招かれた友
前回から十日ほど苦行していました。
原稿用紙換算30枚。
ご感想・ご意見などいただけたら幸甚です。
【あらすじ】
私(三原孝幸)は、大学時代に同じサークルだった同級生の益田有生斗と瀬戸内彩良の結婚式の招待を受ける。
しかし有生斗が、やはり同じサークルだが彩良を巡って自分の恋敵だったはずの徳山宝も招待したい、そして有生斗がかつての宝との遺恨を謝罪したいと申し出てきたので当惑する。
宝は意外にも快く有生斗の招待や申し出を受けるが、寛大さの裏にはこれまで明かさなかった事情があって……
1.
東京の桜の開花にはまだ早い三月の半ばである。
私の元に、とある地方大学の学生時代に同じアウトドア・サークルに所属していた益田有生斗から結婚式の招待状が届いた。
連名で書かれている結婚相手は、同じサークルの同期だった瀬戸内彩良。結婚式の日取りは三箇月ほど先の六月半ば。招待状を送る時期としては、まぁ妥当なところだろうか。
この二人は大学三年生の春以来もう八年近く付き合っている。だからけっして意外な組み合わせではない。しかしそれでも、文面を見たとたんやっぱり結婚するのかと少し驚く気持ちが湧いた。
何しろ「永すぎた春」の間には一度別れたり遠距離恋愛になったり、紆余曲折もあったと聞いていた。だからよく「ゴール」したものだと思う。
何にせよめでたい。
招待状の出欠確認に「喜んで出席させていただきます」と書き入れていたら、私のスマホにメールが来た。有生斗からだった。
“同じサークルの者同士の結婚なので、先輩後輩同期、なるべくたくさんの人が参加してくれたら二人とも嬉しく思う”
私たちの所属するサークルは半世紀以上の歴史がある。登山やキャンプなどの活動内容もさることながら、代々アットホームな雰囲気なのが売りで、毎年入会者が多かった。幽霊会員も相応にいたが、一応全学年合計で百人くらいはいる。
そのサークルで、私は三年時に半年の間会長を務めた。山登りのリーダーも何回もやった。つまり自慢になるのを承知で言えば、私は人徳があるのだ。卒業後も同窓生とのつながりは多く持っているから、周囲からもあいつは顔が広い奴だという定評がある。また他人に頼まれごとをしたり相互の連絡係をするのは苦にしないので、同窓会の幹事を買って出ることもあった。
そういう私だったが、次に届いた有生斗からの文面は意図を測りかねた。
“ところで三原は宝の連絡先は知ってるよね?”
何故意図を測りかねるかというと、学生時代有生斗と宝は、有生斗の結婚相手である彩良を巡って争う恋敵だったからである。有生斗が彩良と付き合い始めた大学三年生以降は、不倶戴天といえる険悪な仲だったのだ。そういう宝を、なおかつ私に連絡先を尋ねるくらいだから現在音信を断っている宝を、急に思い出したように招待しようとするのは、社交辞令にしてもよく分からなかった。
“本当に宝を呼ぶ気なのか? というかどういう風の吹き回し?”
しばらくして返信が来た。
“同じサークルだったのに宝だけ誘わなかったら不公平だろ。とりあえず、宝に来る気があるかどうか、確かめてみてくれないか? あ、彩良も宝を呼びたいってさ”
有生斗は何だか一方的だったが、私は逆に、変に公平に扱うのは宝がかえって嫌がるのではないかと考えた。それに、恋敵を結婚式に呼ぶのは物議を醸しそうな気がする。縁起でもないこととは思わなかったのだろうか。
しかし、結婚となれば本人にとっては一生のうちの一大イベントだし、私から差し出がましく何かを提案する義理はない。だからダメで元々という気持ちではあったが、私は宝に連絡をしてみることにした。
2.
