第2話「少年は胸に褒め言葉を抱く」
タング=ウィストがライガイア支部レンコウガの街に来てから、はや数週間。
リンドベル本部との違いに、まだまだ戸惑っていた。
たとえば
「よお、ウィスト」
タングは挨拶に振り返って「おはようございます」と返事をするものの、反応は若干弱く、微妙な顔をしていた。その先輩が笑う。
「まだ家名呼び、慣れないか」
「う……はい」
そう、呼び方だ。
リンドベルでは基本家名を使わない。街の気風から家のことより、個人を見る傾向があった。
しかしここ、ライガイアでは家門や家の繋がりを重視することもあり、基本は家名呼び。家族か相当に仲の良い相手だけが下の名を呼ぶのだ。
「ま、俺も来はじめは慣れなかったしな。それでも、お前の初日の支部長呼びみたいなことはしなかったけど」
「くぅぁっ、そ、その話はしないでくださいよ!」
初日。支部長。
そう言われてタングは顔を真っ赤にして反論した。
異動初日、タングは支部長のメイ=ウエノを「よろしくお願いします、メイ支部長」と呼んで、空気を凍らせてしまったのだ。
幸い、メイは冒険者ギルドの支部長なだけあって外の世界のことに理解があるし、ここは外の国との玄関口。こういったことはよくあるせいか、笑って許してくれた。
「はぁ。まぁむしろ、最初の失敗がアタイで良かったな。他の鬼人にしでかしてたら、今頃土の中だよ」
「ほほっ、本当にすみませんでしたぁ!」
「あーあー、だから良いって。次からは気をつけな。鬼人もそうだけど、ここ育ちのドワーフや人間も同じく気性荒いし」
あの時は肝が冷えた、と今思い出してもタングは心臓がドキドキする――寿命が縮まる方で。
「……あらかじめライガイアのことは勉強していたんですが」
「ま、最初はよくあることだ。次は気をつけたら良いし、最初が支部長で良かったと思っとけ」
「うぅ、はい」
「それにお前、ライガイアの奥に行きたいんだろ? 鍛錬しつつ、慣れていけばいいさ」
ライガイアの奥。
それは一定以上の強さとライガイアからの許可(信頼)を得たものだけが行くことができる場所だ。
いや、正確に言うと許可がなくても入れるが、自己責任となる。
元々他国に排他的だったライガイアは、10年前のモンスターウェーブの被害を恥と考え、その詳細を他国に知られることを何よりも嫌っているのだ。
ちなみにタングたちと一緒に来たあの『先輩』は、他の数名を引き連れて奥地に行った。未だに10年前の被害に苦しむブレンの様子を、直接見るために。
(いつか俺も、ブレンに行ってみたいな)
ブレンに行けるのは、ギルドの戦闘員の中でも限られた存在だけ。
(そして――ダンジョンに苦しむ人達を助けるんだ!)
ダンジョンとは、資源をもたらしてくれるが、モンスターウェーブを引き起こす厄介な存在でもある。そんな災害から人々を守るために生まれたのが冒険者ギルドだ。
タングはそんな一員であることを誇りに思っている。
ただ、彼の実力はまだまだ発展途上。危険な奥地を任されるほどではない。
ギルド職員として頼りがいのある存在になるべく、タングは慣れない環境の中、業務と修練に余念がない。
そういう文化の違いは建物の構造にも現れていたが、幸い食べ物や服は外から入ってくる。慣れたものを手に入れるのがそう難しくないのは、タングにとっては幸いだった。
ライガイア独自の料理も美味しいのだが、やはり故郷の料理も食べたくなる。
朝の日課の鍛練を終え、指導してくれた職員達と食堂に向かっていると、前から赤い肌と二本角の女性が歩いてくる。
支部長のメイ=ウエノだ。
上質な赤い着物と花をあしらった簪を紫の髪に挿していた。しゃらんっと簪が優雅な音を立てる。
「お疲れ様です、ウエノ支部長!」
タングが慌てて頭を下げると、メイはにやりと笑い、口を大きく開けてギザギザの歯を見せた。
「ははっ、今回はちゃんと言えたな」
「うぅ……あの時は本当に」
「いいって。外とこっちで習慣が違うことは、アタイも旅をしたことあるから知ってるしな。
アタイも外で名前呼びされるのには、最初は戸惑ったもんさ」
メイは気品と荒々しさが入り混じる、不思議な笑い方をした。
「それより……どうだ? 今日のアタイ」
と、彼女は本当に名前呼びされたこと自体を気にせず、代わりにそう聞いてきた。前髪や着物の袖をそわそわと撫でる様子は、まるで『前髪一センチ切ったの……気づいてくれた?』と問いかけてくるかのようだ。
誰かがゴクリと唾を飲み込んだ。女性のこういう質問は、ミスると大変である。
しかしまだ、メイの表現は分かりやすい方だったろう。彼女は垂れてきた髪をかきあげながら、シャランシャランと、わざとらしいほどに簪の音を立てている。何を褒めてほしいかは明らかだ。
タングは「もちろん」と、この質問に対して力強く頷いて答える。
「今日のウエノ支部長の角は、いつも以上に輝いていて素敵です!」
「そうだろ、この簪は昨日……ん?」
メイは簪の由来を口に出そうとしていたが、黄緑色の瞳を丸くしてタングを見た。タングはそんな彼女の様子に気づかない。
タングはライガイアの国について、予習をしていた。その中には鬼人の美醜感覚についてのことがあり、彼らは顔の美醜も見るが、それ以上に角を重要視すると聞いていた。
それに実際、メイの角は彼の目から見てとても形が綺麗で格好良く見えた。
動きを止めたメイの反応に、タングは何か誤解を与えては大変だと、大きく身振り手振りを加え、身を乗り出して大声で力説した。
「あっ、いえっ、ウエノ支部長の角は元々形も艶も綺麗なんですが、今日はいつも以上に眩しいです!」
「っ! な、なな、な」
少年特有の、真っ直ぐな、真っ直ぐすぎる賛辞がメイの胸に突き刺さる。
タングの知識は間違っていない。鬼人族は顔よりも角を見る。角を褒められて悪い気分になる鬼人はいないと言って良い。
しかし――異性を褒めるとなると、やや勝手が違う。それもここまでストレートに褒めることはない。……角を褒めすぎることは、告白と思われる可能性すらあった。
メイの赤い肌が、勢いよくピンク色に染まる。
普段、支部長として、強者としての迫力を含んでいる黄緑の瞳が、ぐるぐると宙を彷徨うように揺れた。
彼女は冒険者ギルドの支部長。そして、紅角族の一部族長の娘。
そんな彼女は……恋愛耐性がなかった。とことんなかった。
「……って、ウエノ支部長? どうかされました? 俺、何か変なこと言っ」
「う、うあああああああっ」
支部長としての顔をかなぐり捨て、叫びながら去っていったメイを、タングは唖然と見送る。周囲の職員も唖然としたが、彼らはメイが、意外と乙女である、ことを知っていたのでタングに目を向けた。
「おかしいな……本当のことを言っただけなのに。何がダメだったんでしょうか、俺の言い方」
また失敗してしまったか、と首を傾げるタングに、これはある意味期待の新人が来たのかもしれないと職員たちは思ったのだった。




