14
俺はドロシーさんに、何故か剣の稽古をつけてもらっていた。
ドロシーさんは誰が見ても疑う者なのいなほどの美女だ。
その赤毛のロングヘアーをなびかせながら、俺の剣を受けるドロシーさん。
ここは家の外だ。
民家の周りは草木が生い茂った桃源郷のような場所だった。
花々が咲き乱れ、近くに滝があるのか、水の音が聞こえる。
「そこから前に1歩前進よ!」
「はい!」
剣を構え、突きの練習に励む。
「違うわ! もっと前に踏み込むのよ! それじゃあ相手に届かないわ!」
「いや、こんな短い脚で! そんな長い距離を移動できるわけがないじゃないですか?! 俺はクマのぬいぐるいなんですよ?!」
そう、俺はピンクのクマ。
気付くと俺はぬいぐるみになっていたのだ。
「そ……そうね。それもそうよね……じゃあ、少しずつ出来るようになっていきましょう」
俺がこう言うと、ドロシーさんは直ぐに目を逸らし、言葉を濁す。
そうとう反省しているというか、気にしているらしい。
「今思ったんですけど? 何でドロシーさんは俺に剣を教えてるんですか? 俺は怪我人だし、それにドロシーさんとは、さっき会ったばかりの他人ですよ?」
するとドロシーさんは神妙な面持ちで――
「あなたはこの『忘れられた地』を知らなかったでしょ? 名前すらも」
「はい……」
「だからよ」
「だから?」
どうやらここは『忘れられた地』という名前の秘境らしいのだ。
「ここはね? 名前を知っていて、さらにこの地がどこかにあると信じた者しか辿りつけない、そういう場所なのよ? 昔は当たり前だったけど、今では誰も知らない場所。だから、何も知らないあなたがここにいること自体、おかしいのよ」
「はあ……」
「これは何かの兆しよ。私はそう思うわ」
言っている意味がよく分からないが、この人は俺がここに現れたことに、運命的な何かを感じているらしい。
「さあ続きを始めましょう! これが終わったら次は魔法の特訓よ!」
「ええ! でも俺、魔法なんて知りませんよ?」
「大丈夫よ。あなたはちゃんと器を持っているから」
「はあ……」
俺は気のない返事で答えた。
その後、剣の練習はしばらく続いた。
俺があまりに不器用なこともあり、魔法の特訓を先延ばしにし、剣のみに集中したのだ。
そして何日か経ち、ようやく魔法の練習に踏み切ることになった。
「じゃあ説明を始めるわね? 要は魔法とは、空気中のマナを自身の器に集め、それを用いて放つ力のことよ」
つまり集めたマナと『知識』を用いて、繰り出されるのが魔法ということだ。
「いい? まずは『詠唱』が大事よ?」
「詠唱……ですか?」
「そうよ。まずは詠唱を行い、器を開くの。そしてマナを呼び込む」
「でも……じゃあどうやればいいんですか?」
俺はくまちゃんサイズの口で質問する。
「“我、沈黙を破る”……これが第一詠唱よ。内にある器に集中しながら、唱えるの」
するとドロシーさんは、自分のお腹の辺りを摩った。
「イメージはここよ。ここに器があると思えばいいわ。じゃあ私がお手本を見せるわね?」
「はい」
するとドロシーさんは、詠唱を始めた。
「【我、沈黙を破る……】!」
その瞬間、ドロシーさんの足元に、紫色の魔法陣が現れ、体の周囲を紫のベールが包んだ。
「―――――――」
俺は言葉を失った。
魔法陣に幻想的な光。
あのロウ爺もこうやって魔法を出していたのだろうか?
「最初だから、ここまで完璧にできなくてもいいわ。詠唱だけして。後はあなたの『知識』が答えてくれるわ」
「『知識』?……ですか? 前にも聞いたことがあるんですけど、俺は多分、そんなもの持ってませんよ?」
するとドロシーさんは、俺の言葉に疑問符を浮かべた。
「知識がない? そんなはずはないわ。だってあなたの中には、確かに『知識』が見えるもの、何の『知識』かまでは流石に私でも分からないけど……大丈夫! 何も問題ないわ!」
「はあ……」
俺は覚醒すらしなかった、へたら学生なのに、『知識』なんかあるわけがない。
それに今は……ただの、ピンクのクマだし。
「さあ、やってみて」
「……分かりました」
俺は仕方なく、言う通りにやってみた。
「我……沈黙を……」
「もっと大きな声で! あなたはまだ慣れてないんだから、足りない分は気合で乗り切るしかないでしょ?」
「……はい、分かりました」
気合? そういうものなのか? 魔法って?