宝。
名前は徳山宝という。「宝」と書いて「たかし」と読む。難読だからだいたいみんなから「宝」の通常の読みである「たから」、あるいは後輩からは「たからさん」と、親しみを込めて呼ばれていた(私は三原武幸という堅苦しい名前なので、変哲もなく苗字で呼ばれるだけだが)。
かつては私たちと大学の同級生だった。とりわけ私はサークルのみならず同じ法学部で、なおかつ憲法のゼミ仲間でもあった。だから腐れ縁だった。私にとって、大学三年生の途中までは、一緒にいる時間が最も多かった学生は徳山宝だったと言っても過言ではない。さっき有生斗が頼んできたのも、私の顔が広いこともあるが、元々こうした事情があって、なおかつ今でもたまに会っているという点も考慮したのだろう。
とはいえ、引き受けはしたものの、宝にどうやって切り出せばよいか迷う。
確かに、本来は今から八年ほども前の学生時代のことなら、いくら恋敵だったとしても、もうわだかまりや遺恨などはないと思う。そんなに長い年数があれば良い意味で忘れるものだし、新しい恋人を見つけるのにも充分すぎる時間だ。
しかし私は、こと宝については有生斗のことを今でも恨んでいてもおかしくないと考えていた。
今思い返しても宝は気の毒だった。なおかつ責任の一端は私にもあるから、忸怩たる思いがする。
当時の宝が彩良に思いを寄せていたのは、サークル内の多くの人が知っていたと思う。宝本人は自分の気持ちを打ち明けたことはなかったが、そこは「忍ぶれど色にいでにけり」で、言動を観察していれば察しがついた。
しかしそれにもかかわらず、いや、だからこそ、のつもりだったのだが、有生斗も彩良も、そして私を含めて誰も、付き合い始めたことを宝には教えなかった。ほかの会員たちも、宝の前ではその話題を避けさえしていた。
もし宝が知ったらどうなるか。
きっと大きなショックを受けて落ち込むにちがいない。あるいは嫉妬に狂って激高し、有生斗に暴力を振るって血を見るような争いにならないとも限らない。そういう想像をされるくらい、少なくとも当時の宝には激情なきらいがあったのだ。
だから忖度した。
あまつさえ、有生斗と彩良がさっさと別れてしまえば、宝に対してはうやむやにできると考えていた。あるいは、しばらく教えないでいるうちに宝が彩良とは別の女子に熱を上げるか、彼女でもできれば都合がよいとも考えていた。実際宝は、サークル内でも法学部の中でも女子から噂されることがあったから。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
百人くらい会員がいるといってもそこは狭い世界だ。その上恋愛関係の話に首を突っ込んだり噂したりするのが好きな者はどこにでもいる。だからいつかは広まってしまう。
半年近く経った十月、有生斗と彩良が交際していることはついに宝の知るところとなった。別に宝は何かを疑ってあちこち情報収集をしていたわけではない。飲み会に同席していた同期が、酔って口を滑らせたのをたまたま聞き咎めただけだった。
寝耳に水のこの話を聞いた途端、いつもは涼し気で端正な宝の顔つきが変わったのが、居合わせた私の目にもはっきりと分かった。その場の雰囲気は凍り付いて、口を滑らした者の顔から血の気が引いたくらいだった。
その後宝に問い詰められた私が正直に打ち明けると、予想通り宝は荒れた。自分の知らない間に彩良を奪った有生斗に対して、激しい嫉妬と怒りを露にした。
「納得いかない。いつの間に付き合ってたんだあいつら」
「半年くらい前からだね」
「三原、お前知ってたのか」「まあね」
「知ってたんなら何で教えなかった?」
「いや、宝ってそういう恋愛関係の話に興味なさそうだったからさ」
「何だと? お前ら俺を蚊帳の外に置いて笑ってたんだろ?」
宝は私の胸倉をつかまんばかりだった。
それにしても、「興味なさそう」とは我ながらヘタレな言い訳をしたものだと、私は今でも宝に申し訳なく思っている。
「蚊帳の外に置いた」と言われたら確かにその通りだ。私たちにどのような意図があろうと、宝にしてみれば仲間外れにされていたという疎外感もとても大きかったにちがいない。何となればほぼ全員敵に見えていたのではないかとすら思う。
有生斗も彩良も私も周りの者も皆、教えないことに何だかんだと理由をつけていた。しかし、結局は露見するのを先送りしていたにすぎなかった。この点についても、私には反省がある。
有生斗と彩良の言動も、宝に恨まれてもしかたがないものだった。
まず有生斗。
それまで他の女子と付き合っていたのに彩良に乗り換えた。そして、宝が彩良のことを好きなことはちゃんと知っていたくせに、彩良と付き合い始めたことを宝に打ち明けるという「誠意」も見せなかった。つまりただの抜け駆けである。しかも周りにも「宝には言わないでくれ」と頼んでいた。
