第2話「タンダの目」
タンダ家の当主が入れ替わったのは、今から約10年前だ。
突如、予兆なく起きたモンスターウェーブにより、民たちを守ろうと最前線に向かった当主は魔物に飲まれた。
その遺体は食い荒らされたのか、折れた刀が見つかっただけで、髪の毛一本すら未だに見つかっていない。
モンスターウェーブが起きた時、ガジンはまだ95歳だった。
突如頼れる当主であり街の頭領を失い、ただでさえ混乱していたブレンはさらなる混乱に飲み込まれた。
その混乱の中、頭領の座に強制的に着くことになったガジンは、ただがむしゃらに動いた。
彼の指示は、素早く的確……とは、お世辞にも言えなかっただろう。しかし、わずかでも少しずつ父の仕事を手伝うようになっていたのが幸いし、なんとか形は保てた。
しかし……しかし、だ。
見たことがない数の魔物。めったにお目にかからない凶悪な進化個体がごろごろいるそんな災害の塊を受け止めるには、やはり彼は若すぎた。
美しくも堅牢だと言われていたブレン城は一夜にして崩れ落ち、今やその基礎が残るのみ。
多くが木造だったお陰で、その瓦礫が焚き火の原料となったのは、良かったのか悪かったのか。
わずか数日で変わり果てた故郷の姿に、ガジンは呆然とし、嘆けばいいのか怒ればいいのかも分からずにいた。
「頭領」
誰かが彼をそう呼んだ時、ガジンはすぐには反応できなかった。頭領になって数日。実感があるわけもない。眼の前の現実に頭が追いつかない。
(頭領? 誰のことだ。親父は、もう……いないのに)
彼の頭の中が現実逃避をしていた。彼がその後を継いだことを忘れてしまっていた。
「……兄さん」
そんな彼を現実へと引き戻したのは、幼い弟の声と手だった。
ガジンは着物引っ張られる感覚に、ゆっくりと目線を下げた。そこには、彼を見上げてくる青い瞳があった。そのかすかに震えている幼く青い手を見て、ガジンはようやく息を吐き出し、弟を抱きしめた。
「大丈夫だ、俺がいる」
まだ一人でないことに安堵したのは、むしろガジンの方だった。
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ガジンは必死に動いた。
何もかもが初めてだらけのことで戸惑うガジンを支えてくれたのは、冒険者ギルドの職員だった。
ブレン出張所の……唯一の生き残り。
他の職員たちは、命がけで結界を張って魔物たちを閉じ込めた。彼らのお陰でブレンはまだ『街』という形を保っていた。
ブレン支部の職員たちは全員が戦闘員。しかも実力者。そんな一人である眼の前の職員も当然のように戦い、左腕を失い、一命をとりとめた。
そして病み上がりの真っ青な顔で、それでも事務仕事に慣れないガジンを支えてくれていた。
「私が生き残ったのは、きっと一番こういう仕事が得意だったからでしょうね」
職員――ユーリ=フェントは、やつれた顔で自嘲気味にそう笑ったものだ。
そうして支え合い、10年を乗り切った。
250年以上生きる鬼人族からすれば10年は短い感覚のはずだが、濃密だったせいだろう。ガジンはとても長く感じた。まるで100年をユーリと共に過ごした感覚だった。
「ふむ? 例の神子様に会いたい? ガジン、あなた、突然どうされたのですか?」
ある日の夜。ガジンはユーリを酒に誘い、二人は彼の家でゆっくりと肴をつまみながら透明な酒を飲んだ。
酒などという贅沢品が最近少し出回るようになったことに、ガジンはまた少し感慨深く思いながら、味わった。3日以上水分を取れずに乾ききっているかのように、ゆっくりと飲んでいく。
ユーリの左腕の袖が揺れた。
「難しいことは分かっている。しかし部族会議で小耳に挟んだ。神子がブレンのダンジョン問題を気にしている、と」
「それは……本当なのですか?」
「わからん。だが、信憑性は高いと思っている。そんな話が漏れ出てくるくらいだからな」
神子の存在は知られていても、詳細は一切伝わってこない。それが初めて神子の情報が出てきた。
ガジンは、酒を入れていた小さな陶器をそっと床――畳に置くと、ユーリに向かって頭を下げた。
「ユーリ、頼む。協力してくれないか。オレは神子に会わねばならん」
ダンジョンの問題は、一つの街がどうにかできるものではないということを、ガジンたちは誰よりも知っている。
「一度モンスターウェーブを発生させたダンジョンは、ニ度目を起こしやすいと聞く。この状態での二度目は……もうブレンには耐えられんだろう」
「……ガジン」
「オレから申し込んでも断られる。だが、お前達冒険者ギルドならば」
ギルドは世界各地に支部を置く巨大組織だ。直接土地を支配しているわけではなくとも、その影響力はたとえライガイアのような強国でも無視はできない。
ユーリは息を吐く。
「私はただの出張所の所長ですよ? 私よりも支部長のほうが権限は上です」
「分かっている! だが、オレにとっては、お前ほど信じられる者もいない」
それにあの小娘にどうにかできるとも思えん、とガジンはやや私情も含みながら言い切り、ユーリは呆れた。
「あなたのその愚直さは、一本角の見本のようですね」
ユーリの茶色の瞳は呆れ果てていたが、ガジンには分かった。ユーリは手に持った徳利を軽く親指で撫でていた。これはユーリが少し照れている時のクセだ。
「……実は、今丁度。リンドベルのお嬢様がライガイアに来てらっしゃいます」
「は? リンドベルが来ているのか? そんな話聞いてないが」
「そうでしょうね。学者として来ていらっしゃいますし」
「? リンドベルが、学者……?」
ガジンは混乱の極みに達したように、しばし動きを止めていた。ユーリはそんな彼にくくと笑う。ライガイアとはあまりにも違う自由なリンドベルの気風を口で伝えても、きっと理解は出来ないだろう。
「お嬢様にお願いすれば、あるいは……もちろん、確実ではありませんが」
ユーリが無言でガジンを見た。どうするか、と目だけで問いかけていた。
ガジンは呆けていた顔を引き締めた。ダンっと勢いよく手を下ろし、あぐらをかいた両膝に下ろした。
「もちろん、頼んでくれ……いや、オレが直接頼みに行く。段取りを頼む」
こんな好機、逃すわけには行かないと、ガジンは力強い目でユーリを見た。
その力強い目は、かつてタンダの名を背負っていた彼の父とそっくりだった。




