1 犬の散歩中、異世界に飛ばされました ①
誤字報告ありがとうございます! 本当に助かりました(^^)
「ねえ、太郎…………ここってどこだと思う……?」
「クゥーン……」
リードを強く握りしめ、愛犬の柴犬、太郎にそう話しかけたユイは、不安そうに辺りを見回した。
いつもの公園で、顔なじみの女子高生とその愛犬と、のんびり立ち話をしていたはず。
だが、今、ユイと太郎が立っているのは、見覚えのない深い森の中だ。
突然、足元に現れた光る魔法陣。
次の瞬間、目が眩むような強い光に包まれ――
気が付けば、太郎ともどもここに立っていた。
不思議なことに、手に持っていたはずの散歩グッズが入ったバッグが無い。
その代わり、左手に見覚えのない銀色のコップのようなものを握りしめていた。
(ゴブレットって言うんだっけ、こういうの。映画で見たことがあるやつだ)
脚が付いて倒れにくそうな杯。
ピカピカ光る銀色で、結構な重さがある。
無意識に、ダンベルのように上げ下げしてしまったが、今はそんなことをしている場合では無い。
こんなところにいても、埒が明かない。
グズグズしていると日が暮れてしまう。
沈みかかった太陽を見て焦ったユイは、とりあえずその場から歩き出した。
あちこちに引っかかって煩わしくなったので、太郎のリードは外してある。
一瞬、はぐれたら困るなと思ったが、賢い太郎なら勝手にどこかに行ってしまうことはないだろう。
幸いにも、それほど歩かないうちに古びた一軒家を見つけた。
こんな森の中によく建てたものだと思うくらいには立派だが、街中にあったら貧相だと思えるくらいの平屋だった。
辺りは大分暗くなっていたが、灯りは点いておらず、人が住んでいる気配はなかった。
「こんばんはー! ひええ!」
予想外に響いた自分の声に怯えてしまったユイは、続いて小声で「誰かいませんかー」と呟いた。
が、返事は無かった。
どうやらここは空き家のようだ。
非常事態なので仕方が無いと、ユイは太郎を連れて不法侵入を試みた。
「誰もいないな……」
だが、暗闇に目が慣れてくると、キッチンの床に、何かがうずくまっているのがわかった。
「え? 子供……?」
「クゥーン……?」
恐る恐る近づいてみると、それは小さな子供だった。
暗がりの中でもわかるくらいに薄汚れた服を着た、ひどく瘦せ細った5歳くらいの――多分、男の子が身体を丸めて床にしゃがみ込んでいた。
手入れされていない黒髪の、長い前髪の下からルビーのように赤い瞳が覗いている。
その目は驚くほど虚ろで、ユイは一瞬、言葉に詰まってしまった。
(どうしてこんなに小さな子供が、こんなところにいるの……!?)
「あの、どうしてこんなところにいるの?」
怖がらせないようにしゃがみ込んで目線を合わせてみる。
だが、ユイの問いかけに、男の子は何も答えなかった。
ただじっと、ユイの目を暗い瞳で見つめ返すだけ。
「一人ってことはないよね? もしかして迷子になっちゃったのかな? まさかここに一人で住んでるなんてことは…………ハッ、まさか捨」
捨て子、と言いかけて、慌てて口を閉じる。
そんな言葉、絶対に子供に聞かせてはならない。
ユイは慌てて笑顔を作った。
「す、す、素敵な家だから、入ってみたくなっちゃったのかな?」
「ワフ……」
我ながら苦しい言い訳だと思ったし、隣の太郎から絶妙なタイミングで相槌を打たれて、ユイは力なく項垂れた。
すると、すっくと立ちあがった男の子が、トコトコ近寄ってきてユイの肩に手をポンと乗せた。
ドンマイ――そう言われているかのような仕草。
こんな小さな子供に気を遣わせてしまうとは。大人のくせになんて情けない。
そう思ったユイは、なんとか大人としての名誉を挽回すべく、再び笑顔で明るく話しかけた。
「どうしてこんなところにいるの?」
「………………」
「他に誰かいるの?」
「………………」
「どこから来たの?」
「………………」
何を聞いてもうんともすんとも言わない男の子を前に、ユイは今更ながら、あることに気付いた。
「もしかして言葉が通じない……? 日本語じゃ駄目ってこと……?」
だがそれはユイの思い過ごしだったようだ。
「英語で話しかけてみようかな?……って言っても、私の英語力じゃ名前くらいしか聞けないし……」
「……ルカ」
「え?」
「ルカ」
男の子はユイの目をじっと見つめながらそう繰り返した。
ややあって、それの意味するところに気付いたユイは、ポンと手を叩いた。
「ああ、名前ね? ルカっていうのね?」
男の子はこくりと頷いた。
「良かった、日本語通じるんだ!」
ホッと胸を撫でおろしたユイだったが。
それ以上の会話は成り立たなかった。
ルカと名乗る男の子は何を聞いても無言で、名前以外の情報はついぞ引き出せなかったのだ。
「いやもう本当にこれ、どうしたらいいの…………?」
「クゥーン…………」
途方に暮れるユイ。……と、太郎。
それをじっと見つめる小さな男の子、ルカ。
とんでもなく前途多難で不穏な幕開けだったが。
なにはともあれ、こうしてユイと太郎の異世界転移生活がスタートした。




