20 幸せな日々の始まりです
「ふー、綺麗になった!」
家の中の掃除を終えたユイは、手の甲で額の汗を拭った。
箒で掃いたあとに、絞った雑巾で床を拭く。
そんなことをしなくても、汚れはユイの『きれいになれー』で十分に落ちる。
でも、どうしても掃いたり拭いたりしたくなってしまうのだから仕方が無い。
そうしないと埃は取り除けないという固定観念から逃れられない自分を、ユイはかなり厄介だなと思っている。
ユイがそんな風に綺麗になった部屋の中を眺めている時。
不意に玄関の扉が開き、ルカリオンと太郎が部屋の中に入って来た。
ルカリオンの手には、布袋が握られている。
「おかえりなさい、ルカ、太郎」
「ワン!」
「ただいま、ユイ。これ、母上がユイにって」
「えー、なんだろう楽しみ……って、嘘! これって、お米じゃないの!」
いそいそと布袋を受け取り、中身を確かめたユイは思わずその場でジャンプした。
中に入っていたのは、艶々とした白米だったのだ。
ガイアの実を食べていれば事足りるはずなのだが、そこはそれ、白米は別腹なのだ。
ルカリオンの母、お松も、魔族の国で暮らすようになってからも白米が食べたいと言い続けていたのだそうだ。
そんな最愛の番のために、父のダンダリオンはとても頑張った。
結果として、魔族の国では現在、稲作が盛んになっている。
「嬉しい! よーし、今夜は早速これでおにぎり作るぞー!」
「ワン!」
嬉しそうに太郎と飛び跳ねているユイを見て、ルカリオンの顔にも笑顔が浮かぶ。
「あらぁ、ルカリオン、もう帰ってたのね? 伯父様と伯母様は元気だった?」
「ああ、二人とも元気だった。ああ、そうだアデライド。叔父上達から伝言を預かっている。『ふらふらしてないで、早く国に帰って来い』だそうだ」
「はいはい、了解了解。もー、お父様ったら相変わらずうるさいんだからぁ」
「もうすぐ人間の婿を連れて帰るって言っておいたからな。物凄く驚いていて、信じてない様子だったがな。まあ、無理もないが」
「失礼しちゃうわね! ああ、でも早くお父様とお母様にあなたを紹介したいわ! これが私の愛する旦那様ですって! そうだ! ついでに孫も見せるのはどうかしら?」
「あわわわ、そ、それは気が早すぎますよ~」
腕にぎゅっとしがみついて熱っぽい目で見つめてくるアデライドに、シリルが真っ赤になった。
「その男は神殿にいたのだろう? 禁欲生活を送っていたようなつまらない男では、お前の相手は無理なんじゃないか?」
「黙りなさい、ルカリオン! シリルのように汚れの無い無垢な男性だからこそ、色々と教え甲斐があって良いんじゃないの! それに、シリルのことをつまらないとかってバカにしてるけど、あなただってまだ童貞のくせに! 偉そうな口をきかないで頂戴!」
「うるさいうるさいうるさい!! いいから黙れサキュバス!」
「もう! サキュバスって言うなって言ってるでしょう!」
いつもの口喧嘩が始まったのを見て、ユイと太郎、シリルはやれやれと顔を見合わせた。
これが今のユイの日常だ。
ちなみに、ルカリオンは普段は大人の姿で過ごしているが、お風呂と寝る時だけは子供の姿になっている。
そうでないと、一緒に風呂も寝ることも却下とユイに言われてしまったからだ。
そんな、賑やかで、平和な毎日。
ユイはこの宝物のように幸せな日々を、決して失いたくないと思っている。
そう、そのためなら何だってやるつもりだし、どんなことにも気づかないふりをする。
聖女と聖杯を探しに来たシリルだが。
結局、王都には戻らず、ここで一緒に暮らしている。
聖女なんてどこにもいないし、聖杯も持ち帰ることは不可能。
それに、魔王が復活して人間を滅ぼすことなどないのだととわかった今、自分に優しくなかった人間達の元へ帰る理由は無いのだ。
それに、アデライドはシリルを夫にすることに決めた。
シリルを魔族の国に連れて帰り、そこで一緒に暮らすのだと言い張っている。
シリルは身に持つ魔力量が多い。
なので、ユイとは違って長い間ガイアの実を食べ続けなくても、じきに魔族の国で暮らせる身体になるだろう。
なので、アデライドは、シリルと一緒にこの森の中の家で暮らすことを望んだ。
ルカリオンは急な同居の申し込みを嫌がったが――結局、すぐに受け入れた。
何故なら、ルカリオンはアデライドに大きな恩があるのだ。
――あの時。
ユイが、ルカリオンに『何故、私が選ばれたの?』と問いかけた際に、ユイが言ったあの言葉。
『もしかして。私が番になることはもうずっと前から運命で決まっていて…………私を天涯孤独にするために、両親は死ななければならなかった』
それは、真実だった。
ルカリオンのせいではない――だが、そうなのだ。
代々の魔王の番は運命によって選ばれ、その運命は残酷にも番から家族を奪う。
何故なのかは誰にもわからない。だが、それはずっと昔から続いている。
そして魔王は番以外を愛することはないし、番の命が尽きれば自分も死んでしまう。
どうしてなのかはわからない。
だが、そういうことになっている。
あの時、ユイが言いかけた言葉。
『だとしたら、私は…………』
その言葉の続きは、一体なんだったのか。
あなたを絶対に好きになったりしない?
