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異世界でスローキャンプ生活を始めたら、なぜか女神として崇められてました  作者: 佐藤正由
異世界キャンプ生活 第2期

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第92話 異世界で“砦の壁”を積み上げた日

 朝靄が谷を包み込んでいた。崖の上にかけられた木橋は、夜露を吸い込んで光り、吊るされた滑車の縄はしっとりと濡れていた。

 そこに再び、自治区の人々が集まった。ベルデ村、フォルデン村、シオーネ村、そして捕虜となった兵たち。昨日に続く作業のために、皆が縄を握り、肩を並べている。


 ガルシアが低い声で言った。

「今日からは本格的に積み上げていく。目標は――高さ十メートル。そこまで積めば、砦としての役割を果たせるはずだ」


 人々の表情に緊張と期待が交じった。昨日、初めて石を一つ積んだときに歓声を上げたその顔が、今日は覚悟を帯びている。



 最初に持ち上げられたのは、昨日よりさらに大きな石だった。四つの滑車に縄が通され、二十人ほどが一斉に引き始める。

 「せーの!」

 縄が軋み、滑車が鳴いた。石がゆっくりと浮かび上がる。


 昨日の失敗を繰り返さぬよう、今回は横方向のロープを倍に増やしていた。左右から大人と捕虜兵が制御し、揺れを抑え込む。

 「止めろ、まだ速い!」

 ガルシアの鋭い声が飛ぶ。

 すぐに動きが鈍り、石は安定した。

 「よし、そのまま……下ろせ!」

 石が台座に収まると、ガルシアが槌で叩き、響きを確かめた。

 「合格だ」

 その言葉に安堵の息が漏れ、子どもたちが拍手を送った。



 昼前には三段目まで積み上がっていた。

 大工のヨラムが汗を拭いながら言った。

 「石が重なるごとに圧力が増す。だからこそ、下の石の選び方が肝心だ。欠けやひびのある石は使えん」

 フォルデン村の若者たちはヨラムの指導を受け、崖下で選別を始めた。石の目を読み、形の良いものだけを縄に括り付ける。


 シエルは崖の上で腕を組みながら見下ろした。

 「人間ってのは、案外しぶといわね。昨日まで震えていたのに、今日は誇らしげに石を担いでる」

 ダイチが隣で頷く。

 「家族のため、村のため……やれることは何でもやるんだ」


 捕虜兵たちも黙々と作業を続けていた。

 ラスティンは縄を締め直しながら静かに言った。

 「俺たちは命令に縛られてきた。だが今は違う。家族を守るために、ここで汗を流している」

 デルナが短くうなずき、低い声を落とした。

 「ならば、この腕を惜しむな。砦が完成すれば、もう誰にも奪わせはしない」

 その言葉に周囲の村人がうなずいた。昨日まで敵と呼んでいた男の言葉が、今は仲間の声として響いていた。



 午後になると、石の壁は人の背丈を超えた。

 崖の上から石を吊り上げるたび、縄を引く者の背筋が浮き出し、額から汗が滴り落ちた。

 「次は北側の壁だ!」

 「揺れを抑えろ、もっと右だ!」

 声が飛び交い、手のひらの皮が擦れて赤く染まっても、誰一人として手を離さなかった。


 私は作業の合間に図面を見直し、ガルシアに言った。

 「吹き抜けの上に、簡単な歩廊を作れない? 弓兵が動けるように」

 ガルシアは驚いた顔をしたが、すぐに口元を引き締めた。

 「なるほど……真希殿の発想は柔軟だな。分かった、通路を加えよう」


 そのやり取りを見ていたミレナが微笑んだ。

 「一人の知恵が、皆を導くのですね」

 私は首を振った。

 「違うわ。知恵を形にするのは、皆の力よ」


 ガルシアはそのやり取りを静かに見つめていた。女神として信じているわけではない。ただ――知識と論理を武器にする彼女を、軽んじることはできない。一目置くべき存在だと、心の中で認めていた。



 日が傾き始めるころ、砦の壁は五メートルを越えていた。

 下から見上げると圧迫感があり、人々の顔に誇りが浮かんでいた。


 だがその喜びの裏で、私は背筋に冷たいものを感じていた。

 ――崖の向こうに、ネストリアの兵の影があるかもしれない。

 彼らがこの砦の存在をどう受け止めるのか。それを考えると、胸の奥に重たい石が沈み込んでいくように感じられた。


 シエルが耳をぴくりと動かし、私を見やった。

 「気配は今のところない。でも……気を抜くのはまだ早いわね」

 私は小さくうなずき、壁の影を見つめた。



 夜。焚き火の炎が赤く揺れていた。

 大人たちは手を癒すために布を巻き、子どもたちは疲れ切って眠っていた。

 火の輪の中で、オルネスが口を開いた。

 「この砦は、自治区の象徴になるだろう。……だが同時に、争いの火種となるかもしれん」

 セムがゆっくりとうなずく。

 「それでも、立てねばならん。未来を守るためにな」


 ガルシアは黙って火を見つめていた。やがて、低い声で呟く。

 「俺はネストリアで多くの砦を築いてきた。だが、民のために築くのはこれが初めてだ……」

 その声に、私は言葉を失った。彼の肩越しに見える火の粉が、夜空へ舞い上がっていった。



 翌朝、再び石が積み上げられた。

 昨日まで震えていた手が、今は迷いなく縄を握っていた。

 砦は日ごとに姿を変え、やがて十メートルに迫る高さとなる。

 吹き抜けの上には歩廊が設けられ、二つの階段が壁を登っていた。


 未来を守る壁は、確かに形を成し始めていた。

 その姿を見上げながら、私は心に誓った。

 ――必ず、この砦を完成させる。そして、誰一人奪わせはしない。


 谷を渡る風が、積み上げられた石を撫でていった。

 その音は、まだ見ぬ未来の鼓動のように響いていた。

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