14 魔王と聖杯の正体 ②
「せいはいに、ぎたい?」
シリルは呆然とその言葉を繰り返した。
どういうことだか全く理解できなかったからだ。
「そうなの。私、聖杯の姿でずっとあなたのそばにいたのよ」
(ずっと? そばに? 聖杯の、姿で?)
聖杯、という言葉を聞いたシリルは、無意識に懐に手をやった。
ユイから聖杯を渡されたシリルは、今度こそ絶対に見失わないよう、紐付きの巾着袋に入れて首から下げて持ち歩くことにした。
そうやってシリルは、眠るときも肌身離さず持っていた、はず。なのに。
シリルの懐にあるはずの聖杯が無い。
空っぽの巾着袋を握りしめ、シリルは「信じられない……!」と呟いた。
「愛しいシリル、私の言う事を信じてくれたかしら?」
「君は、聖杯なの……? 本当に……?」
「そうよ。ああ、シリル。あなたと一年も離れていて、私がどんなに寂しかったか。もっと早く迎えに来てくれると思っていたのに……」
アデライドは美しい顔を曇らせ、潤んだ目でシリルに訴えた。
「ああ、シリル。会いたかった。離れている間も、あなたのことが恋しくて仕方がなかったわ」
「え? え? ……えええっ?」
「ねえシリル、私とのあの甘い時間を憶えているでしょう? あなたがその指で、私の身体の隅から隅まで優しく撫でまわし……熱の籠った視線で、ねっとりと舐めるように見てくる……ああ、熱い吐息を吹きかけて、服の袖で擦ってくることもあったわね……ああ、もう、思い出すと身体が火照って苦しいくらい…………」
「ええええええええっ!?」
そんなこと――そんな破廉恥なことをした覚えは断じて無い。
シリルは慌てて、アデライドの言葉を否定しようとした。
だが、その前にルカリオンが呆れたような声で言った。
「はっ! 露出狂の変態女め。いいか聖杯の番人とやら。この淫魔のような女は、聖杯に擬態した自分を、毎日お前に撫で回させていたんだ」
「失礼な! 誰が淫魔よ! あんな下等な生き物と一緒にしないで!」
ルカリオンの言葉に、シリルはあることを思い出した。
そう、あれは、聖杯の番人に選ばれた時のこと。
シリルは神官長から、『聖杯の番人としての心得』という一枚の古びた紙を渡された。
それは代々の聖杯の番人に伝わるものなのだという。
そこには、これからシリルが聖杯の番人として何をどのようにすべきかが書かれていた。
とは言え、特に難しいことは書かれていなかったのたが。
『毎日必ず宝物庫に行き、聖杯の状態を確かめること。微かな傷一つも見逃さないように、じっくりと時間をかけて、聖杯の隅から隅まで指で触って確かめるように』
確か、そんな風に書かれていた。
なのでシリルはその通りに、聖杯を両手でしっかりと持ち、どんな小さな傷も見逃さないようにじっくりと観察した。
毎日そうやって点検しているのだし、そもそもシリル以外の人間が聖杯に触れることはないのだから、傷などつくはずもないのだが。
それでも真面目なシリルは、言われた通りに毎日それを実行した。
鏡のように光る銀色の聖杯の表面に、シリルの指の跡が付くことがあったのだが。
そんなときシリルは、はあっと息を吹きかけ、服の袖で擦った。
確かにそうなのだ。
アデライドが言ったようなことを、シリルは確かに聖杯に対してやっていた。毎日。
(いやだって、それは聖杯に対してやったことで! この目の前の女性にやったわけではない!)
シリルは慌ててそう言い訳しようとした。
だが、その言葉はまたしてもルカリオンによって遮られた。
「うるさいな、もうお前たちの話などどうでも良い。アデライド、お前はその男と一緒に、とっととここから出て行け!」
「何を勝手なことを言ってるの! あんたなんて、小さい子供のふりをして番と毎日お風呂に入って喜んでる変態じゃないの!!」
「う、うるさい! 黙れ!」
アデライドの言葉に、ルカリオンの頬がほんのりと赤くなった。
「ユ、ユイを驚かしてはいけないと思ったから、仕方なく子供の姿で……」
「はっ、大嘘付き! 何が仕方なくよ。番に頭を撫でられて、うっとり嬉しそうにしているくせに! お風呂だって、別々に入ればいいものを!」
「あ、あれは、ユイが小さな子供を一人で風呂に入らせたら危ないって言うから!」
ルカリオンは耳まで真っ赤になり、必死にアデライドに言い返す。
「それだけじゃないわ! ルカリオン、あなた、この家と露天風呂の周りに結界を張ってるでしょう?」
「それの何が悪い。太郎が魔物に襲われたのはお前も知っているだろう? この森は危険だ。ユイ達を守るためにも、結界は絶対に必要だ!」
「あなたが結界を張ったおかげで、シリルは私を一年も見つけられなかったのよ! 結界さえなければ、私がシリルをすぐに呼び寄せられたのに! 無駄に強固な結界のせいで……!」
そうだったのか、とシリル思った。
おかしいと思っていたのだ。
聖杯の番人になってからのシリルは、離れているときも常に聖杯の気配のようなものを感じていた。
それは目に見えない糸で結ばれているような、微かな繋がりでしかなかったのだが。
でも、確かに聖杯と自分との間に、お互いを結び付ける絆のようなものを感じていた。
だが、それは突然消えてしまった。
聖杯が姿を消してしばらくしてからの事だった。
「私とシリルが引き離されていたあの一年を返して頂戴!」
「はっ、世迷い言を」
「全く、こんな自分勝手でねちっこい変態男が我らが魔族の王だなんて! 魔族の国の先が思いやられるわ! 伯父様は、あなたに王位を譲る時期を早まったようね! もう少し分別がつくようになるまで待つべきだったのよ!」
「う、うるさい!」
「お松伯母様とのんびり隠居生活を楽しみたいからって、300歳を越えてもまだ子供じみていて自分勝手なルカリオンに王位を譲って引退するなんて! 伯父様ったら一体何を考えているんだか!」
「うるさいうるさいうるさい! 従姉だからって言っていいことと悪いことがあるぞ!」
「はっ、うるさいのはどっちよ!」
まさに修羅場。
シリルはもう、どちらにも声をかけられず、黙ってオロオロとするばかりだった。




