13 魔王と聖杯の正体 ①
「おい、起きろ」
やっと寝付いたと思ったのに、突然そんな声をかけられたシリルは、眠い目を擦りながら上半身をなんとか起こした。
物置き代わりに使われている部屋とはいえ、幸いにもベッドが一つあったため、シリルは床に直接寝る羽目にはならずに済んでいる。
「すぐにここから出て行け」
暗闇に目を凝らすと、ベッドのすぐ横にルカが立っていた。
腕を組み、尊大な態度でそう命令してくるルカ。
上半身を起こしていると、シリルの顔の位置の方が立っているルカよりやや高い。
だが何故だろう。シリルはどうにも見下されているような気分だった。
ユイであれば。
こんなにも喋るルカを見て、とても驚いただろう。
でも、シリルはルカの普段の様子をよく知らない。
なので、こんな風にペラペラと喋るルカを見ても、『一言も話さないと言っていたのに、結構喋るんだな』としか思わなかった。
しかも、ユイに甘えているようなルカの態度を見た後なのだ。
冷ややかな目を向けられていた時はかなり怯えたシリルだったが、今はそれほどルカを怖いと思っていない。
だって、とシリルは思う。
所詮、小さな子供じゃないか、と。
なのでシリルは、大好きな姉を取られるのを嫌がる幼い弟を宥めているような気分になっていた。
しかしそれは大きな間違いだった。
「でも、聖女様……いや、ユイ様におすすめされた露天風呂に、まだ入っていないからね~」
ユイはシリルに、自分のことは聖女ではなくユイと呼んで欲しいと言った。
なので、ユイがここに居ないとしても、ユイ様とお呼びするべきだろう。
シリルは、気合を入れていないとすぐに落ちて来る瞼に、必死に抵抗しながら会話を続けた。
「とにかく今夜はもう眠らせて欲しいな~、話はまた明日にしようよ~。君も早く寝ないと、大きくなれないよ~」
「どうやら命が惜しくないようだな」
ゾッとするような低音。
どう考えても子供の声ではない。
閉じかけていた目を見開き、その声の主を見る。
そこにいるのは、先程までルカだったはず。
なのに今、シリルを酷薄な目で見下ろしているのは、男であるシリルでさえ見惚れてしまうほどの美貌の男性だった。
真っ直ぐに背中へと流れ落ちる艶やかな黒髪。
暗い部屋の中に浮かび上がる白い陶器のように滑らかな肌。
憎しみに燃え上がるような赤い瞳。
そして、頭に生えている、雄山羊のような恐ろしい二本の角。
シリルは悟った。これは――この男性はルカなのだと。
そして、先程までの可愛らしい子供の姿ではなく、この禍々しくも美しい大人の男性の姿の方が、ルカの本当の姿なのだろう、と。
「ユイは聖女ではない。私の番だ」
「そんなはずは」
「ユイは私が――この魔王が、この世界に呼び寄せた番だ」
ユイ様が――番? 聖女では無く?
混乱したシリルは、ただ黙って首を左右に振った。
「信じられないか? はっ、お前が信じようが信じまいが、私にとってはどうでも良いことだ」
ルカ――いや、魔王の手が、シリルの方に向かって伸ばされる。
すらりとした美しい指の先の黒く塗られた爪が、シリルの頭を鷲掴みにしようとした、その瞬間――。
「ちょっと!! 何やってるのよ、ルカリオン!!」
突然、シリルと魔王の間に、若く美しい女性が飛び込んできた。
シリルを背に庇う様に両手を広げて立つその女性は、魔王のことをルカリオンと呼んだ。
「私のシリルに何をする気? 酷いことするのはよして頂戴!」
「うるさい! いいから黙ってそこをどけ!」
「どいたら何をするかわかったもんじゃない。絶対にどかないわ!」
「アデライド! 逆らう気か!」
そうしてアデライドと呼ばれた女性は、魔王ルカリオンと睨み合っている。
相変わらず部屋の中は暗かったが、窓から入る月の光のせいで、全く何も見えないと言うわけではない。
目が暗がりに慣れてきたせいもあっただろう。
シリルは突然現れた女性を見て、必死に頭を動かした。
(一体、この女性は誰なんだ!?)
だが、自分のことを『私のシリル』と呼ぶその女性に、シリルは今までに一度も会ったことが無かった。
砂漠の砂のような褐色の肌に、腰までの緩やかな巻き毛の金髪。
異国の踊り子風の衣装は肌の露出がとても激しい。
上半身は胸を包み込むように隠す布を交差し、首の後ろに回して結んでいる。
なので、シリルの目の前には、滑らかで触り心地の良さそうな背中があった。
こんなにきわどい格好の女性に一度でも会ったなら、絶対に覚えているはず。
シリルがそんなことを考えていると、目の前の女性が不意に後ろを振り返った。
(なんて美しいんだろう)
シリルを見つめる赤い瞳。
同じ赤色ではあるが、ルカのものとは全く違って見えるその瞳を、シリルは心から美しいと思った。
そして、こんな時であるのに、その瞳に自分が映っていることが震える程に嬉しいと思った。
「私のシリルには、指一本触れさせないわ!」
「はっ、愚かしい真似を! そこの男は、お前が何者なのか全く気付いていないようだが。そんな薄情な男を庇うとはな」
再び、魔王ルカリオンとアデライドが睨み合う。
シリルは、自分が彼女を憶えていないことがひどく歯痒く、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
悔しそうにうつむくシリルを見て、アデライドが慌てて慰めるように言う。
「まあ、愛しいシリル。私が誰だかわからなくても当然よ! だからそんなに気にしないで頂戴!」
再び振り向き、シリルの顔の近くにその美しい顔を寄せ――だが、両手を広げて魔王からシリルを守る姿勢は崩さずに――アデライドはハッとするほど妖艶な笑顔で微笑んだ。
そしてその後、美しく形の良い唇から紡がれた言葉は。
「私は聖杯に擬態していたの。だからね、あなたが私のことを誰だかわからなくて当然なのよ!」