宝は何も知らせてもらえなかった。だから当然誰かに気兼ねする必要も感じることなく、ずっと彩良とは親し気に話していた。有生斗はこれを快く思わなかった。そしてある日、仲を疑った有生斗はサークルの飲み会で居合わせた宝に殴り掛かったのである。
何が何だかまるで分からない顔つきをしながら宝が抗議して、その光景を目撃した周りの者が有生斗を羽交い絞めにして止めた。
有生斗は宝の人となりを知っていたはずである。少なくとも当時の宝は、思いを寄せた相手に自分の気持ちを打ち明けられるタイプではなかった。ましてや他人の彼女を奪うなどという手練手管など持っているわけがなかった。それにもかかわらず、有生斗は宝を間男ではないかと誤解したのである。
痛くもない腹を探られた宝は、いい迷惑だった。
周囲の人たちも有生斗に「お前が悪い、理由も打ち明けずに殴り掛かったのはひどすぎる」とたしなめたことがある。しかし有生斗が宝に謝罪したという話はついぞ聞かなかった。確かに虎の尾を踏むことになるのは目に見えている。とはいえ宝を猛獣にしたのは有生斗の自業自得なのだから、いかにもかっこ悪かった。
次に彩良。
彼女の言動も問題だった。本人には悪気や下心はないが、彩良は誰にでも気さくで愛想がよかった。知った顔を見つけると手を振る、距離が近ければ体に軽く触れてくるのは朝飯前。酔えばしなだれかかることもあった。しかも彩良の見た目は目が円らで唇が厚ぼったくて中背で豊満で、いわゆる男好きのするタイプだった。だから勘違いする、あるいは言い寄る男どもがサークル内にも相応にいたのだ。
宝もまた、彩良は自分に気があると思い込んでいた節がある。しかも彩良は有生斗と付き合い始めてからも、宝に対する言動を特に変えなかった。だから長い間宝の思い込みは解消されず、ほかに付き合っている人がいるとは想像できなかったらしい。
当時の宝は、酒が入ると顔を赤くして有生斗と彩良のことを「裏切り者」とか「あいつらまとめて地獄に落としてやる」などと罵ったものだった。
しかしそういうことを口にする度に、私はたしなめた。今更そんなことをしても自分が惨めなだけだと言って。
「今更って、どいつもこいつも俺に何も教えなかっただけだろうが」
「宝。気持ちは分かるけどさ、お前だって自分の気持ちをちゃんと彩良に言ったことないだろ。こういうのって言った者勝ちってところがあるからさ。そういうのはちゃんと理解した方がいいぞ、マジで」
宝はこの騒動があった後、それまでは同期の中では屈指の熱心さだったのに、サークルに参加しなくなった。積極的に発言していた法学部のゼミでも、腑抜けて塞ぎ込んだ感じになってしまった。
やがて大学からも消えた。
これについては、時期が時期だっただけにちょっと見下す感じの根も葉もない噂も流れた。失恋のショックでサークルにいづらくなったらしいとか、有生斗から彩良を奪い返そうとして失敗したらしいとか。
しかし実は、宝が消えたのは失恋とは無関係だった。私も詳しく聞いたことはないが、心か身体かが病気で休学したのだった。それは復学するまで長期間を要するもので、だから宝の大学の卒業は通常より二年遅れてしまった。
そういう本人の苦境も知らず、当時の私は宝が恨みを募らせた挙句何かやらかすのではないかと疑っていた。だから消えてくれて助かったと思わないではなかったのだった。
3.
私が前回宝に会ったのは今から二年ほど前。ややご無沙汰している。
果たしてまともな返信が来るのか、そもそも無視されるのではないかと心配しながら宝にメールを送った。もしかすると有生斗と彩良が結婚すると聞けば、かつての気持ちがぶり返してしまうかもしれないと懸念した。
迷いながら送った私の連絡への返信は、五分ほど後に届いた。休日とはいえとても早い。しかもその文面は殊勝だった。
“連絡ありがとう。まずは二人におめでとうと伝えてくれ。結婚式の招待状の送り先は、大阪市―。メールアドレスは……”
どうやら宝は結婚式に出席する気らしい。意外だった。
むろん宝の住所はすぐ有生斗に転送させてもらった。
間を置かず有生斗からお礼が来た。
“三原、仲介ありがとう。じゃあ宝にも招待状を送るよ。それからまた頼みごとをして悪いけど”
私はぎくりとした。
“結婚するまでに、宝に会いたいんだ”
やっぱり厄介な頼みごとだった。
“あのなぁ有生斗。会いたいって言っても俺たちは今東京だけど、宝は大阪にいるんだぞ”
“知ってる。何なら俺が大阪に行ってもいい”
“そこまでするのかよ。もしかして有生斗は宝と仲違いしたことを今でも気にしてるのか?”
