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第78話: 静かなる底上げ ~ヴァルミラが動く~

戦線は、奇妙な均衡を保ち始めていた。


派手な突破はない。

劇的な反転も起きていない。


それでも――

魔王軍の進撃は、確実に鈍っていく。


前線の一角。


魔族の重装兵が振り下ろした大斧を、

王国兵の盾が正面から受け止めた。


鈍い衝撃音が響き渡る。

だが、盾は砕けない。


一歩、二歩と押し込まれながらも、

兵士は歯を食いしばり、踏みとどまる。

隊列は崩れなかった。


そのわずかな隙に、

隣の兵が素早く前へ出る。


放たれた矢は、迷わない。


飛翔の途中で軌道を変えたわけでも、

奇跡が起きたわけでもない。


ただ――狙った場所へ、正確に当たる。


魔族の喉元を鋭く貫き、

続く矢が、その背後の個体の肩口を射抜いた。

突撃の列が、そこでわずかに乱れる。


剣戟の音が激しく重なった。


王国兵の剣が、

魔族の装甲ごと力強く振り抜かれる。

切り裂かれたのは、隙でも弱点でもない。


正面から。

真正面から、叩き伏せる。


「……押し返してる?」


誰かが、思わず呟いた。


だが、それは錯覚ではなかった。

ほんの数歩。ほんのわずかな間合い。


その積み重ねが、前線全体に、

静かに、しかし確実に伝播していく。


北部防衛線は、動かない。


退かず、進まず、

ただそこに在り続ける。


補給の荷車は止まらず、

負傷兵は確実に後方へ送られ、

代わりの兵が素早く穴を埋める。


武器は、必要な場所へ。

必要な数だけ。


受け取った兵士たちは、

簡単な説明しか受けない。

それでも、握った瞬間に理解する。


「……いける」


それで十分だった。


前線の景色が、少しずつ変わり始め、

押し合いの時間が延び、

崩れるはずだった場所が踏みとどまる。


北部は、前へ出ない。

だが、折れもしない。



その一方で――中央戦線。


勇者たちのいる部隊は、

作戦通り、わずかに前進していた。


魔族の陣形が崩れ、

空いた場所を素早く突く。

深追いはしない。

確実に、線を押し上げていく。


その中で、違和感が生まれ始めていた。


「……最近、兵の動きがいいな」


一真が、戦闘の合間にふと呟く。


「無理をしてないのに、前に出られてる」


美咲は回復魔法を施しながら周囲を見回す。

負傷者の数が、微妙に減っている。


健吾が盾越しに前線を見渡し、

短く息を吐いた。


「北から来る補給だろ。

武器が……変わってきてる」


特別な光はない。

だが、兵士たちの戦い方が、揃い始めている。


突出した英雄が増えたわけではない。

魔法の威力が跳ね上がったわけでもない。


それでも、全体の“質”が、

確かに底上げされていた。



――北部戦線。


補給路と前線、

その両方を見渡せる位置。


瓦礫の影に、ひとつの影が立っていた。


漆黒の仮面の奥で、

ヴァルミラの瞳が細くなる。


「……舐めていたわ、まさか、ここまでとは」


一つや二つの戦果ではない。

局地的な奇跡でもない。


特別な兵など、一人もいない。

突出した魔法使いが、揃っているわけでもない。


それでも――戦線は、保たれている。


盾が耐える。

矢が、迷わない。

刃が、確実に通る。


「一つ一つは、致命じゃない」


静かな声。


「でも……量が揃ってきてる」


“質”の高い武器が、

確実に、前線へ行き渡っていく。


「これは、削り合いじゃない」


戦場の“平均値”が、じわりと引き上げられている。


ヴァルミラは、ここにきて、ようやく腑に落ちていた。


「……目立つような、少数の奇跡じゃない」


ましてや、

一撃必殺の切り札でもない。


「これは……積み上げ」


量。時間。配置。


時間が経つほど、

王国軍の“土台”そのものが、厚く書き換えられていく。


