先日、この辺りの村を焼かれましてなぁ。
村を作り直す為には、金が必要になる。
しかし、ワシは組頭とは言えども、米炊きが専門。大した銭は頂けますまい。
だから、水野様の名を使わせて頂きました。』
『民の為だと?ハハハ!
百姓に捕らえられた負け惜しみか?』
『いやいや、ワシが自ら提案した策でして…。
この老いぼれには、これが精一杯で御座います。
うまくいってよかった。』
茂助は笑いながら言った。柴田は、恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
『誠に民の為、自らを犠牲にしたのか?』
秀家は、茂助の言うことは理解できなかった。
自分は何をしても勝つ事ばかりを考えていた。しかしこの男は他人の為に、自分を犠牲にするという。
秀家は、そんな事考えたこともなかった。
生まれた時から殿であった秀家には仕方がない事だ。
それよりも、茂助のように死んでも守りたい物を自分は持っていないように感じた。
『村を焼き払うような殿様には、私を理解出来んでしょうな…。』
『なんだと?』
秀家の顔色が変わった。
周りの者は『こいつは、何ということを言うのか…』と思い、静まり返った。
『殿様も、米を食べるでしょう!
その米は誰が作りますか?民は、国の宝なのですぞ!』
茂助の最後の抵抗だった。
『だっ黙れ!貴様のような者に何が分かる!』
『下っ端だからこそ、解る事もありますぞ。そのような怖い顔をしていては、幸が逃げますぞ。
この陣も、つまらんですな!みな貴方様を警戒して、笑顔一つ見せん。ハハハハ!っと笑えばよかろう!』』
茂助の目は秀家を睨み付けけていた。
『黙れ!!!』
ズバッ!!!
秀家は、立ち上がり感情の赴くまま、茂助を切り捨てていた。
自分の生き方を否定されたような、生まれて初めての気持ちだった。
自分の内面を見透かされているようで、この茂助が急に恐ろしくなってしまったのである。
『はぁあ、はぁ…。』
『と、殿…。』
いつもは、冷静な秀家が、このような老人に取り乱すとはと、馬廻りの者は秀家の姿に戸惑いを隠せなかった。
『この者を、丁重に葬むってやれ…。』
冷静に戻ったのか、秀家は周りの者に言い付けた。
茂助の亡骸を、周りの者が引きずり去っていった。
一人残された秀家は、目を閉じ、考え込むように動かず、ただ時間が過ぎていった。
菅沼茂助直隆。六十二歳の最期であった。
亡骸は、木之下の陣近くに埋められた。
それから数日後、国に流れる、多田川で珠々丸の処刑があると聞き付けた村人達は、茂助の姿はないか大挙して押し掛けた。
もちろん、茂助の姿は無かった。
『きっと生きてる!』
『いつか帰ってくるぞ!』と村人達は自らを鼓舞し、必死になって働いた。
茂助の残した金のおかげもあって村は少しずつ、元の姿に戻っていった。
さらに一年が経った頃、村人達は、茂助を供養する為に地蔵を作ったのだった。村を守るように、村の玄関口とも言える、橋の傍に。そして、その目線の先には茂助と別れた山を見つめるようにした。
茂助の帰りを待つ村人達の願いを込めて。
なにより、茂助を忘れぬように。
それから村人達は、茂助がよく言っていた言葉を教訓とした。
『人に優しくすれば、自分にも帰ってくる。
笑顔も同じだ。笑顔でいれば自分にも帰ってくる。侍達は、わしを馬鹿だと笑うがそれでよい、皆が笑顔でいれればそれでよい。』 そんな考えが自然に、この辺りに根付いていった。
茂助は亡くなったが、形を変えて、村人達の中でずっと生き続けたのだった。