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異世界でスローキャンプ生活を始めたら、なぜか女神として崇められてました  作者: 佐藤正由
異世界キャンプ生活 第2期

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第97話 異世界で“砦の生活”を整えた日

 砦が完成してから数日。

 戦うための壁はある。けれど、ここで暮らしていくための“土台”は、まだ足りない。

 朝の鐘を三度、短く。合図とともに私は皆を集めた。


「今日から“暮らしの整備”に入るわ。訓練場、見張りの宿舎、それから――大浴場」

 最後の一つを言うと、広場に小さなざわめきが走った。子どもたちは目を輝かせ、疲れた大人たちは思わず笑った。


 ガルシアが前に出る。

「役割を分ける。第一班、訓練場。第二班、宿舎。第三班は水回りと浴場だ。元兵は第一・第二へ、木工の得意な者と石積みの得意な者は第三班に入ってくれ」


 ラスティンが拳を胸に当てた。

「第一班、任せてくれ。戦い方じゃない、“生き延びる”訓練を教える」


 私は手帳を開き、描いておいた簡易図を掲げる。

「訓練場はこの位置。砦の内庭の北側、吹き抜けの真下よ。雨の日も使えるように軒を深くする。標的は藁束、槍稽古用の模擬壁は“押して倒す”ではなく、“引かせて崩す”構造にして」

「引かせる?」と若者。

「相手が前に出てきた勢いを利用して崩すの。真正面からぶつかると、体力のある方が勝つからね」


 第二班へ視線を移す。

「宿舎は見張り塔のすぐ裏。二階建てで、寝台は上下段を斜めにずらして、互いの寝息が直接当たらないように。炊事場は土間にして煙を外へ逃がす。夜番が交代できるように“半刻ごと”の鐘で区切るわ」

 ガルシアが頷く。「三交代制だ。昼、夕、夜。無理はするな」



 第二班はすでに木の枠組みを立ち上げていた。

 大工役の老人ヨラムが、柱の“ほぞ”に木槌を入れながら言う。

「寝台は幅を欲張るな。狭い方がよく眠れる。人は広さより“安心”で眠るもんだ」


 若い兵が首をかしげる。「安心?」


 私はその言葉に頷いた。

「そうね。心理学でも、“安心できる囲われた空間”の方が深い眠りにつけるって言われてるの。

 広すぎると人は無意識に身を守ろうとして、眠りが浅くなるのよ。

 だから壁が近い方が、体も心も落ち着く」


 兵たちは思い思いに寝台に腰を下ろし、互いの距離を確かめるように視線を交わした。

「確かに……狭い方が、妙に落ち着くな」

「壁の厚みと上の段の影が、まるで洞窟みたいで安心する」

 ヨラムが満足げに笑い、木槌を軽く振った。

「ほらな。寝台は“広さ”じゃなく、“包まれ方”だ」

 私はその言葉を聞きながら、胸の内で静かに頷いた。

(人は守られていると感じて、ようやく眠れる――それは戦の後も同じだ)



