第66話 異世界で“銀の鱗”をまとう魔物を見た日
坑道からの避難は混乱を極めていた。
崩落の音がまだ耳に残り、暗闇の中で鉱夫たちの叫びが木霊する。
粉塵が舞い、灯火が揺れ、誰もが恐怖に駆られていた。
シエルとエリンは、瓦礫の山に飛び込み、声を張り上げながら生存者を探し続けていた。
「こっちに生存者がいる!」
埃に咳き込みながらも、エリンの声は必死だった。
彼の手に引かれて現れたのは、腕と脚を岩に挟まれた鉱夫だった。シエルが小柄な体を生かして潜り込み、渾身の力で岩をずらす。
「がっ……助かった……」
救い出された鉱夫は呻き声を漏らし、血に濡れた顔を歪めた。
だが、その身体には裂傷がいくつも走り、出血は止まりそうになかった。
周囲では、別の鉱夫が頭を抱えて蹲っている。額から血を流してはいたが、かろうじて自力で歩ける様子だった。
仲間が肩を貸し、半ば引きずるようにして坑道の出口へ向かう。
一方で、さらに奥から運ばれてきた者は血まみれで、息も荒く、意識が今にも途切れそうだった。
「しっかりしろ! まだ息はある!」
必死に呼びかける声が響くが、彼の胸は浅く上下を繰り返すだけだった。
私はその場で立ち尽くす。
これ以上放っておけば、命が尽きるのは明らかだった。
――治癒魔法。
使えば、また「女神だ」と囁かれるかもしれない。
これまで極力隠してきた力。けれど……。
迷いは、呻き声に掻き消された。
私はしゃがみ込み、掌をかざす。淡い白光が広がり、裂けた皮膚を縫うように閉じていく。
男の荒い呼吸が落ち着き、血に濡れた頬にわずかな赤みが戻る。
「す、すまない……助かった……」
「まだ動かないで。ひとまず出血は止めたけど、骨は完全には繋がっていないわ。力仕事は無理よ」
続けて、別の負傷者へ駆け寄る。脇腹を深く裂かれた鉱夫に手をかざすと、光が血を押しとどめるように広がり、じわじわと肉が閉じていった。
その瞬間、体の奥から力が抜けるような感覚に襲われ、額に汗がにじむ。
さらに三人目。脚を潰された男は意識を失いかけていた。私は必死に光を走らせたが、皮膚は閉じても折れた骨までは癒やせない。
「……ここまで、か」
息が上がり、指先が震える。胸の奥から冷たいものがこみ上げ、視界がにじんだ。
周囲から驚きと安堵の声が漏れる。
「光が……傷が塞がった……」
私は歯を食いしばり、聞こえないふりをした。だが同時に、自分の限界を知った。私の治癒魔法は万能ではない――それを突きつけられた。
しかし――グラムの傷は違った。
崩落から仲間をかばったのだろう、右腕は不自然に曲がり、血に濡れていた。
彼は腕を押さえ、苦痛に顔をゆがめながらも、弟子の心配を拒むように睨み返している。
治癒魔法を施しても表面的な傷を塞ぐだけで、不自然に曲がった腕はそのままだった。砕けた骨までの修復はできない。これが今の私の治癒魔法の限界だった。
深く刻まれた眉間の皺が、その絶望を物語っていた。
「……くそ」
押し殺した声が鉄槌よりも重く響き、誰も言葉を返せなかった。
鉱夫たちは次々と坑道を出て、やがて完全に避難が完了した。
バルドゥークが険しい顔で私たちに告げる。
「採掘は一時中止だ。奴を放置したままでは、ミスリル坑道は危険すぎる」
消耗した私は、その場に膝をついた。
呼吸は荒く、魔力も体力も削られて、到底動ける状態ではなかった。
そのため、偵察に向かうのはシエルとダイチ、そしてバルドゥークに任せることになった。
◆
偵察の一行は再び坑道へ入った。
ひんやりとした空気の中、灯りを掲げて進む。
遠くから響いてくるのは、石を噛み砕く鈍い音と、尾で岩盤を打ち据えるような衝撃音だった。
「……近い」
ダイチが低く呟き、シエルが耳を立てて周囲を警戒する。
やがて、暗闇の奥にその姿が見えた。
全身を覆う鱗が、淡く銀青に光っている。
灯火に反射して、坑道の壁に揺らめく光が広がった。
「……鱗が、変わってる」
ダイチが思わず呟いた。
その姿を見て、バルドゥークが蒼白な顔で言った。
「……奴はミスリルを喰らった。今や、ミスリル素材以上の武器でなければ通じん。いや――鱗の状態によっては、ミスリルすら通らないかもしれない」
その尾が壁を叩くと、硬質な金属音が坑道全体に響き渡った。
常の武器では、あの鱗を傷つけることさえできないだろう。
「一度引くぞ!」
バルドゥークの号令で、彼らは息をひそめて退いた。
◆
工房に戻り、報告を受けたグラムの顔は、苦悩にゆがんでいた。
「ミスリルリザード……。最上級のミスリル、それ以上の武器か……」
重苦しい沈黙が工房を支配し、炎のはぜる音だけが響いていた。




