5 魔法使いがやって来た ①
誤字報告を下さった方々、ありがとうございます。本当に助かります!
「ワンッ! ワンワンワンワンワンッ!!」
「太郎!? どうしたの!?」
突然、物凄い剣幕で吠えだした太郎。
ユイは慌てて太郎の側に走り寄った。
太郎の視線は、少し先の森の中に向けられている。
そこに太郎が吠えるような何かがあるのだろうか。
(何だろう。もしかして、また悪い動物が来たのかも……!?)
少し前の事。
森の中から突然現れた、狐によく似た動物が、太郎を襲ってきたことがあった。
その時、太郎は致命傷を負った。
だが、血だらけで倒れた太郎を強く抱きしめたユイが、『死んじゃやだ!』と叫んだ途端、太郎の身体は金色の光のヴェールに包まれた。
そして、太郎の傷は跡形もなく消えた。
そう。あの時から、ユイは治癒の魔法が使えるようになったのだ。
ちなみに、太郎を襲った悪い動物は、ルカが追い払ってくれた。
ルカが手に持った棒を振り回すと、慌てて森の中へ逃げていったのだ。
あの時のことを思い出しながら、ユイは近くに落ちていた木の枝を拾って構えた。
またあの悪い動物が来たのなら、今度はユイが追い返してやるのだ。
もう太郎にあんな怪我はさせない。
治癒の魔法で治ったとはいえ、太郎が痛い思いをしたのは確かなのだ。
ユイは太郎に怪我を負わせた動物を、一生許さないと決めている。
ガサッ。
落ち葉を踏むような乾いた音が聞こえてきた。
ガサッ。ガサガサガサッ。
それはどんどん近づいてきて――木の影から、ひよこっと姿を現した。
「あの〜、驚かせてすみません〜、私は怪しい者ではありません〜」
現れたのは、背の高い若い男だった。
警戒しているユイを驚かせまいと、両手を胸の前で小さく重ねて、おずおおずと、しかし必死に声をかけてきた。
長身だが、チャコールグレーのローブをまとったその身体はひょろりと細くて、どことなく頼りない雰囲気を醸し出している。
「ワフ……」
太郎が吠えるのを止め、尻尾を少しだけフリフリと動かし始めた。
それを見たユイは、ほんのちょっとだけ、警戒を緩めた。
気弱そうに見えるが本当のところはどうだかわからない、暫定『怪しい男』は、オドオドとした仕草でユイと太郎の方に近づいてきた。
近づくにつれ、その男の姿がよく見えるようになったのだが。
予想外に整った顔立ちだったので、ユイは少し驚いた。
無造作ながらもきちんと頭の後ろで一つにまとめられた銀髪。
透けるような白い肌に、アメジストのような紫色の瞳。
その眼差しは、森からこちらへと一歩踏み出すたびに、躊躇しているかのように揺れていた。
「お初にお目にかかります〜、私の名前はシリル・ヴェインと申します〜、どうかお見知りおきを〜」
ゆっくりとした、見た目通りの頼りない喋り方。
ユイはどんどん警戒を解いていった。
隣の太郎を見ると、先程の剣幕はどこへやら、完全に警戒を解いたようだ。
ヘッヘッヘッと舌を出しつつ、尻尾をふりふり振っている。
(うん。どうやら悪い人では無さそう)
ユイは太郎の『人を見る目』を信じている。
今まで、太郎には何度も助けられてきたのだから。
ユイが一人で暮らしている家には、一人ぼっちになったユイを陥れようとする輩が幾人も訪れた。
怪しげな宗教の勧誘、強引な押し売り、親切なふりをして家に上がり込もうとする職場の同僚等々。
だが、太郎はいつだってそんな奴らからユイを守ってくれた。
今にも噛みつきそうな勢いの太郎に追い立てられ、ユイの敵たちは慌てて走り去っていったのだ。
そんな頼もしい太郎が、こいつは危険人物ではないだろうと認めたのだ。
彼は正真正銘、見た目通りの気弱で害のない人間なのだろう。
「失礼ですが、貴女様は、聖女様でいらっしゃいますか〜?」
シリルと名乗った男が、おずおずとそう切り出してきた。
(セイジョ? セイジョって、聖女?)
突然そんなことを言われても、ユイはただ驚くばかりで何も答えられない。
そもそも、シリルの言うセイジョとやらは、ユイが思う『聖女』のことなのだろうか。
「あの、あなたの仰る『セイジョ』というのは、漢字で書くと聖なる女の聖女ですか?」
「カ、カンジ? あの〜、カンジとは一体何でしょうか〜?」
「えっ? 漢字を知らない?」
「申し訳ありません〜、カンジというものは存じ上げないのですが、ええと、聖女というのは聖なる女性という意味で間違いありません〜」
そうだった。
ユイは今更ながら気づいた。
この世界に来てから唯一出会った言葉を話す生き物であるルカには、日本語が通じているので忘れていたけれど。
どうやらこの世界には、元の世界とは違った言語があるようなのだった。
ユイが毎晩ルカに読み聞かせている前の住人が残した絵本は、ユイが今までの人生で一度も見たことの無い言語で書かれていた。
だが不思議なことに、ユイはその言葉を不自由なく読むことができたのだ。
もちろん、意味もちゃんとわかる。
そしてこれまた不思議なことに、ユイがそれを読み上げると、全てが使い慣れた日本語に変換されるのだった。
一体、どんな仕組みでそうなっているのかは、いまだにわからずじまいだ。
でも、それでも構わなかった。
ユイはもう、わからないことを深く考えることを止めてしまったのだから。
「あ、あの~、貴女様は聖女様ですよね~?」
黙りこくったまま返事をしないユイに、シリルが縋るような目をしてもう一度同じように聞いて来た。
シリルの言葉は疑問形だったが、そこには『そうですよね? そうだと言ってくれ!』という切実な願いが込められていた。
とはいえ、ユイには自分が聖女かどうかなんて全くわからない。
確かに自分は異世界に飛ばされてきて、浄化の魔法と治癒の魔法が使えるけれど、そんなのはこの世界の人間なら誰でもできることかもしれない。
いや、誰でもとは言わないまでも、結構な数の人間がそれを使いこなしているかもしれない。
だからこそ、そんなことが聖女であることの証明になるのかどうかは、ユイには全く判断できない。
そう、自分は聖女かもしれないし、そうではないかもしれない。
黙ったままのユイと、最早涙目になりかかっているシリル。
そんな二人を交互に見ながら、太郎が「ワン!」と勢いよく鳴いた。