“うん。俺たち結婚するし、やっぱり今からでも謝った方がいいと思って。それは彩良も同じ意見”
―虫のいいことを言ってやがる―
私は内心で有生斗のことを非難した。今更謝ると言うのは、彩良と結婚するのは自分だという勝ち誇った気持ちがあるからこそのような気がする。それに、仲違いしたことを気にしていたのなら、どうしてこれまで私に仲介や伝言を頼んでこなかったのか。
彩良も彩良だ。思わせぶりな言動を取りがちなことは、同期の女子のリーダー格である倉吉陽菜その他数人からたしなめられたことがあったはずだ。そして、自分が彼氏とそうでない人とで意識的に言動を分けることがなかったことが宝も有生斗も混乱させ、無用の争いまで招いたことについて、どの程度の反省があるのか。
“有生斗、あんまり期待するなよ。これはさすがに宝が受け入れてくれるとは限らないぞ”
“分かってる。そこを何とか”
宝は現在、大阪で鉄道会社の社員をしているが、元は東京生まれなので実家は都内にある。そしてうちの大学の卒業生には勤務先が東京という者は多い。だから、宝はその気になれば帰省した際に誰かと同窓会をすることもできそうではある。しかし彼は現在、私を除いてはほぼ誰ともかかわりを持っていないという。
“有生斗が会いたいと言うなら俺も構わないよ”
私の打診に対して、宝はものの数分で返信をよこした。その早さから察するに、宝は何のわだかまりも持っていないように思えた。もっとも「有生斗が会いたいと言うなら」であって、宝自身が会いたいと書いているわけではないが。
とはいえ有生斗の謝罪を受け入れるというのは意外だった。謝罪を受け入れたら許さなくてはならない。宝にはそれができないだけのわだかまりや恨みがあってもおかしくないと、私は疑っていたのである。
私は約束を取り付けた。
“宝。ゴールデンウィークに東京に帰省するんだろ? じゃあ、有生斗と会うのは五月三日でどうだ?”
“了解”
“じゃあ、当日は午後六時に新橋駅前のSL広場で待ち合わせよう”
もっとも、実際には当日、私は昼間から宝と二人で会うことになった。
その後宝にこんな意味ありげな連絡をもらったからだった。
“有生斗に会う前に、三原に話しておきたいことがあるんだ”
昨夜までの雨が上がって、初夏らしい陽気の一日である。昼過ぎ、私は喫茶店のオープンテラスで宝と差し向かいに座っていた。
改めて、宝の顔を正面から見る。
相変わらず白皙で端正な顔立ちをしている。背も高いし、学生の頃から服装の着こなしも垢抜けている。かつては法学部の勉強もサークル活動も熱心だった。法学部でゼミ対抗ボウリング大会を開催した時、宝は二百を超える出色のスコアを出して優勝したこともある。
だから宝は、本来はモテる。実際サークルの後輩の女子の一部から憧れの的になってはいた。ゼミの女子から好意を持たれたこともある。
しかし、宝本人は異性が至って苦手らしい。ゼミでは活発に喋るが本来は寡黙で話下手で無愛想だ。誰かの心をときめかせる術は持っていない。だから女子には第一印象では好感を持たれても、結局失望される。いつも「何かこの人いいかも」止まりなのだ。
有生斗に抜け駆けされたのも、宝がこういう性格なのも原因だと思う。彩良も宝に心惹かれたことはあったはずだ。しかし、この人は結局どこか物足りないと辛口の評価をしていたのを、私も聞いたことがある。
私はおもむろに口を開いた。
「……で、あらかじめ話しておきたいことって何?」
宝は大学を休学して以来、有生斗とは一度もまともに会っていない。宝が復学した時有生斗は工学部の大学院にいたが、大学のキャンパスは広いし生活スケジュールも異なっているから、ろくに顔を見たこともなかったという。もっとも会っても挨拶する仲ではなくなっていたが。
「宝。もしかして、有生斗と久しぶりに会うから何を話していいか分からないっていう相談なのか?」
「まさか。そんなわけはない」
宝は端正な顔つきに笑みを浮かべて話し始めた。
「実は」
その内容が意外なものだったので、私は驚いた。
「ほんとかそれ」「ほんとだよ」
宝は屈託がなかった。
4.