俺は気持ちを入れ替え、もう怒られるのも嫌だから、言われた通り腹から声を出してみた。
「【我、沈黙を破る……】!」
自分で言っておいて、恥ずかしくなる。
大学生にもなって、こんなことやらされるとは……。
だがその瞬間、足元に魔法陣が現れた。
「うひょおおお! 魔法陣だ! ドロシーさん?! 出ましたよ?! 魔法陣ですよ?!」
思ったよりもあっさりと出現した魔法陣に、俺は興奮してしまった。
足元が紅く光っている。
これが魔法陣か……感慨深いものがある。
俺はやっと魔法に出会えたわけだ。
ブリタニアでのあの無駄な特訓を思い出す。
あれはただ辛くて、夢のない日々だった。
「ま……まさか……これって」
すると何故か口をぽかーんと開け、茫然としているドロシーさん。
「ん? どうしたんですか、ドロシーさん?」
なんだろう? 怖いな~
ドロシーさんは何故か俺の足元を見つめ、何も言わずに目が点になっていた。
何をそんなに驚いているのだろうか?
「お~い、ドロシーさん? 聞こえますか? 魔法陣が出ましたよ?」
俺はドロシーさんの目の前で、手を振ってみた。
するとドロシーさんはハッ!としたように、瞬きをする。
「ご、ごめんなさい。つい……」
「つい? そんなことよりも、魔法陣が出たんですよ! ほら、見てくださいよ!」
「分かっているわ。それは分かってるんだけど……」
するとドロシーさんはまた黙り、一人何かを考えているようだった。
「ん?……さっきからどうしたんですか? もしかして、俺、なんかマズイことしました? これじゃあダメでしたかね?」
この魔法陣ではダメなのだろうか?
もしかすると、俺はまた期待はずれなものを見せてしまったのではないか?
「いいえ、完璧よ。それどころか……」
するとドロシーさんは答えた。
「瀬川くん? 私の魔法陣が紫色なのは分かるわね?」
「……はい、まあ見れば分かりますけど」
「そう、紫……つまり、『知識』にはそれぞれ色があるのよ。その色で何の知識なのか大体は分かるようになっているの」
「じゃあ例えば、ブリタニア帝国の『雷の知識』は何色なんですか?」
「黄色よ。ちょっと待って?……今、ブリタニアと言ったの?」
「はい、俺は元々、ブリタニアに拾われた、所謂、『預言の勇者』って奴らしいんですよ」
するとドロシーさんは頭を抱え、さっきよりも大袈裟に悩み出した。
「ブリタニアの……勇者……」
「ドロシーさん?」
そして何かブツブツと言っている。
「あの……」
「分かったわ」
すると何が分かったのか? ドロシーさんの目つきは真面目なものになっていた。
「いいかしら瀬川くん?」
「はい?」
「紫は『闇の知識』。つまり私はその知識を所有しているの。そして『闇の知識』を持つ魔導師はこの世界には私しかいないわ」
「はあ……」
「そして、あなたが今見せた紅い魔法陣だけど、それは『火の知識』よ」
「火?……ですか?」
赤だから火か……分かり易いな~
「そしてそれはもう、大昔に失われてしまった知識。この世には存在しない魔法よ」
存在しない?
「え?……でも、俺はこうやって」
「だから考えていたのよ。滅びた国の魔法を、何故あなたが持っているのかということをね?」
滅びた国の魔法……火の知識……
するとそこで、何故か俺の中に、ある言葉が浮かんだ。
「ロード……レイク……」
するとドロシーさんは、目を見開き、急に俺の肩を掴んだ。
「今! 何て言ったの?!」
「え?!……」
何だ? この鬼気迫る表情は?
「いや、俺はただ……ロードレイクと……」
「何故……あなたがその名を……」
なんだ?
何故そんなに驚いている?
というか、何故俺はそんな言葉を口に出したんだ。
ロードレイクとは何だ?
「あのロードレイクってなんですか?」
自分で言っておきながら、質問する俺。
だが分からないのだから、仕方がない。
するとドロシーさんは俺の肩を離し、それから少しすると落ち着いたようにこう切り出した。
「なるほど……なんとなく分かってきたわ。確証はないけど」
不思議な人だ。
大きな声を出したり、黙ったり。
情緒不安定なのか?
