8 魔法使いがやってきた ④
――魔法陣の上に突如現れた奇妙な布の袋。
それと同時に姿を消した聖杯。
場は一時、騒然となった。
儀式に臨んでいた人々が、その不安を口々に叫んでいた。
『何だあれは!?』
『聖杯は!? 聖杯はどこに消えたのだ!!』
『聖女がいないではないか!? 儀式は失敗したのか!?』
『静まれ!!』
国王の低く威厳に満ちた声が響き渡る。
すると、騒ぎ立てていた人々は、水を打ったように静まり返った。
『神官長。此度の儀式の成否は、いかが相成った』
『恐れながら申し上げます。今の段階では成否を判じかねるかと』
その返答に国王は鋭い視線を投げかけたが、年老いた神官長は全く気にせず話を続けた。
『いや、むしろ、成否という言葉では語れないような事態であると言えましょう』
『…………そなたは余をからかっておるのか?』
『滅相もございません』
淡々と表情を変えずに答える神官長。
その様子からは、儀式が成功した喜びも、失敗した焦りも感じられなかった。
『聖杯と聖女は、お互いを引き寄せ合う。おそらくですが……今までは聖杯の力の方が強かったたために、聖杯の元に聖女がやって来られましたが……今回は聖女の力の方が強かったのでしょう。聖杯の方が聖女の元に呼ばれてしまったのだと思われます』
『それはつまり、聖女は無事にこちらの世界に召喚されたということか』
『おそらくは。ですので陛下、聖女がどこにおられるかがわからない上に聖杯まで姿を見失ってしまった今、儀式が無事に成功したとは言えますまい』
国王は眉を顰め、『確かに、そなたの言う通りだ』と言った。
『聖女の力が強かったために、聖杯は聖女の元に行ってしまった……ですが、聖杯もまた必死に聖女を引き寄せようとした……その結果、聖女の持ち物のみが、こちらの魔法陣の上に呼び出されたのでしょう』
とにかく聖女は無事にこちらの世界に呼び出されてはいるらしい。
魔王の復活を阻止するためには、どうしても聖女の力が必要なのだ。
神託で予言された『魔王の復活』までに残された時間はあと僅か。
ここは急いで聖女の居場所を突き止め、王都の神殿に招き入れねばならない。
『神官長。そなたの言う通りだ。魔王の復活まで猶予は無い。できるだけ速やかに聖女と聖杯を探し出すのだ!』
『かしこまりました』
シリルがそこまで話したところで、再びユイが『あのー』と話を遮った。
「今の話で、またちょっと気になったことがあるんですけど」
「はい、何でしょう~?」
「”魔王の復活”っていう不穏な言葉が聞こえて来たんですけど、どういうことですか?」
「ああ、それはですね~」
魔王の復活。
それは、単に『強い敵が現れる』ということを意味するわけではない。
魔王の復活とはすなわち、『この世界の理の崩壊』を意味する。
魔王という存在はあまりにも大きく、人間ごときに倒せる相手ではないからだ。
「…………ええと。それを、聖女が阻止する、と」
「はい~」
「でも、人間ごときが倒せる相手ではないんですよね?」
「はい~、なので、聖女様のお力で阻止して頂くのです~」
「そんな無茶な!」
ユイは思った。
もし、自分が聖女だったとして。
いや、この話の流れだと多分そうなのだろうが。
そんな自然災害みたいな訳の分からないものを抑えるなんて出来っこない。
「あ、そうだ! 前回の聖女はどうやって魔王の復活を阻止したんですか?」
「それがですね〜、聖女様が召喚されたことまではわかっているのですが、どうやって魔王の復活を阻止したのかについては、記録が残ってていないんです〜」
「はあああ!? 何それ!?」
思わず責めるように大声で叫んだユイに、シリルが消え入るような小さな声で『すみませんすみませんすみません』と繰り返した。
(しまった。すんごく怯えてる。この人が悪いわけじゃないだから、責めても仕方が無いのに)
「ごめんなさい。つい大声を出しちゃって。で、前回は聖女がどうにかして魔王の復活を阻止したんですよね?」
「は、はい〜、その通りです〜」
無事に人々は生きている。
つまり、なんとかなったのだ、前回は。
それから三百年以上の月日が流れ、平和に慣れきった人々の元に、不意に神託が下りた。
「今から6年前のことです〜、神殿に『5年後、魔王が復活する』という神託が下りたのです〜」
人々はパニックになった。
だが、冷静な神官長と、偉大な王の元、『聖女召喚の儀式』が行われることとなり、速やかに魔法陣の準備が始められた。
そして、5年前のあの日、粛々と儀式が執り行われた。
だが、聖女は姿を見せず、聖杯は消えた。
(へえ、それはさぞかし困っただろうな)
ユイは他人事のようにそう思った。
だが、そんなユイののんびりムードに水を差すように、シリルが両手を組んだポーズで叫んだ。
「ですが、ようやく聖女様を見つけ出すことができました~! おまけに、聖杯も聖女様の元にあったとは~!」
シリルの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「1年もの歳月をかけ、国中を探し尽くした甲斐がありました〜!!」
ユイは、人生でこんなにも喜んでいる人を見たことがなかった。
それ程にシリルは嬉しそうだった。