有生斗は宝に謝罪したいと申し出ている。しかし、だからといって黒いスーツを着て神妙に頭を下げるほどのことでもない。だから久しぶりに会うんだから積もる話でもしようや、という程度の誘い方をしてある。場所も新橋駅近くの居酒屋で、サラリーマンが仕事帰りに、というか私自身が職場の人たちと時々訪れるところだった。
有生斗が現れた。
彼も宝同様、垢抜けた服装をしていた。少々くせ毛の黒い髪はさっぱり刈り込んでいる。浅黒い肌で目が大きい。抜け駆けした男だが狡猾そうではなく、学生時代は話し方も快活だったし、むしろ人懐っこい印象を受ける。白皙だが話下手な宝と比べて、あるいは有生斗の方が異性を惹き付ける魅力があるのかもしれない。工学部の情報工学の大学院を出て、現在は横浜の大手メーカーの工場でエンジニアをしている。
「久しぶり」
よそよそしい感じではあったが、有生斗と宝はおよそ八年ぶりに会話を交わした。
居酒屋の半個室に席を占めると、まずはビールで乾杯した。飲んで気分がほぐれたところで、有生斗は席を立った。そして彩良と付き合っているのを黙っていたこと、自分が宝と彩良が親し気に話しているのを勘違いして殴り掛かったこと、そしてこれまで長い間謝罪しそびれていたことも詫び、頭を下げた。
「その節は、申し訳なかった」
「有生斗、そんな堅苦しいことをするなよ」「いや、でも」
「誰にでも言いたくないことはあるし、勘違いはある。昔のことを蒸し返さなくてもいいよ。だって八年だっけ、もうそれくらい前のことだぞ。お互い忘れようや」
宝が寛大なことを言った。
有生斗はいかにも肩の荷が下りたような顔つきをして、笑みを浮かべた。
とりあえずは仲直りである。
この場面だけを見たら、誰しも宝が過去を水に流す気概を見せたと判断するにちがいなかった。
乾杯のビールの後はめいめい好きな物を注文した。
しばらく学生時代のことを話した。
沼に映える朝焼けの山が美しかったこと、そこにしかない高山植物を撮影して、今でも大事に飾ってあること、冬に山スキーをしたこと。
それらとは別に、会員が多い私たちのサークルはそれなりに恋愛沙汰もあったから、その昔語りもして他愛なく盛り上がった。有生斗たち以外にも結婚しそうな二人がいて、今度は彼らの結婚式に出ることになりそうだと言い合ったりした。
一時間ほど経って、宝がトイレに行くと言って中座した。
すると、有生斗は宝が消えるのを確かめるように見送った。そして、氷の入ったグラスに口をつけながら私に打ち明けてきた。
「実はさ、彩良って昔、宝に気があったんだよな」
「それは知ってる」
「そうか。三原ってやっぱり事情通だな」
「伊達に会長だったわけじゃないからね」
「そうか。ま、言い訳がましいけどさ、だから当時の俺は宝のことが許せなかったんだよな。自分でもよく分からないんだけど、嫉妬というかさ、そういう気持ちってどうしても出てくるもんだろ? 我ながらみっともないけど」
「みっともないと思ってるんなら、もうその話をすることはない。さっきで手打ちにしたんだしさ。昔は昔。そういうこともあったね、で笑っておしまい。ま、いろいろあったんだろうけどさ」
「いろいろあった、って何か知っているみたいな言い方だな」
「まさか。俺は週刊誌の記者じゃない」
私はそう答えて焼酎のロックのグラスに口をつけた。
「そうか。でも三原、顔が赤いってことは相変わらず酒はあんまり強くないみたいだな」
「まあね。焼酎飲んでるけど、どっちかっていうと下戸だな」
「もっと酔わせたら何か秘密のことを打ち明けるかもな?」
「だから何もないよ」
「まぁ怒るな。冗談だよ」
焼酎の氷が甲高い音を立てた。
5.
