拾六の巻〜『灰塵に帰す(3)』
うっすらと夜が明け始めた。空が青くなり、辺りを明るくし始めている。
『わああああああ!!』
城の方向から、人の声や足音、馬や鉄砲の音などが交じり、地鳴りのような音が聞こえてきた。
洞穴の村人達は、その音に目を覚ました。
『何の音だありゃ?』
『きっと、木之下勢達の朝駆けだろうな。海東も、これで終わりだな…。』
『あれっ!茂助様が居ないぞ!』
権左が辺りを見回しても、茂助の姿はなかった。
『おい権!!急いで探してこい!』
『わっ、わかった!!』
村人達の声に背中を押されるように、慌てて洞穴の外へ飛び出していった。 朝の冷たい空気が、眠気など一瞬に消した。
権左は昨夜、茂助が言っていた『ここで見届ける。』という言葉を思い出し、兵達を解散させた場所に行ってみることにした。
案の定、その場所に茂助が座り込んでいた。
『よかった…。はぁはぁ。』
いままで、走りっぱなしだった権左は、息を整えながらゆっくりと茂助に近づいていった。
『あっ…。』
権左が城の方に目を向けると、敵が城を取り囲み、すでに門などは壊され、城の中へと次々に敵勢が傾れ込んでいる。
城からは、至る所で火の手が上がっていた。
『茂助様…。ここに居られましたか。皆が心配しておりますぞ。』
権左が声を掛けたが、茂助からは反応が無かった。
ただ、城を眺めていた。
『権左。狼煙が上がっておるわ…。』 『えっ?狼煙?』
城では、様々な物が焼けているのだろう。
狼煙のように黒い煙がいくつも上がり風の流れで、こちらの方まで流されて来ていた。
茂助は真柄を思い、涙を流しながら見守っている。
『茂助様…。』
権左は、それ以上言葉が続かずに立ち尽くし、茂助と共に城が焼け落ちていくをいつまでも見ていた。
『権左。しばらく一人にさせてくれんか?
わしは大丈夫だ、そう村人達に伝えてくれ。』
権左は、茂助に言われるがまま、来た道を引き返していった。 一方で城の中は、世にもおぞましい光景となっていた。
城は、兵達の骸が溢れ、寄せ手の兵達はそれを踏み越え、手柄となりそうな首を討ち取りながら、本丸に向け、前へ前へと進んでいった。
『水野様。』
海東に仕えている忍びの黒雲が、家老の水野のもとに戻ってきた。『うまくいったか?』
水野は心配そうな顔で言った。
『はい。水野様の仰せ通りに、珠々丸様方は抜け穴より無事に城外に出られました。』
黒雲は、表情も変えず冷静に答えた。
『そうか。黒雲、ご苦労だったな…。
最後に、この水野の最期の頼みだ。すまないが、いま少し若殿を見守ってはくれないだろうか?頼む。』
水野は、丁寧に頭を下げ黒雲に伏して願った。
『かしこまりました…。』黒雲はそう言うと、言葉も少なく早々に去って行った。
『やれやれ、最後まで愛想の無い奴じゃ。
だが、これで望みは繋がったかのう…。』
その時、足音を鳴らしながら、傷ついた武者が水野の元へ来た。
『水野様!二の丸も既に敵の手に落ちました。あとは本丸を残すのみです。
申し訳ありません。もはやこれ迄かと…。』
その、若武者の表情は悔しさに満ちていた。 『あい解った…。よく伝えてくれた。大義。
よいか、すぐに城に火を放て!