 第三班は大仕事だ。

 谷の上流に仮の堰を作って水を分ける。石を組んで沈殿槽を作ると、濁った水が静かに澄んでいく。

 重い鉄釜は滑車で持ち上げ、レンガを積んだ火床に据えた。

 鉄の釜が据えられると、作業の手が一瞬止まる。

 光沢のある黒い腹が、砦の灯を映して静かに輝いた。


「この釜なら、薪の消費を抑えられるわ」

 私は指で構造を示した。

「火床の熱を鉄が均等に広げてくれるし、湯はここを通って循環する。

 浴場で使った湯は底の排水口から“ろ過槽”を通って釜に戻る仕組み。

 砂と炭を層にして汚れを落とし、キレイにしてから再加熱するの。

 新しい水を少し足すだけで、湯を何度も使えるわ」


「……そのろ過槽、俺にも作らせてください!」

 振り向くと、工具を抱えた青年が立っていた。

 ガルシアの息子、レオンだった。

 兵舎の整備を手伝いながらも、休憩時間になると必ずこの浴場の作業場を覗きに来ていた。


「働き詰めじゃないか」

 ガルシアが少しだけ声を低くする。

「はい。父上……じゃなくて、参謀殿。俺も自分の手で“暮らせる砦”を作りたいんです」

 彼の瞳はまっすぐで、かつてのガルシアを彷彿とさせた。


 だがガルシアは、ゆっくりと首を横に振った。

「……今の私は参謀ではない。ただの住民の一人だ。

 この自治区には軍規も命令もいらん。あるのは“暮らしを守る責任”だけだ。

 レオン、お前も兵としてではなく、一人の住民として何ができるかを考えろ。

 人を導くのではなく、共に働け。……それが、今の私の教えだ」


 レオンははっとしたように目を瞬かせ、それから力強く頷いた。

「わかりました、父上。じゃあ俺も住民の一人として、皆の癒しのための仕事をします」

 彼はそう言って、砂袋を抱え上げた。

 その仕草には、もう“命令を待つ兵”の面影はなかった。


「ここに砂と炭を交互に詰めていくの。上層は粗い砂、下層に行くほど細かく。

 炭は汚れや臭いを吸着してくれる。これで湯の濁りも匂いも取れるはず」

 レオンは真剣な顔で頷き、木枠の中に丁寧に砂を流し込んでいく。

 手つきはまだぎこちないが、迷いはなかった。

 その様子を見ていたガルシアが、ぽつりと呟いた。

「……あいつ、いつの間にか手を動かすようになったな。昔は書物ばかり読んでいたのに」

「覚えるのが早い。きっと、誰かの背中を見て育ったんでしょうね」

 そう返すと、ガルシアは少し照れたように肩をすくめた。


 焚き口に乾いた薪をくべると、鉄釜の腹が低く鳴った。

「湯樋は傾斜を一定に。途中で沈むと“ぬるい湯”になるから」

 私の声に、子どもたちが「ぬるいのはやだ」と笑いながら板を支える。


 夕刻、最初の湯が湯船に落ちた。

 金属の釜が低く鳴り、湯面に光が揺れる。白い湯気が立ちのぼり、砦の石壁がやわらかく霞んだ。

 ろ過槽を通った湯は澄み、指を入れるとすべりが消えるほどに清らかだった。

 誰かが無意識に息を呑んだ音が、湯気の中に消えた。



 日が傾くころ、訓練場には人の列ができた。

 昼間に覚えた足運びを、年寄りも子どもも真似する。

 ラスティンは笑って、子どもの手をとった。

「槍はね、こう握ると疲れない」

 大人に向き直ると、顔つきが締まる。

「“怖さ”を忘れるな。ごまかすな。怖いなら、足に手順を覚えさせろ。手は迷うが、足は覚えている」


 見張り宿舎の炊事場からは、湯と雑穀の匂い。

 新しい土間は熱を逃さず、煙は屋根の小さな風抜きから空へ。

 台所に立つ女たちが、交代表を覗き込みながら笑い合っている。

「夜番は湯上がりの体が冷えるから、湯ざましを。瓶に詰めて置いておこう」

「薪足りる?」

「足りないときはダイチに言って。腕力で解決してくれるから」

 ダイチが絶妙なタイミングでくしゃみをした。子どもたちの笑いが一段大きくなる。


 私はガルシアと歩廊をゆっくり回った。

 暮らしの音――木槌、笑い声、鍋をかき混ぜる音、夜番鈴の試し打ち。

「戦場では命を削る訓練しか知らなかった」

 ガルシアが低く言う。「ここでは、生を延ばす訓練ができる」

「ええ」

 私は頷く。「戻る場所があるから、人は強くなるの」



 夜の鐘が、短く三度。

 大浴場の入口に“順番札”がかかり、みんなが竹札を指で弾いて、自分の番を確かめる。

 湯殿の床には滑り止めの溝を切り、洗い場には腰掛けを並べた。

 最初に湯に入ったのは、昼からずっと火の番をしてくれた第三班だ。

「……あったけぇ」

 湯気の向こうで、誰かが肩の力を抜いた。

 湯の音は不思議だ。話し声をふくらませ、笑い声をやわらげる。


 順番は静かに進む。

 子どもが両手を湯にひたして、「雲、つかまえた」と言う。

 母親は「逃がしておいで」と笑う。

 老兵が目を閉じ、息を長く吐く。

「こんな風呂、いつぶりだろうな」

「“風呂”って呼べるの、初めてかもしれません」

 隣でラスティンが、恥ずかしそうに頭をかいた。

「戦の前は、わざと流さなかった。油断すると死ぬ気がして。でも――」

「今は、生きるために洗うのね」

「……ああ」


 外では交代の鐘。見張り宿舎の灯りがひとつ消え、ひとつ灯る。

 私は湯殿の縁に腰を下ろし、足を湯に沈めた。

 湯が足首を包み、今日の土の重さがやっと離れていく。

 隣に腰を下ろしたシエルが、耳まで真っ赤にしながら囁く。

「ねえ、真希。わたし、浴場って“戦の後のお楽しみ”だと思ってた」

「違うの?」

「“戦の前の平和”でもあるのかも、って。これがあるから、怖くても、明日も見張れる」

「なら、作ってよかった」

 シエルが小さく笑った。湯気に紛れて、笑い声はどこまでも柔らかい。


「ねえ、真希。……思ってたんだけどさ」

「なに?」

「真希のお風呂にかける熱意、風呂釜より熱いよ」

 思わず吹き出しそうになって、私は湯面を軽く叩いた。

「そんなことないわ。ただ――」

 湯気の向こうで、私は少しだけ笑って続けた。

「お風呂って、体だけじゃなくて心も温めるものなの。

 どんな疲れも、どんな痛みも、湯に溶けていく。

 人が“生きてる”って実感できる、最高の贅沢よ」

 シエルは目を細めて頷いた。

「うん……だから、真希が作るお湯は、どこかあったかいんだね」

 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。

 湯気がゆらめき、私たちの笑顔をやさしく包み込んだ。



 夜更け。

 私は火床の前でしゃがみ込み、釜底の火を細く整えた。

 湯樋に耳を近づけると、かすかな水音が続いている。

 帰ってきたダイチが、肩に丸太を抱えたまま欠伸をする。

「薪、しばらく大丈夫そうだぞ」

「ありがとう。明日は灰を拾って、畑の土に混ぜよう。土がよくなるから」

「捨てるもん、ないんだな」

「うん。ここでは“全部が誰かの助け”になる」


 夜番の若者が宿舎の戸口で小さく会釈する。

「鐘の合図、正時に三つ。交代は滞りなく」

「寒くなったら、湯ざましを飲んでね」

「はい」


 私は歩廊に出て、砦の門を見下ろした。

 夜の谷は深く、星は低い。

 けれど砦の内側には、絶えない灯りがある。

 笑い声、眠りの息、薪のはぜる音。

 それらを包むように、柔らかな湯気がいつまでも漂っていた。


(暮らしがあるから、人はここに戻ってくる)

(戻る場所があるから、前に進める)


 短く三度、夜の鐘。

 音は静かに広がって、やがて森に吸い込まれていった。

 その余韻の中で、私は目を閉じる。


 ――戦うためにではなく、生きるために。

 今日、砦は“壁”ではなく、“住まい”になった。

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