拾八の巻〜『置き土産』
それからは、互いに無言で歩いていた。
『おい!権!敵兵じゃないか?』
木の間から人影が見えた。
その兵達は陣の警護の兵なのだろう。後ろには陣が見えた。
二人は、木陰に身を隠した。
『よいか、権左。
わしの言う通りに、言うのだ!
海東の武将を捕らえました。私は、この近くの百姓に御座います。
我が村の者の代表としてこの者を連れて参りました。これだけでよい!後はわしが何とかする。いいな。』
『はいっ、わかりました。やってみます!』
少し怯えながらも、権左は頷いた。
すると茂助は、足元の手に取り、土を顔に擦り込むように顔に付け、汚しはじめた。
『さぁ、縛ってくれ!』
茂助は、後ろに手を回した。
権左は縄を取り出し、しっかりと縛り付けた。
『ようし。上出来だ。行くぞ!』
茂助は、しっかりと縛られているかを確認すると、権左に引かれ敵陣に向かって歩いて行った。
『何者か!?』
茂助達に気付いた、敵兵が数人駆け寄り、槍の穂先を向けている。
茂助が、権左に合図を送るように、縛られた手を動かした。
『わ…私は、この辺りの百姓にございます。
この者は、海東の武将でございます。
むっ、村の者で捕らえたこの者を、代表として連れて参りました。』
緊張して言う、権左を怪しげに兵達は見ていた。
『わしは、海東家筆頭家老、水野忠左衛門。そなた達の大将にお取り次願いたい…。』
茂助は、最初から水野に成り済ますつもりでいた。
褒美の量を増やすためである。
茂助は直ぐには、ばれないように顔を汚していたのだった。
権左は、茂助の言うことに驚いたが、茂助に言われた通りに何も言わなかった。
兵達も、いきなり現われた大将首に驚き急ぎ、主君のもとへ走った。
『殿〜!!海東の家老、水野を捕らえたという百姓が参りました!』
『なんだと!すぐに通せ!』
茂助と権左が陣中に通された。
『お主が、水野殿か?
某は、木之下家が家臣の柴田右近と申す。』
幸いに、この柴田という武将は水野の顔を知らない様子だった。
『再起を図るべく、城を抜け出たが、百姓共に捕まる始末。』
『ガハハハハ!年老いて、百姓に捕らえられるとは惨めだの。』
勝ち戦に、上機嫌なのか、あまり疑いはしていなかった。
『武運もこれまで…。
わしを差出し褒美を貰えと申した次第。
最後くらいは、民の為にと思いましてな。
どうか、この願い汲んで貰えないだろうか?』
『民の為だと?最後の強がりか?
ハハハ!!!まぁ、よいだろう。
おい!あの者に褒美を取らせ!』
権左の前に、金の入った巾着が幾つか置かれた。
『過分の御計らい、水野、礼を申します。』
『なんの!安い買い物じゃ!ガハハハ!
この者を、殿のもとへ連れて行く!連れていけ!』
茂助は、両腕を抱えられるようにして連れて行かれた。
茂助は、権左に顔を向け笑顔を見せた。
複雑な気持ちが権左の表情に表れていた。
『お主も、もぅ帰ってよいぞ。ご苦労だった!!』
言い残し、柴田は機嫌よく去っていった。
権左は、目の前の巾着を懐に入れると、足早に陣を出た。
逃げるように走り出した。権左は、途中の森の中で立ち止まると、力が抜けるように崩れ落ちた。
『茂助様…。』
権左は、地面に突っ伏したまま動けなかった。
茂助の言う通りにしただけだが、自分が敵に売り渡したように感じ、罪悪感のような感情に苛まれていた。
森に差し込む太陽の光が時が過ぎるのを知らせるように、木々の影を長くしていた。
権左は、ゆっくりと皆の待つ洞穴に歩みはじめた。
少し前に茂助と歩いてきた道の景色すら、遠い思い出のように感じられた。
洞穴に着いた頃には、陽の光も弱くなり、薄暗さも感じられた。
しかし権左は、なかなか洞穴に入れずにいた。
『こんな時、茂助様ならどうするんだろうなぁ…。
きっと、馬鹿みたいに明るくしてくれるんだろうな。』
権左は、そんな事を考えていると、少し気が晴れた。そうして洞穴に向かって行った。
『行ってきたぞ…。』
『おお!権左、無事に戻ったんだな。
やはり、茂助様は…』
駆け寄ってきた村人達に、権左はただ頷ずいた。
『行ってしまわれたか。』わかっていた事で、覚悟も出来ていたつもりだった。だが、突き付けられた現実に、体が反応して涙が溢れてしまう。
理解をしていのか子供達の中には、
『茂助のおじちゃんは〜?』
と、母親の袖を引っ張る子もいた。母親は、そう言う子供を抱き締め泣いている。
『ハハハハハハハ!!』
いきなり、泣き顔の権左から笑い声が響いた。
『この馬鹿!!何がおかしんだ!!気でも狂ったか!!』
父親の権平が、権左の頭を叩いた。
『いままで、茂助様に何を教わってきたんだ!辛い時ほど笑えって言ってたじゃないか!
茂助様はな、敵に連れていかれながらも、いつものように俺に笑いかけてくれたんだぞ!』
権左は、泣きながら訴えた。
『そうだなぁ…。いつまでも泣いてばかりじゃ、茂助様に怒られちまうな…。』一人の村人が、ボソッと呟いた。
『見てみろ!みんな!茂助様は、帰ってきたぞ。』
権左は、懐に入れておいた銭の入った巾着を取出した。
『茂助様は、俺たちを助ける為に…形は変わっちまったけど…。
これで、立派な村を作ろうや!あの世から茂助様が見てビックリするような!』
『馬鹿野郎!!縁起でもねぇ!茂助様は、まだ死んでもねぇだろうが!!』
またもや、権平の拳が飛んだ。
『まったくだ!オレらに説教しやがって!
いつからそんなに偉くなったんだ!』
『お前に言われなくたって、村くらい作ってやるさ!茂助様の為だ!』
村人達も、権左に必死に言い返していた。
涙はすっかり止んでいた。
弱虫だった権左に、勇気づけられた村人達は、泣いてばかりいた自分達が急に恥ずかしくなった。
また村人達は、そうした中で、これまでの誰かに頼る生き方だけでは駄目だと気付かされた。
権左が見せたような、強さを身に付けようと考え始めたのだった。
次の日の洞穴に、村人達の姿は残されていなかった。
村人達は、自らの村が焼けるのは見ていたが、躊躇する事無く自分達の村に戻っていったのだった。