1-25.ペガサス
広間にはたくさんの人が、魔物が来るのでは、という不安を抱えている。
朝が来た、と言っても、夜よりは気分的に楽だというだけで、不安が消える訳ではない。
神出鬼没の魔物から守るために、この広間には子ども達を集められている。だが、幼い子どもがこんな環境に、いつまでも耐えられるものではなかった。
決着が着くのは、時間の問題。だが、小さな子どもに、それをわからせるのは無理なこと。
ユニ・ブランもナーチェも、彼らを世話する他の女性達も。そちらの方に手を取られて、元気になった飛鳥にずっと構ってはいられないようだ。
飛鳥も、その場でぼーっとしていても仕方無い。なので、動き出した。
広間から出ても、誰かが声をかけることもなく、止められることはない。ユニ・ブランもナーチェも、気付いていないようだ。
ここから出てしまえば、恐らくはもう誰にも止められることはないだろう。
飛鳥は、サンジュリアン達を捜した。
あんな目に遭ったのだから、何かをしようとはさすがに思わない。だが、逆にあんな目に遭ったのだから魔物の最期を見届けてやりたい、という気持ちがある。
一緒にくっついて行けば、昨日のように足手まといになりかねないし、リラック達に当然ながら反対されるだろう。
特に、サンジュリアンがまた怒鳴りかねない。
だから、飛鳥はこっそりとついて行くつもりでいた。
魔法使い達が魔物を追い詰め、消滅させるのを見ていたい。隠れて行くつもりだから、足手まといにもならないはず。
ユニ・ブラン達が知ったらまた叱られるかも知れないが、今は忙しそうにしているからいいや、と飛鳥は実に安易に考えた。
普段の学校生活などではこんなことはしないのに、なぜか今は「やらない」と言いつつやる、狼少女みたいなことをしてしまう。
この世界の空気のせいか、前世の行動パターンが無意識のうちによみがえっているのか。
手っ取り早く彼らを見付けるため、飛鳥は昨日登っていた木の上に行った。こういう広い場所で人を見付けるには、高い所へ行くに限る。
「あ……いたいた」
魔法使い達は、門の所に集まっていた。そばには、ジュリエンナ姫の姿もある。魔法使いや兵士に混じっていても、それ程大柄でもない彼女は目立っていた。
「女にしとくの、もったいない人やな」
飛鳥は木を降りて、門へ向かう。だが、飛鳥が着くまでに、魔法使い達は出発してしまっていた。
木の上から見掛けた時にいた、少数の兵士達やジュリエンナ姫もいない。魔法使いではない彼らも、一緒に行ったのだろうか。
「待てよ、魔法使い以外の人間が行くということは、昨日よりも危なないゆうことやな」
飛鳥は、かなり短絡思考である。
一緒に行ったかを確認していないくせに、そう思い込んだ。
そもそも、彼らが普通の人間ではなく、戦士だという重要な点も忘れている。
危険を承知で、魔物のいる場所へ乗り込んで行くのだ。何も技のない百姓や商人が、現場へのこのことついて行くのとは訳が違う。
飛鳥はそういう大切な部分を抜かして、魔法使い以外の人間が一緒だ、という部分だけを見ていた。
「どれだけか知らんけど、サンジュリアンがそこそこに傷を負わせたって聞いたもんなぁ。あとちょっとでとどめ、かな」
もうこの時点で、飛鳥の頭からは「危険」という文字が消え、映画のラストシーンを見るために動いているようなものだった。
この世界の移動手段は、馬か馬車くらい。さっき木の上から見た時は、魔法使いのそばに馬がいた……ような気がする。もう姿が見えないのは、馬で移動しているからだろう。
彼らに追い付こうと思えば、自分にも馬が必要だ。普通に歩いていては、肝心の場面を見逃してしまう。急がなくては。
「馬って、乗ったことないしなぁ。だいたい、馬屋がどこにあるかもわからんし」
すぐに馬屋を見付けたとしても、それに乗れるかどうかが一番の問題である。仮に乗れたとして、未経験者がいきなり馬を走らせられるはずもなく。
「こういう時、ほんまに風に乗れたら早いのに……」
文句をつぶやく後ろで、こつんという軽い音がした。石畳を蹴る蹄の音みたいだったが、それにしては音が軽すぎるような。
飛鳥は後ろを向くと、そのまま絶句してしまう。
そこには、真っ白な馬がいた。しかも、普通の馬ではない。
背中に、一対の見事な翼が生えている。とても作り物には見えない。
目が痛くなる程に白い身体と、真っ青な瞳。
どうしてこんな生き物が存在するのだろう、と思ってしまう程に美しいペガサスだ。
(懐かしい風の匂いがした。お前だったのだな)
直接頭に響く声。それが、目の前にいる白い馬の声だということに、飛鳥はあっさりと納得した。
(お前がいなくなって、少し気が抜けた。私にはケンカ相手というものが必要だということが、よくわかった。お前のおかげで)
ペガサスが一歩、飛鳥に近付いた。飛鳥はその場に立ったまま、ペガサスを見ている。
(……私がわかるか?)