「まずいわね……」


それは、計算で測るようなものではなく、直感だった。


「まさか、あの子の力が……

いえ、あの小さな積み上げが、

ここまで戦場を変えるなんて」


前線を潰しても、意味がない。

補給を断っても、間に合わない。


「このままいけば――

いずれ、押し返される」


初めて、

魔将ヴァルミラの思考に、

はっきりとした“焦り”が差し込んだ。


北部防衛線の奥。


補給と交代が、滞りなく回り続ける場所。

戦線の“裏側”。


ヴァルミラは、ゆっくりと一歩を踏み出した。


(……ここで、終わらせる)


前線を支える“土台”。

戦場に残り続ける、あの進化士。

ユウマを消せば、この違和感は、必ず崩れる。


そう――判断し、即座に動く、はずだった。


だが…….



北部防衛線・補給拠点。


セレスは、詠唱を止めた。


「……?」


理由は、説明できない。


魔力の乱れでもない。

敵意を感じたわけでもない。


けれど――“線”が、わずかに揺れた。


(……今の、何?)


張り巡らせている索敵の感覚。

その一角だけが、ほんの一瞬、沈んだ。


誰かが触れたような。

あるいは、触れようとして――やめたような。


セレスは、視線を動かす。


前線。後方。補給路。


どこにも異常はない。


それでも、胸の奥に残る引っかかり。


「……リィナ」


小さく名を呼ぶ。


「今日、交代の間隔……詰めて。

それと、盾兵。配置、もう一段だけ後ろ」


「何かあったの?」


「分からない。でも――」


セレスは、ゆっくり息を吐いた。


「何か“来る”気がする」


理由のない警戒。

だが、それは無視できないほどの感覚。


その直後――


場面は、静かに切り替わる。


ヴァルミラは、足を止めた。


「…………」


空気に、微かな“張り”がある。


直接視られているわけではない。

殺気を向けたわけでもない。


それでも――踏み込めば、触れる。


(……視られてる?)


ほんの一瞬、思考が走る。


次の瞬間、

彼女は、すべてを理解した。


「……なるほど」


仮面の奥で、視線が細くなる。


「あの魔法使い、やっかいね。

索敵が――“張り巡らされている”」


北部一帯に、薄く広がる感覚の網。

結界ではない。

だが、確実に“線”が引かれている。


「あの子に近づこうとした瞬間、

必ず、線が走る」


ヴァルミラは、舌打ち一つ。


視線を横に流す。


「それに……」


距離を保ち続ける弓兵の配置。

射線が、自然にユウマを覆っている。


「あの……弓使い」


不用意に踏み込めば、

影に入る前に射抜かれる。


「魔法使い一人なら、問題ない」


冷静な判断。


「でも――」


ユウマ。魔法使い。弓使い。


三人が揃ったままでは、

“静かに消す”選択肢は取れない。


「……想定より、面倒ね」


だが、その声音に迷いはない。


「なら――やり方を変えるだけ」


単独ではなく。暗殺ではなく。


「……正面から、潰す」


仮面の奥で、冷たい光が宿る。


「少数精鋭。短時間で、確実に」


ユウマを中心に、

一気に叩き潰す。


補給も、索敵も、連携も――

すべてが意味を失う瞬間を作る。


ヴァルミラは、音もなく踵を返した。


「準備をしましょう」


誰にともなく、そう告げる。


風が吹き、

鎖が低く鳴った。


北部防衛線は、今日も崩れない。

だがその裏で――


“次は、本気で来る”という決断だけが、

密やかに下された。


――そして、

それは確実に、次の夜へと繋がっていく。

ご覧いただきありがとうございます。


ここから一気に“加速”します。


次回『壊れるまで抵抗せよ! ヴァルミラの猛攻』


★での応援、お待ちしています。

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