第98話 異世界で“街道をつないだ”日
砦の鐘が、朝の谷に響いた。
霧が晴れ、陽光が石壁を撫でる。
その光の向こうに、人の列があった。
まるで朝日が、人の手で新しい道を描いているようだった。
谷を越えた丘の斜面で、土をならし、杭を打つ人々。
ベルデ村、フォルデン村、そして砦の住民たち。
服装も言葉もばらばらなのに、不思議なほど動きがそろっていた。
誰かが声を上げるまでもなく、次に何をすべきかを、もう全員が知っている。
(もう“教えられて”動いているんじゃない――)
(“自分たちで考えて”動いているんだ)
私は歩廊の上から、その光景をしばらく見つめていた。
戦うために築いた砦が、いまは人をつなぐ拠点になっている。
そのことが、胸の奥を静かに熱くした。
***
「ベルデ側、こっちは石を入れてくれ!」
「了解! フォルデンから運んだ砂利を入れる!」
現場に行くと、道づくりはすでに軌道に乗っていた。
リュカが測量棒を持って傾斜を確かめ、メイリアが木の杭に印をつける。
フォルデンの青年バルスは、荷車を押しながら声を張り上げた。
「傾きを一定にして、雨の逃げ道を作るんだ!」
その言葉に、周りの人々が自然と頷く。
私は笑みをこぼした。
砦を築いたときに教えた“水勾配”の考え方が、ちゃんと伝わっている。
近くでは、フォルデンのナーヤ婆が草束を抱えていた。
「この草を道端に植えな。根が強いんだ。土を抱きしめてくれる」
村の少女たちが真剣に聞き入り、草を植えながら笑っている。
「土は生きてるのよ」
ナーヤは優しく言った。
「歩けば固まる。草を植えれば息をする。生き物と同じさね」
その言葉に、私は小さく頷いた。
人が自然と共に歩む。
それがこの世界の“道”のあり方なのだと。
***
昼過ぎ。谷間を渡る風が湿っていた。
人々が立ち止まり、古い仮橋を見つめている。
以前の豪雨で流されたままの丸太の残骸が、いまも水辺に引っかかっていた。
「橋を作らないと、荷車が渡れないな」
「丸太も縄もあるけど、どう組むか……」
そこへ年配の大工が呟いた。
「そういや砦で“自立する橋”を見たことがある。縄も釘も使わずに組み上げるやつだ」
「ダ・ヴィンチの橋か……!」
私は思わず声を漏らす。
かつて砦建設で使った“力を逃がさず、互いに支え合う木組み”――。
それを覚えていた住民たちが、もう自分たちで再現しようとしていた。
リュカが指示を出す。
「丸太をこの角度で交差させて! 重なりの中心を支えにすれば、崩れない!」
メイリアが補足する。
「左右の角度をそろえて! 力が片方に寄ると折れるから!」
私は少し離れた場所から見ていた。
彼らの手際は確かだった。
砦の工法を、もう完全に自分たちの言葉と経験で理解している。
木が交差し、重なり、静かに弧を描く。
組み上がった瞬間、橋はまるで息をするように、ぴたりと自立した。
「……立った」
誰かが呟き、歓声が起こる。
子どもたちが真っ先に駆け出し、橋を渡って向こう岸へ。
揺れはわずかで、足取りは軽い。
「奇跡だ……」とフォルデンの青年が言う。
けれど私は静かに首を振った。
「奇跡じゃないわ。これは――人の知恵よ」
シエルが横に立ち、息をついた。
「道も橋も、女神の奇跡なんかじゃないんだね」
「ええ。人が信じて動けば、奇跡なんて待たなくても起きるの」
風が吹き抜け、橋の木肌が陽に光った。
***
夕方。
新しい街道が、砦までまっすぐ延びていた。
土の上には、馬車の車輪の跡。
ベルデ村からは食料が、フォルデン村からは木材が運ばれ、砦からは薬や道具が返っていく。
行き交う人々が挨拶を交わし、笑いながら手を振る。
(この往来こそが、私たちの“防壁”なのかもしれない)
ガルシアが隣に立ち、静かに言った。
「道を築くには戦よりも多くの手が要る。だが、その分だけ強い絆が残る」
「ええ。道は守るものじゃなく、“迎えるもの”なのよ」
彼は小さく頷き、遠くの夕焼けを見た。
その先には、村の灯りが点々と続いている。
***
夜。
砦の見張り台に立つと、街道を行き交う人の灯が連なっていた。
それはまるで、地上に描かれた一本の光の線のようだった。
「見て、真希。星みたい」
シエルが隣で呟く。
「うん。人の手で灯した星ね」
私は胸の内でそっと呟いた。
(知恵は灯。灯を分け合えば、誰の手にも光が残る)
――道は、人と人のあいだに信頼を通わせる線。
今日も誰かが歩き、誰かが笑い、その線を少しずつ強くしていく。
風が吹き、砦の鐘が三度、短く鳴った。
音は谷を渡り、村々の灯をなでるように広がっていく。
それはまるで、夜そのものが“ひとつの道”になったかのようだった。