飛鳥が呆然として見ているので、ペガサスが確認する。
「風の使い……風と生きる者……ペガサス、ミュスカデル」
飛鳥はペガサスをその目で見るのは、もちろん初めてだ。本やアニメでしか見たことはない。
だいたい、ペガサスは飛鳥の世界では存在しないのだから、見られるはずがないのだ。
でも、頭のどこかで「このペガサス」を覚えている。サンジュリアン達の名前が勝手に浮かんできたように、このペガサスの名前もちゃんと浮かんで。
不思議な生き物を前にして、飛鳥は息を飲んでいた。同時に、懐かしさで胸が一杯にもなっていたのだ。
「ミュスカデル、変わってないなぁ」
初めて見た相手だが、飛鳥はそう口にした。
そう、きっと変わっていない。最後に一緒に風に乗った、あの時のまま。
(人間にその名を呼ばれるのも、久し振りだ)
ペガサスの碧い瞳に、優しい表情が浮かんだ。
いつの間にか、飛鳥はペガサスの頭をそっと抱いていた。
「ミュスカデル、なんでうちがここにいるってわかったん?」
(偶然、ここを通り掛かった。懐かしい風の匂いがして、降りてみるとお前がいた)
「……うちがトゥレーヌとちゃうって、わかってる?」
魔獣に「生まれ変わり」という概念はあるのだろうか。
(ああ。だが、お前という存在は、変わらない)
人間にはわからない感覚で、彼らは認識しているのだろう。
「そうか。あんたに会えて、嬉しいわぁ」
それから、飛鳥はふと気付く。
このペガサスは昔の友。それなら、自分にも乗れるはずだ、と。
「ミュスカデル、うちを乗せてくれへんか?」
(なぜだ)
「魔法使い達を追い掛けたいねん。シェルヴァンナを襲う魔物を退治しに行ってるんやけど、うちも昨日、そいつに襲われてん。このままじっとしてるんも腹立つから、見に行きたいんや」
(くだらん。私はお前の使い走りではない)
予想に反し、ペガサスはあっさり断った。
考えれば、やじ馬のパシリなんて、プライドの高い魔獣がするはずもない。でも、飛鳥はそんなことなど、おかまいなし。
「くだらんて、何やな。うちらにとっては大問題や。うちはほんまにやられそうになったし、この国の子どもも魂抜かれて大変なんやで。やっと魔法使いが魔物のいる場所を突き止めて、そこへ向かってるんや。うちもそこへ行きたいねん」
(なぜ、自分の足を使わない)
「使ってもすぐに追い付けへんからや。みんな、馬で行ってんねんで。知らんけど。人間の足で追えるはずないやんか」
(お前は今、私を従えさせるだけの魔力はあるのか?)
「そんなん、ないわ。うちは魔法なんか使えへん。うちは別世界の普通の人間として、生まれ変わってるんや。それに、ちょっと乗せてって頼んでるだけやんか。従えるとかどうこうしな、あんたは動けへんのか」
この時点で、飛鳥はちょっと切れかけている。
(私より魔力がある人間にしか、私を従わせることはできない。それ以外の人間に対して、私は自由を奪われたりしない)
ミュスカデルのことは思い出しても「トゥレーヌだった自分が、魔獣召喚の術でこのペガサスを呼び出して、うんぬん」などという細かい所まで、飛鳥は思い出せていない。
だから、断られる理由がわからなかった。





