第3話:進化の代償と体内に蠢く影
「消えた……?」
空っぽの手のひらを見つめ、悠真の背中に冷たい汗が伝う。
最強の一撃を放った直後の消失。絶望が脳裏をよぎった瞬間——
(……待て。まだ、体の中に『重み』が残っている?)
意識を集中する。右手の奥底に、ぼんやりとした淡い光の輪が浮かび上がった。
(来い……!)
強く念じた途端、空間がわずかに歪み、漆黒の《バースト・エッジ》が掌にずしりと実体化した。
その瞬間、右腕の奥が“軋む”ように脈打った。
「……っ」
一瞬だけ、自分の体の内側に“別の何か”が滑り込んできたような、得体の知れない感覚が襲った。
肉体が自分のものではなくなりつつあるような、冷たく粘つく違和感。
まるで自分の魂の隙間に、見えない指がゆっくりと入り込んでくるかのような——理由も正体もわからない、底冷えする恐怖。
だが、それも数秒で霧散した。
「……収納、か」
悠真は小さく息を吐いた。
どうやら進化した武具は、自分の意志で自由に出し入れできるようだ。
「はは……心臓に悪い仕様だな」
安堵の笑みが漏れたが、胸の奥に残った小さな棘は消えなかった。
この力は、本当に自分の味方なのか。
それとも——自分の体を、少しずつ蝕み始めているのではないか——そんな、根拠のない不安が、静かに頭の片隅にこびりつく。
危険なものなのか。
その答えは、まだ見えない。
翌日の夕暮れ。
市場で食料を買い込み、宿へ急ぐ路地裏で、悲痛な叫びが響いた。
「やめてくれ! それだけは……!」
「さっさと金を出せ、ジジイ!」
悠真が物陰から覗くと、二人のチンピラが年配の行商人を壁に追い詰めていた。
荷車には家族の生活を支える品々が積まれ、その後ろで十歳くらいの少女が祖父に必死にしがみついている。
少女の震える肩と、恐怖に濡れた瞳が、悠真の胸を刺した。
(どうする……? 相手は二人。武器を持ってる可能性もある。
でも、今の俺には『進化した武器』がある。試してみる価値はあるんじゃないのか?)
覚悟を決め、腰の剣に手をかけた。
心臓の鼓動が速まる。
「おい、お前ら」
低く、落ち着いた声で呼びかける。
二人のチンピラがギロリと振り返った。
その目は、明らかに場数を踏んだ「荒事慣れ」したものだった。
「……あぁ? 誰だてめぇ」
「消えろ。そうすれば痛い目を見ずに済む」
「ハッ! 威勢がいいな。おい、やっちまえ!」
短剣を持った男が鋭く突進してきた。
悠真は慌てず、懐から《幻惑の鏡》を取り出す。
昨日、市場で見つけた古鏡に『ルミナスグラス』で進化させておいたものだ。
悠真が鏡を突き出すと。
シュンッ!
夕暮れの残光を増幅し、爆発的な閃光が路地を埋め尽くした。
「ぐわっ!? 目があぁぁ!!」
「こいつ、ただの旅人じゃねぇぞ……」
チンピラたちの視線が一瞬乱れた。
その隙を逃さず、悠真は《水流の剣》を鋭く抜き放つ!
シュゴォッ!
刃先から冷気が溢れ、足元の小石を軽く斬ると表面が白く凍りつき、パキンと砕けた。
「なっ……!?」
「魔法剣だとぉ!?」
動揺した一人が闇雲に短剣を振りかざし飛びかかってきた。
悠真は左手に力を込める。
「召喚――!」
ドゴンッ!
左手に巨大な《岩石盾》が瞬時に出現!
同時に——
ガキィン!
短剣が岩肌に弾かれ、甲高い金属音を立てて跳ね返った!
「ぐっ……!?」
弾かれた男の腕が揺らぐ。
その隙を突き、悠真は氷剣を振り切った。
シュパッ!
刃先がかすめただけで、男の腕に白い霜が広がり、みるみる凍りつく。
「っつぅ! 冷てぇぇ!こいつ……やべぇぞ!」
ここまでは完璧だった。
だが、もう一人の男——大剣を構えた大柄な男は動じなかった。
その構え、足運び。明らかに素人ではない、元・冒険者の風格があった。
「……チッ、魔法具使いか。素人相手なら無双できたんだろうが、運が悪かったな」
その動きに、無駄が一切ない。経験と技量が、悠真を圧倒的に上回っていた。
男が地を蹴った瞬間、地面がズンッと低く鳴った。
(速い……!)
重い風圧が悠真の頰を叩く。
悠真は咄嗟に《岩石盾》を構えたが、男の狙いは中心ではなかった。
「甘いんだよ!」
ガァンッ!!
大剣の重圧を乗せた強烈な蹴りが盾の端を捉え、凄まじい衝撃が左腕を突き抜けた。
骨が軋むような痛みとともに、盾が大きく跳ね上がる。息が一瞬止まった。
「しまっ——!」
すかさず振り下ろされる大剣。
シュゥゥゥンッという恐ろしい風切り音が耳を劈く。
ガキィィィン!!
重い激突音が響き渡り、必死に出した氷剣が、質量と経験の差にねじ伏せられ、呆気なく弾き飛ばされた。
「終わりだ。ガキが分不相応な玩具を持つからこうなる」
大剣が脳天を狙って振り下ろされる。
完全に無防備になった悠真の首筋に、死の予感が冷たく駆け上がった。
その瞬間——
「……それは、こっちのセリフだ」
悠真は右手を伸ばした。
大剣が届く寸前、空間が歪み、漆黒の質量が「物質化」した。
「出ろ、《バースト・エッジ》!!」
「なっ……!? どこから……っ!?」
虚空から漆黒の大剣が至近距離で実体化し、男の腹部に深々と突き刺さった。
ドォォォォンッ!
ゼロ距離での衝撃波。爆発に弾かれ、その巨体が木の葉のように路地の壁まで吹き飛ぶ。
「ガハッ……!」
男は白目を剥き、そのまま崩れ落ちてピクリとも動かなくなった。
路地に、重い静寂が落ちた。
「た、助かった……! 本当に、本当に感謝するよ! いやぁ、あんな妙技、見たこともない……。この恩は一生忘れん!」
老人が涙声で何度も頭を下げる。
少女はまだ震えながらも、小さな声で「……おにいちゃん、ありがとう……」と呟いた。
悠真は激しく脈打つ右手をポケットに押し込み、なんとか笑みを浮かべた。
勝った。
追放されて以来、初めて誰かを守れたという実感が、胸の奥を熱くした。
——しかし。
右腕の奥で、再びあの“何か”が蠢いた。
自分の体内に知らない存在が根を張り、這い回っているような、静かな恐怖。
王城の冷たい視線が脳裏に蘇る。
拳を、骨が軋むほど強く握りしめた。
(やれる……俺は、やれる)
だが、同時に——
(まだ、全然足りない。あいつらに笑われる程度じゃ、絶対に足りない)
視線を落とす。
手のひらで空間がゆっくりと歪み、まるで息をしているように脈打っていた。
口元が、静かに、深く歪んだ。
――この力は、俺をどこへ連れていく?
英雄か、怪物か。それとも、取り返しのつかない“何か”か。
第3話、ありがとうございます。
ここから“差”がはっきりしてきます。
次回『忘却の谷と霧の呼び声』
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