「その名前はもう口にしないことよ。誰も知らない名前だし。それにもし知っている人がいたとして、ロクなことにはならないわ。そして『火の知識』とはその亡国ロードレイクの魔法よ。国の滅亡と共に、この世界から消滅した魔法。だからその魔法を使える者はこの世界にはいないのよ」
俺は徐々にだが、何故ドロシーさんが驚いていたのか少し分かった。
「じゃあ何で俺は……」
「分からないわ。でも下手に使わないことね。もし使っているところを見られでもしたら、私のように異端扱いされるわよ」
「異端? ドロシーさんが異端って……」
「さっきも言ったでしょ? 『闇の知識』は私しか使えないって、つまり、世界にとっては存在するはずのない魔法なのよ。だから私は『異端の魔女』と呼ばれているの」
「異端の魔女?……」
するとドロシーさんは俺から目を逸らした。
こう呼ばれるのがあまり好きではないらしい。
何故だろうか? かっこいいのに……
「あなたもそうよ、もし見つかれば『異端の魔導師』とか『異端の魔術師』と呼ばれてしまうわ」
「あの、さっきから異端と言ってますけど、何がそんなに問題なんですか? 別に呼ばれるくらいなら、俺は何ともないんですけど?」
するとドロシーさんは一瞬驚いた後、直ぐに納得したような表情をした。
「いえ、そうよね。あなたは勇者だったわね。知らないのも無理はないわ」
「はあ……」
「いい? この世界には魔法というもの自体を神と崇める者たちがいるのよ。魔法は希少で所有している国も限られているから」
「なるほど……」
「だけど、それは、雷・水・風・土の4つだけ。他は異端だと思われてしまう。そして火は、この世界に終焉をもたらす災いの象徴だと言われているわ。私の闇も異端だけど、あなたの火は、もっと厄介なものなのよ?」
「はあ……」
「ちゃんと聞いてる?」
「え?!……はい」
少し、ぼ~としていた。
あまりに話が長いせいで、思考が停止していた。
「まあとりあえず、人前で使うなってことですよね?」
「……簡単に言えば、そうね。そういうことよ、絶対に見られてはダメ」
「でも、別に使わないといけない状況にならなければいいだけの話ですよね? じゃあ心配しなくても良くないですか?」
「今はね? まったく……あなたは少し楽観的に考えすぎよ? 勇者だからかしら? でも言っておくけど、この世界はそれほど平和ではないのよ? いつかは使わずにはいられないわ。いつまでも隠れて過ごせるわけではないし」
「――じゃあ、俺に魔法の使い方を教えてください」
するとその時、風が吹いた。
ドロシーさんの赤毛がなびき、草木が揺れた。
「ええ、そのつもりよ。とりあえず異端同士、頑張りましょう。知っていることなら何でも教えて上げるわ」
「えへへ……何か楽しいですね? こういうの」
「楽しい?……」
久しぶりにそういう気分になった。
もしかすると俺は疲れているのかもしれない。
この世界にやってきて、まともな物も口に出来ないまま生き延び、そして帝国に拾われ、安心していたら戦争だ。
そして戦争で一度は、焼き殺された。
そういえば、戦争はどうなったのだろうか?
皆は無事だろうか? 片平さんは……
「ん? どうしたの? 浮かない顔をして」
「いえ、なんでもないです……」
でも今は、会えないな。
こんな状態じゃ……こんなぬいぐるみの体の状態で、片平さんには会いたくない。
「そういえばドロシーさんはブリタニアの戦争がどうなったのか、知っていますか?」
「ああ、それね。確か1人の勇者のおかげでブリタニアが勝利したみたいよ。良かったわね?」
「え?」
「だって……そういう顔をしていたから。誰かいるの? あの国に?」
そん顔をしていただろうか?
「……はい……とても、大切な人が……」
「そう……じゃあ早く治さないといけないわね?」
この傷はいつ治るのだろうか?
俺はいつまでピンクのクマでいなくてはいけないのだろうか?
「じゃあ、魔法の稽古。お願いします!」
「今日から私のことは先生と呼ぶように!」
「へ?……先生ですか?」
だが今は、よく分からないこの人と一緒にいよう。
そして、魔法と剣を学ぶ。
いつかくるかもしれない、
――その時のために。




