12 聖杯の番人 ④
「あ、ルカ、おかえりー」
「ワン!」
ユイと太郎が笑顔で出迎える。
だが、ルカはにこりともしない。
「あのね、この人はシリルさんって言うの。このゴブレットと私のことを探してたんだって。あ、そうそう、このゴブレットね、なんと聖杯だったんだって! あ、セイハイってわかる? 聖なる杯のことなんだけど。びっくりよね!」
ユイが無邪気にそう言うと、ルカの纏う空気が驚くほど冷え込んでいった。
「一年も探し続けてたんだって。だからね、このゴブレット、じゃなくて聖杯は、シリルさんに返そうと思うの」
「え! い、良いのですか〜?」
「もちろん。だって、私が持ってても仕方がないし。お花は別のコップに活けたから大丈夫」
どうやら、ユイにとって聖杯は、花を活けるのに丁度良い花瓶としての価値しかないらしい。
違うのに、いいのかそれで、とシリルは言いかけたが、下手なことを言って『じゃあやっぱり返すのはやめる』と言われたら大変なので、むぐっと口を閉じた。
「でね、聞いてルカ! 私、実は聖女だったんだって! あ、聖女ってわかる? 聖なる女って書くんだけど……ブハッ、せいなるおんなって、なんか面白い響きね! くくっ、せいなるおんな……」
その後しばらく、せいなるおんな、という言葉を繰り返して笑い続けるユイを見て、聖女様は笑い上戸なんだな、とシリルは思った。
そんなシリルはというと、これっぽっちも笑えるような気分にはならなかった。
何故なら、自分を見つめるルカの視線が、どんどん鋭さを増していっているからだ。
最早、殺意すら感じられるほどなのだ。
そして。
ユイの笑いの波が落ち着くのを待って、シリルは突然、床に座り込み土下座のような姿勢をとった。
真剣な顔で、椅子に座ったユイを見上げるようにして、シリルは叫んだ。
「こちらの都合で呼び出しておきながら、一年もの長きに渡り、お迎えに上がれずに申し訳ございませんでした!」
それは、いつもの語尾が間延びした、気弱な話し方ではなかった。
強くはっきりと、心からの誠意をこめて。
シリルは一生懸命、ユイに訴えかけた。
迎えに来るのに一年もかかったのは、決してシリルのせいではない。
でも、それでも、心を込めて謝るのが筋だとシリルは思っていた。
なので、聖女様に会ったら、絶対に謝罪の言葉を伝えようと決めていたのだ。
願い事を口にするのは、その後でなければ、と。
「聖女様、どうか、どうか私と一緒に、王都の大神殿に行っては頂けませんでしょうか? 魔王の復活を阻止できるのは聖女様ただお一人。どうか、どうか、お願い致します!」
シリルがそう言った瞬間。
窓から見える庭に真っ白な閃光が走り、腹の底を揺さぶるような雷鳴が轟いた。
地響きと共に伝わるその震動は, まるで巨大な獣が咆哮しているかのようで、窓ガラスをビリビリと激しく震わせた。
「うわっ!」
「ワフッ!」
「……っ!」
あまりの衝撃に、ユイと太郎が声を上げた。
シリルは飛びかけた意識を必死に繋ぎ止め、震える身体を丸めて床にうずくまった。
「うわー、びっくりしたー。シリルさん、大丈夫ですか?」
「ワフッ」
シリルとしては、先程の落雷にそれほど動揺していないユイと太郎の方がよほど驚きだった。
「雷のせいで話が途中になっちゃっいましたね」
その声に、不躾にもシリルは思わずユイの顔をまじまじと見つめてしまった。
先程までの、のんびりとした口調ではなく、きっぱりとした意識の強さを感じられる物言いだったからだ。
「私は、あなたと一緒に行くことはできません」
「そんな! どうか、どうかお考え直し下さい! 魔王復活を防げるのは貴女だけなのです! どうか、お願いします!」
「嫌です。私はここから離れたくありません」
「……っ!」
顔を上げ、懇願するようにユイを見上げるシリルに、ユイはきっぱりとそう言い放つ。
表情の無い顔が、完全な拒絶を物語っていた。
だが。
それ以上何も言えなくなったシリルが、ぐったりと項垂れると。
「なんだか外が暗くなってきたことですし、危ないから今日はここに泊まって行くといいですよ。とはいえ、この家狭いんですよー。物置き代わりに使っている部屋で良ければなんですが」
今まで通りの優しげな話し方が、頭の上から聞こえてきた。
驚いて顔を上げると、にっこりと笑顔のユイがいた。
「いいのですか〜?」
こちらも元の気弱な話し方に戻ってしまったシリルがそう尋ねる。
「もちろん。あ、そうそう。家からちょっと離れたところに、露天風呂があるんですよ! すごく気持ちいいから、明日の朝にでも入ってみたらいかがです?」
ニコニコと優しげにそう言うユイ。
そんなのんびり口調のユイを見て。
今なら、もう一度、王都までの同行を願えるかもしない――そう思いかけたシリルだったが。
「一年もかけてここまで来たんですから、温泉に浸かって美味しいものを食べて、のんびりしてから帰るといいですよー。あ、帰りにはお土産にあの実をたくさん持ってって下さいねー」
遠回しにではあるが、自分は絶対に一緒には行かないからね、そう言われているような気がして、シリルは開きかけた口を閉じた。
ふと気づくと、いつの間にかルカがユイの横に立っていた。
不安げな表情で、ユイの腕にぎゅっとしがみつく。
「どこにも行かないよ。ここで、ルカと太郎と一緒にいるからね」
囁くようにそう呟くと、ユイはルカの頭を愛おしそうに撫でた。
それを聞いて安心したように微笑むルカの表情を見たシリルは。
ルカのことを『甘えん坊で愛らしい』と言っていたユイの言葉を思い出し、確かに、と心の中で頷いた。




