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異世界でスローキャンプ生活を始めたら、なぜか女神として崇められてました  作者: 佐藤正由
異世界キャンプ生活 第2期

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第90話 異世界で“忠義の終わり”を選んだ夜

 夜の城下町は、昼間の喧騒を忘れたように静かだった。

 石畳に灯る松明の光は頼りなく、行き交う人影もまばらだ。私は屋敷へ戻り、重い扉を閉めた。蝋燭の揺らめく光が書き物机を照らし、その上には紙束が積まれている。


 そこに記された名を見つめる。ラスティン、トマス、デルナ。捕虜となった兵たちの名だ。

 何度も読み返すうち、胸の奥で苦いものが膨れあがっていく。


 ――彼らは従っただけだ。

 命令に背けば、妻や子を人質に取られる。兵に抗う余地などなかった。

 それを知りながら「勝手にやったことだ」と切り捨てるのが、今のネストリアだ。


 私は拳を握りしめた。蝋燭の炎が揺れ、紙に映る影が震えた。



 「……また同じ顔をしているわね」

 背後からかけられた声に振り返る。妻が盆を手に、静かに部屋へ入ってきた。盆の上には水差しと木杯。長年の連れ合いだからこそ、声色に滲む厳しさが分かる。


 机に水を置きながら、彼女は目を逸らさずに言った。

 「あなたが仕えてきたネストリアは、もう昔のネストリアではないのでしょう?」


 私は視線を落とした。

 「……兵たちを見捨てたくない。だが、あの兄弟は家族を人質にして従わせる。そんな手段を何とも思っていない。これ以上加担するのは……」

 言葉が途切れる。喉が焼けるように痛む。


 「あなたはずっと迷ってきた」

 妻は静かに続けた。

 「エルネスト様に仕えた頃から、あなたは誠実であろうとした。民を守ることを自分の誇りにしてきた。でも――」


 扉が軋み、足音が近づく。振り返ると、息子が姿を現した。

 十九歳。幼さを脱ぎ捨て、背丈はすでに私に並ぶ。兵として鍛えられた体つきは、少年ではなく一人の若者のそれだ。


 「父上。……また悩んでいるのか」


 「お前には関係ない話だ」そう言い放とうとした。だが息子の瞳は真っ直ぐだった。

 「関係ある。俺もいずれ兵になるんだろう? 父上が仕える相手が、人を人とも思わぬ連中なら……俺はそんな未来を望まない」


 その言葉に、胸が突き刺された。

 私の背を追って育った息子が、今こうして問いかけている。これは反抗ではなく、父にすがる叫びだ。


 妻がそっと息子の肩に手を置いた。

 「聞きましたね。あなたが守るべきものは、ここにあるんです」


 私は深く息を吐き、目を閉じた。

 「……俺はエルネスト様の時代から仕えてきた。民を思うあの方の背を追い、忠義を尽くしてきたつもりだ。だが、今のネストリアにはその面影はない」

 唇をかみ、言葉を絞り出す。

 「俺が守るべきは、もはや権威でも名誉でもない。――家族と、兵たちの未来だ」


 息子は強く頷いた。瞳に迷いはない。

 「なら俺も一緒に行く。父上が選ぶ道を支える」


 妻は涙をこらえながら微笑んだ。

 「私たちは、どこへでもついていきます。たとえ、この地を捨てることになっても」


 蝋燭の火が揺れ、三人の影を壁に映す。

 その影は、不安と同時に確かな決意を示していた。



 翌日。私はバルドとリュートの前に立ち、捕虜兵の家族の件を切り出した。

 「せめて子どもと妻だけでも、自治区に移すことを許していただきたい」


 二人は同時に笑った。

 「兵士がいなければ、誰が我らを守る?」バルドが杯を弄びながら鼻で笑う。

 「勝手に攫われたのだろう。責任は本人たちの愚かさにある」リュートは口角を歪めた。


 冷ややかな空気の中、私は深く頭を下げるしかなかった。

 だが、胸の奥では既に別の道を選んでいた。



 数日後の夜。

 私は荷車に毛布と乾パン、薬箱を積み込んだ。妻は幼子を抱く母親を励まし、息子は先頭に立って周囲を警戒した。


 「父上、巡回が来ます」

 息子が囁く。私たちは藪に身を伏せた。兵の足音が近づき、松明の灯りが一瞬、夜空を照らした。胸が張り裂けそうな緊張の中、兵は通り過ぎていく。誰も気づかなかった。


 街道を進む。冷たい風が頬を刺し、荷車の軋む音がやけに大きく響いた。子どもが泣き出しそうになると、妻が優しく背をさすって口元に指をあてる。

 ――これが私の戦場だ。剣を振るうのではなく、家族を守り抜くための戦いだ。


 長い道のりを越え、ようやく谷の拠点が見えた。

 まだ砦は完成しておらず、木柵と仮の見張り台が立っているだけだ。だが、その灯りは確かな希望だった。



 見張りに立っていた村人たちが驚きの声を上げ、急ぎ駆け寄ってきた。

 真希が一歩前に出て、静かに言う。

 「ようこそ。あなたたちの選択を、私たちは受け入れるわ」


 その瞬間、膝が震えた。重くのしかかっていたものが解け落ちる。


 そして――広場の片隅で捕虜兵と家族の再会が始まった。


 「父さん!」

 ラスティンの息子が駆け寄り、父の胸に飛び込む。副長として冷静沈着だった男が、声を殺して子を抱き締め、涙を隠せなかった。


 「母さん……!」

 トマスは痩せた母の前で言葉を失った。母は「よく無事で……」と繰り返し、背を撫でながら泣き続ける。トマスも膝をつき、堰を切ったように泣いた。


 デルナは二人の娘に抱きつかれたまま、ただ震えていた。

 「罰は俺だけでいいと思っていたが……」

 低く掠れた声は涙に濡れていた。大きな手は娘たちの小さな手を強く握りしめ、決して離そうとはしなかった。


 その光景を見つめるうち、胸が熱くなった。

 ――これこそ、守るべきもの。



 忠義は果たした。だがこれからは、家族と兵たちの未来のために生きる。

 私は夜空を仰ぎ、心に誓った。

 ここでなら、まだ戦える。


 息子は隣で静かに立ち、私の横顔を見つめていた。

 ――その視線に恥じぬように。私は、もう迷わない。

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