16 魔王と聖杯の正体 ④
アデライドはルカリオンの父である先代の魔王の妹の子供。
すなわち、ルカリオンとは従姉弟同士だった。
アデライドにとっては少し前――だが人間にとっては二百年も前のこと。
その頃、魔族の公爵令嬢であるアデライドは、退屈な毎日に飽き飽きしていた。
そして、ある日突然、『そうだ、人間の国に行こう』と思い立った。
人間のふりをするのは簡単だ。
角と尻尾を隠せばいいだけなのだから。
人間の住む世界は、魔族の住む世界とは違って刺激的で楽しかった。
魔族の主食は『ガイアの実』だが、人間は実に様々な食べ物を食べる。
人間の食べ物では魔力の補給はできなかったが、アデライドは物珍しさから、あえて人間と同じものを食べ続けていた。
かなり長い間、ずっと。
その結果。
人間の国に遊びに来てから百年ほど経った頃に。
アデライドは迂闊にも魔力切れに陥ってしまった。
人間で言うところの、空腹で行き倒れになる寸前といった状態だった。
そんな時、濃密な魔力の香りに引き寄せられるようにして、通りかかった神殿にふらふらと入って行ったアデライドは、祭壇に祭られていたある物に目が釘付けになった。
それは濃密な魔力を材料にして、魔法で作り上げた杯だった。
アデライドは無我夢中でそれを手に取ると、魔法を解き、元の魔力の塊に戻してしまった。
そして、美味しくぺろりと頂いてしまったのである。
欠片も残さずそれを平らげてしまったアデライドは、その後、その杯を血相を変えて探し回る人間達の会話を聞いて唖然とした。
彼らは皆、真っ青な顔で『大変だ! 聖杯が消えてしまった!』と叫んでいたのだ。
『えっ! これって聖杯だったの!?』
アデライドは心底驚いた。
自分が美味しく頂いてしまったあの杯は、『聖杯』と呼ばれ、人間達からとても大事にされていたらしい。
『こんな、たかだか魔力を固めて作っただけの杯を、こんなにも大事にしているなんて!』
本当に、人間という生き物の考えることはいつだって魔族には理解しがたい。
慌てふためき、聖杯の消失を嘆き悲しむ人間を見て、アデライドは心底そう思った。
けれど。
人間達があまりにも嘆いているので、だんだんと何だか申し訳ないような気持ちになってきたアデライドは、とりあえず聖杯に姿を変えて祭壇にちょこんと乗ってみた。
すると。
人間達は、『聖杯が戻って来た!』と涙を流して大喜びした。
ひとまずはこれでよし。あとで隙を見て元の姿に戻り、代わりに適当な杯を置いて逃げればいいだろう。
そう思っていたアデライドだったが。
『ああ、聖杯よ……よくぞ再び姿を現して下さいました……!』
突然現れた一人の男が、そう言って聖杯を手に取り、嬉しそうにその胸に抱きしめた。
その後で彼は、戻って来た聖杯に傷などついていないだろうかと、心配そうにじっくりと細部まで舐めるように観察し始めた。
僅かな傷でも見逃さないとでも言うように、指先でゆっくりと撫でながら。
『………………!!』
聖杯に化けていたアデライドは、驚きのあまりうっかり声を上げそうになった。
なんて熱の籠った眼差し。
そして、彼が自分の身体の隅々を繊細な動きで撫でまわすその動きの、なんと甘美なことか。
随分と身に持つ魔力が多い人間だった。
おそらくは魔法使いと呼ばれる人種だろう。
彼の指先から、僅かだが魔力が流れ出ているのに気づいたアデライドは、気づかれないようにそっと、その魔力を吸い込み――それだけでは物足りなくなり、さらに彼から多くの魔力を吸い込んだ。
その魔力の美味しかったこと。
それから、味をしめたアデライドは、聖杯の姿のままそこに留まった。
そして、上手いこと神殿の者達を騙し、『聖杯の番人』という役目を用意させることに成功した。
聖杯の番人には、他の人間に愛情を注ぐことのない、天涯孤独な身の上の者が選ばれるように誘導した。
そうすれば、その人間はアデライド以外の者に愛情を切り分けることが無くなるからだ。
そして、『聖杯の番人』に選ばれた人間が亡くなると、すぐに次の者が選ばれ、絶え間なくアデライドに魔力を供給しつづけることとなった。
「ああ、愛しいシリル! 歴代の『聖杯の番人』の中でも、あなたが一番よ!」
アデライドはシリルの両腕を掴みながら、ぐっと顔を近づけ、うっとりと頬を染めつつ言った。
「あなたの瞳や指を思い出すだけで私、身体が火照って苦しいくらい……」
「えっ! そ、そんなこと言われましても~」
至近距離からアデライドの潤んだ瞳を見つめてしまったシリルは大変動揺し、思わず目を逸らした。
だが、視線を下げたシリルの目に飛び込んできたのは、熟れたさくらんぼのように瑞々しい唇で――その柔らかそうな唇を見てさらに狼狽えたシリルは、愚かにも視線をさらに下へと下げてしまった。
結果として、アデライドの豊満な胸の谷間を至近距離から直視してしまい――神殿で禁欲生活を送っていたシリルはキャパオーバーで倒れそうになった。