海東武士の新たな旅立ちじゃ…。敵に邪魔をされてはいかん。』
『はっ!かしこまりました!すぐにでも。』 若武者は、慌てるように急いで戻っていった。
そう言い付けると、水野は奥の間に入り、静かに戸を閉めた。
腰に差した脇差しを取り、具足を脱いだ。 今は亡き、殿が座っていた上座の場所に向かい合うように、腰を下ろした。
まるでその場所に、いままでの主君、海東資長が居るかのように水野は語りだした。
『殿、爺には少し荷が重すぎたわい。年を取りすぎましたかなぁ…。ハハハ…。』 水野は資長の守役を努めた人物でもあった。
『お叱りは、あの世でたっぷりと…。』
そう言うと、脇差しを抜き自らの腹に突き立て、自害して果てた。 水野の命により、本丸付近は激しい火に包まれた。
その火の勢いは、敵勢を寄せ付けないのに十分であった。 『おふう…。おふう…。』真柄は、うわごとのように呟きながら、燃えていく城内を妻である、おふうを探し彷徨っていた。
真柄は髪を振り乱し、矢や鉄砲に体は傷つき、その傷から出る血が、道しるべのように真柄の通った跡に続いていた。
どれだけ使ったのか、曲がりくねった刀を杖のように床に突きながら、おふうとの約束を果たす為に進んでいった。
城の中は静かであった。
既に、場内には自害して事尽きた者ばかりであったからである。
真柄がおふうを探し、部屋を巡っていたが、どこに行っても、倒れた人ばかりであった。
自ら、腹を切る者もあれば、互いに刺し違える者、我が子を危め、涙を流したまま、死んでいる母親。
そんな、光景を見るたびに真柄は傷ついた体に鞭を打ち、おふうを探す足を早めた。 やがて真柄は、城の大広間に辿り着いた。
ここには、城で働いていた女達の亡骸が目立っていた。
真柄は、累々としている亡骸を分け入るように、おふうを探した。
だが、真柄は死んでる訳が無いと信じ込んでいた。
『おふう…。』
壁に寄り掛かるように倒れていた、おふうを見つけた。
大きくなっていたお腹を見て、真柄はおふうと確信したのだった。
『おい!わしだ!おい!』どれだけ揺すっても、その体には力が無く、おふうの冷たくなった体の感覚が、真柄の手から伝わってきた。
『どうしてだ!わしの事を待っていると約束したではないか…。馬鹿たれ!』
真柄は、おふうの体を抱きながら、体を震わせた。
真柄は、そのまま動けずに放心していた。
『ん?』
真柄は、おふうの手に何か握られているのに気付いた。
おふうの手を解くと、何度か折られた紙が、握られていた。
『文か?』
真柄は急いで、その紙を開いた。
所々、血で滲んではいたが、おふうの綺麗な文字で綴られていた。 『旦那さま。お約束を破り申し訳ありません。
二の丸が落ちたと報を受け、皆で意を決しました。
あなた様の事ですから、かならず私を捜し出し、この文を読んでくれると思います。
三途の川は渡らずに、お腹の子と待っております。
手紙のことを知らなかったら承知しませんよ。
お先に逝くことをお許しください。』
と書かれていた。
『ガハハ。まったく、お前は最後まで、強い女子じゃの…。』
もう何も言うことはない、おふうに、言い返していた。
『さて。いつまでも、待たせておく訳にもいかんな。この手紙も、一緒に持って行ってやる。待っておれよ。』
真柄は、脇差しの短刀を抜くと、おふうの手紙と一緒にしっかり握り、首に押し当てた。
『親父様…。真柄、このように、合い成りました…。おふうを迎えに行きまする。』 そう言うと、真柄は、押し当てた刀を振り下ろした。真柄は鮮血と共に、おふうの体に折り重なるように倒れ込んだ。
真柄左馬ノ介幸盛。この時三十四歳、戦国の渦の中にまた一人、前途有望な若者が飲み込まれていった。
城は、すでに紅蓮の炎に包まれている。
ここに、海東有りと言われた時代もあった名族、海東家も炎と共に灰塵に帰した。
『エイ、エイ。』
『おおおおおぉぉぉ!!』
『エイ、エイ。』
『おおおおおぉぉぉ!!』
城を囲み、焼ける城を眺めていた寄せ手の軍勢からは、至る所で天を突くような歓喜の声が上がっている。
茂助は、その場を動けずに目に焼き付けるように、その光景を見続けていた。




