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異世界でスローキャンプ生活を始めたら、なぜか女神として崇められてました  作者: 佐藤正由
異世界キャンプ生活 第2期

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第93話 異世界で“砦の完成”を見上げた日

朝の谷は青い。石肌に残る夜露が薄く光り、風が吹くたび、崖の上に渡した木橋の板がわずかに鳴った。

 最後の一石が、ゆっくりと空を泳いでいく。四つの滑車に通した縄が軋み、二十人の手が一斉に力を込める。


「せーの!」


 掛け声に合わせて石が降り、台座に“コトン”と収まった。


 ガルシアが槌で軽く叩き、響きを聴く。

 乾いた澄んだ音。彼が顎を引く。


「――え付け、完了だ」


 どっと歓声があがった。ベルデ村、フォルデン村、シオーネ村、そして捕虜となった兵たちまでが互いの背を叩き合い、笑い、涙ぐむ者もいた。

 吹き抜けの上には歩廊が走り、外周の二つの階段は砦上へ続いている。高さはついに十メートル。

 谷を塞ぐ“壁”が、私たちの手で立ち上がったのだ。


「……やったな」

 ダイチが空を仰ぎ、眩しそうに目を細める。

 シエルは尾をふわりと揺らして笑った。


「ようやく“守る形”になったわね。通路を片方封鎖して、“おいでおいで”して上から雨を降らす。気持ちよく撃退できそう」


「気持ちよく、は物騒だけど……」

 私は苦笑しつつ、石の肌に掌を当てた。

 冷たいはずの石が、どこか温かく感じられる。ここに積まれた汗と息遣いを、石が覚えている気がした。



 広場に人が集まり、ささやかな完成の場が設けられた。

 セムが一歩進み出て、砦を見上げる。


「この砦は、自治区の象徴だ」


 短く、しかし重い言葉。

 オルネスが続ける。


「同時に、外へ向けられた私たちの“返答”でもある。――大事なのは使い方だ。守るために使おう」


 ミレナが帳簿に新しい行を書きつけた。

『本日、谷の砦、完成。吹き抜け・歩廊・二階段、竣工確認』

 乾いたインクが、日付の横に定着していく。


 捕虜兵のラスティンは腕を組み、静かにうなずいた。

「これで、俺たちは家族を守れる」

 デルナが短く「そうだ」とだけ言い、トマスは照れたように笑った。

「……ちゃんと役に立てて、よかった」



 完成直後から、交代の見張りが始まった。

 シエルとダイチが最初の当番だ。二人は歩廊を風に乗って歩き、吹き抜けの縁から谷の外を見張る。


 足下で、子どもたちが手を振った。

「お城みたいだ!」


 私は柵越しに笑い返す。――これは奪うための砦じゃない。守るための砦だ。


 夕刻、空気がわずかに揺れた。

 遠見の稜線に、陽炎のような影が立つ。

 シエルの耳がぴくりと動いた。


「……あれ、見える?」


 ダイチが鼻をひくつかせる。

「人の匂い。複数。風下だ。こちらを窺ってる」


 すぐにガルシアを呼んだ。彼は影の位置と風向きを確かめると、短く息を吐いた。

「偵察だ。ネストリアの目だろう」


 周囲に緊張が走る。武器を取る手が増え、誰かが「追い払うか」と言いかけたその時、ガルシアが手を挙げて制した。


「――あれ以上は近づけまい。今のネストリアに、この砦へ手を出す余力はない」


 人々がざわめく。ガルシアは砦に背を預け、低い声で続けた。


「帝国からは見放されて久しい。援軍など望めぬ。バルドもリュートも、帝国に取り入りたいがために体裁ばかり気にしているが……実際には相手にもされていない。あの影は、“恐れ”と“羨望”の混じった目だ」


 誰かが問うた。

「ネストリアは、もともと帝国の辺境なのでは?」


 ガルシアは小さく首を振る。

「成り立ちは違う。前領主――エルネスト様は、中央の権力争いに敗れてこの地へ送られた。左遷に近い扱いだった。だが、あの方は自ら鍬を握り、道を切り開き、民と共に村々を興した。……ネストリアは“辺境に落ちた男と民の開拓”から始まった土地だ。だからこそ、誇りがあった」


 彼は視線を上げ、完成した砦をしばし見つめる。


「俺は帝国で多くの砦を見、いくつかは設計にも加わった。だが――石をこれほど高く積み、吹き抜けに歩廊を巡らせ、狭間から上下を睨む。これほど“守りの知恵が形になった砦”は見たことがない。……これは、この地だけの砦だ」


 その言葉に、ざわつきが静まった。

 石の壁に夕陽が差し、淡い金色が段を走っていく。

 誇りと、不安と、昂ぶりと。胸の中に相反するものが折り重なり、私は深く息を吸った。


「恐れる必要はないわ」

 私は歩廊の上から声を放った。

「この砦は、争うためじゃない。誰かが奪いに来ても、誰の子も泣かせないための砦。――誰にも、奪わせない」


 足下で、リサナが子の手を握り、うなずいた。

 捕虜兵たちの眼にも、静かな火が灯る。

 広場にいたセムが短く応えた。


「守ろう。ここを」



 夜、焚き火が点々と灯る。

 子どもたちは今日から砦の下で眠るのだと言って、毛布を抱えてはしゃいでいた。

 私は見張りの交代を見送り、ガルシアと並んで炎を見つめる。


「……帝国にいた頃でも、ないのね、こんな砦は」

「ない」

 即答だった。


「帝国は“見せる砦”を好む。威容と紋章で威圧する城塞だ。だがこれは違う。構造が機能と直結している。知恵と労力が、恐ろしく無駄なく噛み合っている……」

 彼は小さく笑った。


「――女神の奇跡ではない。人の仕事だ。だからこそ、強い」


 炎がはぜる。

 私は肩の力を抜き、夜風を吸い込んだ。潮と草と、遠い焚き火の匂い。

 谷の向こう、闇の稜線には、もう影は見えない。だが確かに“見られた”。

 こちらの覚悟も、あちらの焦りも、同じ夜に刻まれたのだ。



 翌朝、砦ではさっそく訓練が始まった。

 歩廊での弓の運搬、吹き抜け縁からの合図、二つの階段での交差動線。

 ラスティンが声を張り、トマスが若者たちに結びの仕方を教え、デルナが盾の位置を直して回る。

 ミレナは記録を取り、オルネスは物資の配分を調整し、セムは交代表を整える。

 ――誰もが、自分の役をやっている。


 砦の影で、私は掌を握りしめた。

 震えていない。昨日までの“積む不安”は、今は“備える意志”に変わっている。

 石は冷たく、重い。けれど触れれば、皆の息遣いが返ってくる。ひとつに束ねられた鼓動が、この壁に生きている。


 私は心の中で、そっと言葉を置いた。

 ――ここからが、始まり。

 守るために、暮らすために、笑うために。

 この砦は、戦うための終点じゃない。生きるための起点だ。


 太陽がのぼる。石の段に、新しい一日が差し込んだ。

 谷を渡る風はもう冷たくない。砦の上を、旗ではなく人の声が走っていく。

 そして、遠い稜線の向こうで誰かが舌打ちをしながら見上げているなら――その視線すら、私たちの“生きる証”になるだろう。

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