拾弐の巻〜『開戦。』
この海東家の本城である、この城は『鳴海城』といい、海東家が三代にわたり作られた城である。
『鳴海城』は山に作られた山城である。
規模は、さほど大きない物ではない。
しかし、その山の尾根伝いに城郭が作られる『連郭式』の形を持つ城で、堅城と知られていた。
この城に、十歳の主君である海東珠々丸を始めとする、約2千の兵が籠城していた。
『ここに、海東あり』と謳われた時代もあった。
名族、海東も戦国の渦の中に巻き込まれ、まさに今消え掛かろうとしていた。
この城を囲むのは、海東から南の国一帯を従えた、新進気鋭の大国、木之下家が中心だった。
大国、木之下が動いたと聞いた、隣国の岡上や柿崎は、いち早く恭順を示し、兵を出していた。
木之下に敵視されたくないと同時に協力することによって、自国の領土安堵を願ったのである。 その軍勢の数は約1万2千。他にも木之下は、後詰めとして七千の兵を待機させていた。
まさに万全の状態である。敵の大将、木之下秀家は、28の若者だがその行動に油断も、奢りもなかった。
だんだんと、東の空から明るくなりはじめた。
徐々に空は、雲一つなく晴れ渡り、これから戦になるとは思えないほどだ。
城の中でも運命の朝を迎えた。
『真柄はどこじゃ!幸盛は!』
昨日、すっかり寝たままだった茂助が、真柄が戻ったと聞き、朝早くから走り回っていた。
寝ていた権左を、見つけた茂助は肩を揺すり
『おい!権左!権左!幸盛を真柄を見なかったか?』
すると、権左が眠そうに、茂助を見て
『真柄様なら、昨日、一の丸で話しました。』 寝呆けながら茂助に言った。
『分かった!一の丸だな!』茂助は、急いで一の丸に向かった。
そうして、一の丸で具足を締め直している真柄を見つけ声を掛けた。 『おい、幸盛よく戻ったなぁ!』
『おぉ!親父様!』
互いに、嬉しそうな顔を浮かべた。
『握り飯、役にたったか?』
『はは、食べながら、逃げ帰りました。』
真柄の顔が悔しさを物語っていた。
『そうか。でもわしらも、これで終わりだのぉ』
真柄を察した茂助は、深くは聞かずに晴れ渡る空を見上げた。
『今まで、ありがとうございました。すべて茂助様のお陰です。』
『馬鹿!まだ終わってないだろうが!』 真柄からの思わぬ言葉に、茂助は涙を堪えながら、言った。二人に沈黙が続いた。
『真柄様、最後の評定です。水野様がお呼びです!』中間が真柄を呼びにやって来た。
『分かった!すぐに行く!』追い返すように真柄が言った。
『親父様、これにて…。どうか、お達者で。』
真柄は、言葉少なに去っていった。お互いにそれが精一杯だった。
城の中は、女たちも薙刀を手に取り決死の覚悟を表していた。
評定の為、諸将が集まっている。
皆、口を一文字に結び、意を決した様子だった。
珠々丸が子供ながら、慣れない具足を身につけ、凪の方と共にやってきた。
一同、頭を下げると、家老の水野が口を開いた。
『皆、よう集まった。もう何も申すまい。
各人に奮励を願う!海東武士の底力を見せるは、今!一泡吹かせようではないか!』
『おおおおぉぉぉ!!』
自らを鼓舞するように、皆が声を張り上げた。
『大儀であった。わしからも礼を言う。』片言で、覚えたての言葉を言うように言うと、珠々丸と凪の方は、天主に帰っていった。
一同は頭を下げ、最後の対面を終えると持ち場についた。
水野が真柄を呼び止め
『頼むぞ、真柄!見事な先駆け期待しとるぞ!』
『籠城で先駆けと言うのも変ですなぁ?』
『御主の一の丸が踏張れば皆の力となろう!頼むぞ。』
『その難儀な役、承知いたしました。それでは』
水野は、真柄の去っていく背を見ながら
『惜しいのう…。戦国でなければな…。』
この前途有望な男が、死地に赴くのを歯痒く思いながら、見送った。
真柄が、任されたのは城の一番最初の防塁である、一の丸。
一番最初に、敵とぶつかる場所である。
先駆けとして活躍していた真柄が任されたのだった。
城の周りにはすでに、黒い塊のように敵の軍勢が、戦の始まりを待っているようだった。
馬のいななく声や今まで見たこともない大勢の軍勢に兵士達は皆、立ちくすのみだった。真柄は、櫓に登り敵の情勢をうかがっていた。
『そろそろだな。』真柄は、櫓が降りると兵士達の強張った表情に気が付いた。
『皆、よく聞け!どうしたぁ、そのような顔をして。何も恐れることはない!
ここは、皆が育った場所ではないか?』
だんだんと、兵達の顔が和らいできた。
『わしがいる限り!そうは、負けんぞ!わしを誰だと思っとる!』
皆に、笑みが出てきた。
真柄は満足そうに続けた。
『よし!生きるために戦え!死ぬと思うと本当に死ぬぞ!生きようとすればそれが力になる!諦めるな!よいな!』
『おおおおぉぉ!!』 兵士達は、息を吹き返したように声をあげた。
それでも、一人強張った者がいた。権左である。
籠城となり荷駄部隊も各隊に配属されていたのだった。権左は持った槍を震わせて、真柄の声など耳に入っていなかった。
『どうした、権左!いつもの元気は!お前は後ろ方にいろ!邪魔になるなよ!』
はっ、と気付いた権左は
『何だ!何だ?何か言ったのか?』とキョロキョロしている姿を、皆が笑っていた。
茂助は歳の為、戦場ではなく、城の女たちと米を炊いていた。
真柄や権左の事が不安で、堪らなかった。
遠くから、いくつもの法螺貝が鳴り始めた。太鼓や銅鑼も混じっていた。
するとゆっくりと、おおきな波のように、軍勢が城に向かって来た。
『来るか…。』
真柄は、両手で頬を叩き、目を閉じ、少し祈るように顔を俯かせた。
『わわわわぁぁ!!!』
声を上げ、様々な音と共に敵勢が迫ってくる。
その音が、ゆっくりと大きくなってくる。
真柄は目を見開いて、槍を持つ手に一際、力を入れた。