有生斗にはけっして打ち明けない。
宝が、六年ほど前に有生斗の婚約者の瀬戸内彩良と付き合っていたことは。
そもそも私もその日の昼間、宝に打ち明けられて初めて知った。当時私は大学を卒業してとある銀行に就職し、東京に転居した時期だったから、知る機会もなかったのだった。
私に打ち明けた宝は尋ねた。
「これって今日、正直に有生斗に話した方がいいかな」
「いや……」
私は少し考えたが答えた。
「宝。話さなくていいよ。俺も絶対黙ってる。変な言い方だけどこれで五分五分。それに」
自分の婚約者が過去どんな男と付き合っていたか、この期に及んで知らせるのは野暮というものだ。過去何があろうと、結婚は二人の将来の幸福を祈るために出席するものだと思う。いろいろな思いはあったにせよ、それでも今の宝に二人を祝う気持ちがあれば充分だろう……。
「まぁ、そうだよな」宝は満足そうに答えた。
「それにしても宝。その時よく有生斗にバレなかったな」
宝はこともなげに答えた。
「バレたら開き直るつもりだった。あの当時の有生斗に、何か言えた義理はなかったからさ」
宝が病気による休学期間を終えて復学した時、先に大学を卒業して社会人一年目だった彩良は、そのまま私たちの大学のある都市で就職していた。このため、宝とは同じ市内に住んでいたのだった。
繰り返すが、有生斗と彩良が付き合い始めたのは確かに八年前からではあるものの、現在までの間に紆余曲折があった。一度別れてまたよりを戻してもいる。別れたわけではないが、有生斗の浮気が原因で喧嘩して仲が危うくなった時期もあったという。そしてそれは、彩良が宝と同じ市内に住んでいた時期と重なっていた。
彩良は元来明るくて気さくだが、この時はさすがに落ち込み、気分が荒んでいた。それに、新卒の社会人として今後の生活に不安もあったらしい。それで彩良は、自棄気味に宝に近づいた。えてしてこういう時に側にいてくれる人は頼りに感じるものだ。それに元は憎からず思ったこともある宝である。だから彩良は宝に心を許した。
宝の方も、彩良にはかつて思いを寄せていた上、有生斗に対するかつての遺恨もあった。だから彩良が秋波を送って来たのを渡りに船とばかりに受け入れたのだという。
むろん、この時彩良は有生斗とは一応別れてはいない。だから彩良は自分も浮気しているという後ろめたさもあって、有生斗にバレないよう注意していた。宝は言わずもがな。有生斗に打ち明けるなどという殊勝な気持ちを持つわけがなかった。
有生斗はまだその当時大学院に在学中だったが、同じ大学といってもキャンパスは広いし人数も多いから、彼らは鉢合わせする機会はなかった。
もっとも、宝と彩良の恋愛関係は、半年余りで終わったらしい。
別れたのは、宝が彩良のことを嫌になったからだった。
彩良は奔放な女性だ。恋多き女性で、一時的には宝のことが好きだったが、その後案の定職場の先輩その他の男が気になり始めたらしい。そして宝は彩良がそうした言動をしても、どういうわけか何とも思わなくなっていたという。
「確かに憧れた人だったけど、いざ付き合うと自分とは波長が合わないと思った。それとさ、こんなこと言うと女性を見下していることになるけど、釣りにたとえると男って釣るまでは熱心な割に、釣れた魚に餌をやる気ってのはなくなるんだよな。何て言うかさ、付き合う前の方が情熱が上で、はるかに好きだった気がする」
宝はコーヒーをすすり、苦笑いした。
私は宝に共感しながら尋ねた。
「じゃあ、彩良が結局有生斗とよりを戻して結婚することになったってのは何とも思わないんだ?」
「まあね。俺は彩良と付き合って、それで合わないと分かったから何とも思わない。薄情なもんだけどね、結局俺は彩良が誰かの彼女ってことが許せなかっただけなんだな」
六月半ばの有生斗と彩良の結婚式当日、かねての意思表示どおり宝は大阪から東京まで駆け付けた。久々に会うサークルの同期が何人もいたから、彼らと旧交を温めてもいた。その表情には何の曇りもなく、心から有生斗と彩良の前途を祝いに来ているようにしか見えなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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