第41話: 交易都市ファルネラ ― 泥棒少年と叫び声
朝焼けが山の肩を金色に染める頃、村はまだ眠りの余韻に包まれていた。
昨夜の祝宴の名残が炉の奥でほのかに漂い、冷えた梁をくぐってゆっくりと立ちのぼる。
悠真は戸をそっと開き、澄んだ朝の冷気を深く吸い込んだ。
胸の奥には、まだ氷鱗王ヴァルスルグの言葉が重く残っていた。
「もう起きてたのね」
振り返ると、セレスが杖を手に立っていた。
少し寝不足の顔をしながらも、瞳はキラキラと冴えている。
「出発するなら今ね。太陽が昇りきると雪崩のリスクが急上昇するわ」
「ふふふ、朝からそれにゃ。セレスっぽいけど」
あくび混じりにリィナが笑う。頬にはまだ甘酒の赤みが残っていた。
悠真は小さく微笑みながら、背中の氷柱の盾に触れた。
「村はヴァルスルグが守ってくれる。俺たちは……自分の道を進む番だな」
「統計と因果は、命を繋ぐ鍵よ。軽視する理由は?」
「はいはい、じゃあ急いで準備にゃ!」
リィナは背嚢を背負い、肩紐をぎゅっと締めた。
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門の外では、村長や子どもたちが朝早くから見送りに集まっていた。
雪煙の中で村長は深々と頭を下げ、羊皮紙に走り書いた証文を差し出す。
「龍の盟約の証に、村としての感謝を記した文です。
身分の証明を求められた際の助けになるでしょう」
「……ありがとうございます。大切に使わせてもらいます」
悠真はそれを受け取り、盾の紐を結び直した。
子供たちが手を振る。
「行ってらっしゃい!」「また来てね!」
雪煙の向こうで、村の姿がどんどん小さくなっていく。
やがて峠道を登りきると、悠真は背中の盾を手に取って光に透かした後、静かに収納した。
「いい村だったにゃ……」
リィナが名残惜しそうに振り返る。
「ああ。でも――」
悠真は遠い峰を見上げた。
「あの尾根に、今もヴァルスルグの気配がする。
約束は違えないはずだ」
「保証の確率は?」
セレスが横から即座に突っ込む。
「直感で……九割五分ってとこかな」
悠真が応じる。
「なら統計補正込みで99.8%。実質100%ね」
セレスが満足げに頷く。
「盾は携行、村は龍が護る。数式が完璧に閉じたわ」
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峠を抜ける頃、陽光が雪解けの斜面に小さな虹を架けた。
朝靄の先に、果てしない平原が広がっている。
「都市まではあと三日ってところにゃ?」
「積雪の少ない平地なら二日半。……夜営を減らせば二日で着くわ。リスクは2%増えるけど」
セレスが地図をパタパタ広げる。
「つまり急げば二日で着くってことでしょ?」
「……まあ、そういう解釈でも間違いではないわね」
リィナがくすりと笑ってスキップ気味に歩き出す。
悠真とセレスも自然と笑みがこぼれた。
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昼過ぎ、山麓の凍った川沿いに出た。
陽射しが斜めに差し込み、氷面が金の鱗のようにきらめく。
悠真は腰を下ろし、湧き水で喉を潤す。
「交易都市で最初にやることは?」
「情報ね。補給路、魔導市場の相場、各地の情勢。……更新しなきゃ困ることばかり」
セレスは地図を指で軽く押さえながら答えた。
リィナが頬を膨らませる。
「……セレスは都市に着いても数字と睨めっこする気なの〜?」
「楽しみ方は人それぞれ。でも、データさえ押さえちゃえば世界の流れが読めるようになるわ。
すると、結果的にあなたが大好きなお菓子に出会える確率も上がるのよ」
リィナの耳がピクッと反応。
「……それ、めっちゃ教えて!」
「簡単よ。条件を“甘味の高い店舗”に絞るだけ。
後悔するのはリィナの自由だけど、私は止めないわ♪」
セレスが小悪魔的な笑みを浮かべると、リィナが吹き出した。
「にゃははっ、それ最高!」
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約束の二日半を少し過ぎた、三日目の午後。
丘を越えたところで、交易都市ファルネラの外壁が姿を現した。
厚い石造りの城壁がぐるりと町を囲み、尖塔がいくつも空へ突き出している。
外門には荷馬車の列ができ、商人たちが喧騒を撒き散らしていた。
「うわー! めっちゃ賑やかにゃ!!」
リィナが駆け足で門を見上げる。
門をくぐると同時に、都市特有の匂いが押し寄せてくる。
鉄の匂い、香辛料の刺激、果実の甘さ、焼き立てのパンの芳ばしさ——
雪国の静けさとはまったく別世界だった。
大通りは人で溢れ、商人たちの呼び声が四方八方から降り注ぐ。
鍛冶の火花、革の匂い、果物の甘ったるい香り――目と鼻が忙しすぎる。
「すごいにゃ……目が回るけど、めっちゃ楽しい!」
露店がぎっしりと道を埋め、色鮮やかな絹、干した果実、銅細工の装飾品が陽光を跳ね返していた。
「交易の中心地だけはあるな……見てるだけで目が忙しい」
悠真が苦笑する。
「商品数は村と比べ物にならないし、値もすぐ動くみたいね。面白いわ」
セレスは値札を眺めながら言った。
「推定人口三万二千くらい。交易路三本が交差する中枢都市ね。犯罪発生率は中程度、治安隊百五十名……まあ妥当なところかしら」
「いきなり治安データから入るとか、ほんとセレスらしいな」
悠真が苦笑いした。
門番は、悠真が村長から預かった証文に目を通すと、にこやかに頷いた。
「雪嶺の村からか。あそこは今年も厳冬だったろう。よく来たな、旅人たち。中へ通れ」
「ここからが、俺たちの新しい章だな」
悠真の呟きに、セレスが小さく笑った。
「見て見て飴玉ー!」
リィナが駆け寄り、小さな琥珀色の飴を嬉しそうに受け取る。
その瞬間——
「泥棒だ! 捕まえろ!」
怒号が市場に響き渡った。
ざわめきが波のように広がり、露店の人々が一斉に振り返る。
通りの向こうで、小柄な少年が麻袋を胸に抱え、転びながら逃げてくる。
その瞳には、ただの悪ガキとは違う、必死の光が宿っていた。
少年と共に店先から金貨がこぼれ、チャリン、チャリン、と石畳を跳ねながら転がった。
「止めろ、あいつだ!」
髭面の商人が顔を真っ赤にして追いかけてくる。
群衆は自然と少年の進路を塞ぎ、逃げ場を探す少年に冷たい視線を向けた。
「くそ!」
石畳に膝をついた少年は、袋を抱き締め、震える声で叫んだ。
「俺は、盗んでないんだ!」
第41話、ありがとうございます。
ここから“格が変わります”。
次回『泥棒少年と三日月の刻印』
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