あなたのそばにいたくない?
あなたを絶対に許さない?
それとも、これ以上、生きてはいられない?
いずれにせよ、それはルカリオンには耐えられない言葉だったに違いない。
だから、あの時、上手く話を誤魔化してくれたアデライドに、ルカリオンは心から感謝している。
いつもは口喧嘩してばかりの二人だが、小さな頃からよく知る従姉弟同士。
アデライドは、なんだかんだで頼れるお姉さんなのだ。
そうして再び森の中の家で暮らすことになったものの。
ルカリオンの姿が変わったことで、色々と変わったことがある。
子供の姿に擬態するための魔力を、他のことに使えるようになったルカリオンは、転移で魔族の国に里帰りできるようになった。
そこで、ユイは考えた。
ユイよりも一足先に魔族の国に行くことができる身体になった太郎に、ルカリオンと一緒に魔族の国に行って様子を見て来てもらおう、と。
ユイは太郎の『人を見る目』を信じている。
今まで、太郎には何度も助けられてきたのだから。
ルカリオンの両親に会って、どんな人か見極めてきて欲しいと言われた太郎は、『ワン!』と快く引き受けてくれた。
そして、今日の朝にルカリオンと出かけて行った太郎は、無事にこちらに戻って来た。
「魔族の国は怖くなかった?」
「ワン!」
「そうなんだ、良かった。ルカのお父さんとお母さんは元気だった?」
「ワン!」
「そっか、良かった。で、どう? 良い人達だった?」
「ワフ!」
「あー、良かった! そんなに素敵な人達なんだね!」
流れるように進む会話。
相変わらず、ユイ様は犬の言葉がわかるみたいだ、とシリルは思った。
そして、自分にとっても近い将来に親戚になるかもしれない、ルカリオンの両親が良い人だと知って、胸を撫でおろした。
先代の魔王と言うからには、かなり怖いかもしれないと思っていたから。
ところで。
少し前に、ルカリオンの両親についての話を聞いた時、シリルはとても驚いた。
魔族である父親だけでなく、母親の方もまだ生きていて、なんなら若い女性にしか見えないとアデライドが言ったからだ。
前回の聖女召喚の儀式が行われたのは三百年以上も前なのに。
なのに、まだ生きているだなんて!
隣でその話を聞いていたユイも、ガイアの実を食べようとして口を開けたままのポーズで固まっていた。
どうやらユイ様も知らなかったことのようだぞ、とシリルは思った。
「あら? ルカリオンったら。ユイにもまだ言ってなかったの?」
アデライドが呆れたように言った。
「ガイアの実を食べ続けていれば、魔族のような身体になるって言ったでしょう? つまり、寿命も魔族と同じくらいになるのよ」
「「えっ!」」
衝撃の事実。
ユイとシリルは驚いてお互いの顔を見合わせてしまった。
だがユイはすぐに笑顔になり、ルカリオンに向かってこう言った。
「じゃあ、ずっとこうして一緒にいられるのね」
その嬉しそうな様子に、ルカリオンは一瞬だけひどく辛そうな顔になり――だがすぐに、笑顔になった。
そんな二人の足元で、太郎が嬉しそうに尻尾を振り続けていた。
――そんな太郎が魔族の国で出会った狆の牡丹(メス)と、出会ってすぐに恋に落ち、結婚の約束をしていたことはまだ誰も知らない。




