第4話 異世界でも痕跡は嘘をつかない
朝――
水を汲みに小川へ向かった私は、いつもの場所の少し先で、それを見つけた。
巨大な足跡。
泥のぬかるみに残った四つ足の獣の痕。それも、深く、重い。
「……これは」
周囲には掘り返されたような土や、木の皮が削られた痕もある。
明らかに、ここに大型の動物が来ていた証拠だ。
足跡の湿り気と輪郭の鮮明さから見て、昨晩か今朝方に通ったばかりだろう。
「夜、襲ってこられたら……ひとたまりもない」
私は水を汲んだあと、足早に洞窟へ戻った。
干し肉も残りわずか、香草も底を尽き始めている。
狩りの必要性はあった。
ただ、その“相手”がどれほどのものかが問題だった。
「シエル、ダイチ。ちょっと協力して。調査に出たい」
「任せておいて。痕跡を追うのは得意よ」
「オレも頑張る!」
三人で装備を整え、森へと入った。
私は採集袋とナイフ、小型のメモ板を。
シエルは弓、ダイチは得物代わりの棍棒を肩に乗せていた。
土に残された足跡。
木の幹にある擦れた痕。
食いちぎられた草地と、点々と残る糞。
「……行動パターンが見えてきた」
私は地面を指でなぞった。
この魔物、どうやら通い慣れた獣道を行き来しているらしい。
特徴的なのは、視界の悪い谷間や斜面でもためらわず突進している形跡。
加えて木の根元が掘られていたり、湿地に深い溝を作っていたりする。
「この突進の痕……性質は、イノシシに近い」
「イノシシって……突っ込んでくるやつ?」
「うん。五百キロ級の、ね」
「ひゃ、ひゃく……!?」
「冗談じゃないわね……でも、見た感じ、知性は高くない。動きも直線的。
罠で狙うなら、視界の悪い谷間に誘導するのが正解ね」
私は地図代わりに作った簡易スケッチに、痕跡と地形を記録していく。
罠を作るなら――
「ここね。地盤は締まってて、水はけもいい。視界が悪く、通路は獣道。……掘れるわ」
私は洞窟に戻り、作業を開始した。
竹の棒とナイフ、焼いた石の欠片などを利用し、簡易的な木製の鍬を作る。
地面に突き立て、引っかくようにして掘っていく。
「はあ、はあ……」
少しずつ、慎重に、深さと幅を整えていく。
予定は深さ1.5メートル、幅2メートル以上。
大型獣が落ちたら這い上がれない構造が必要だ。
底には竹槍を束ね、斜めにして固定した。
先端は火で炙って強化し、刺さりやすくしてある。
「これで……罠の完成」
穴の上には細い枝を格子状に並べ、その上に枯れ葉と土を乗せて擬装した。
上に重さがかかると崩れるギリギリの強度。
試しに自分の体重の一部をかけてみて、慎重に調整する。
「さて……あとは作戦」
夕方、シエルとダイチが戻ってきた。
「そっちの調査は?」
「足跡、あったよ! あと、さっきあっちの茂みでガサガサって音がして――」
「おそらく、また来るわ。罠の場所にはうまく誘導できそうよ」
私は地図を広げ、作戦を伝えた。
突進の性質を利用して、視界が悪くなる地点に誘導。
追い立てるタイミングと方向を決めておく。
「じゃあ、私は南の斜面から、ダイチは北から。真希は穴の近くでサインを」
「了解!」
「猫は狩りが得意なの。まかせておいてよ」
夜。
焚き火を囲み、私たちは最後の打ち合わせを終えた。
緊張はあったが、それ以上に――
「協力して動けるって、いいな……」
現実世界では、信頼できる人間はほとんどいなかった。
仕事も勉強も、全部ひとりでやってきた。
頼ると期待を裏切られるから、期待しないようにしてきた。
でも――今は違う。
あのふたりとなら、信じて動ける。
そう思えた。
翌朝。
罠の前に立つ私の耳に、遠くから地鳴りのような足音が届く。
「来た……!」
「こっちだよー! 大物だぞーっ!」
ダイチの声が木霊し、続いて地響きが近づいてくる。
バキッ! ズシャッ!
茂みを割って現れたのは、巨体のイノシシ型魔物。
牙は鋭く、目は血走り、よだれを垂らして突進してくる。
シエルの矢がその脇腹をかすめ、軌道が罠のほうへ逸れた。
私は息をひそめ、指で合図を送る。
魔物は全速力で突っ込む。
「……読み通り!」
ズシャッ!!
重たい音とともに、魔物の巨体が穴に消えた。
ギャアアッ!――という短い断末魔。
そして、静寂。
恐る恐る覗き込むと、竹槍が深く刺さり、魔物は動かなくなっていた。
「……やった……!」
「血の気が引いたわ……でも、見事な作戦だった」
「オレも全力で走ったんだからなー!」
私はふたりに向き直り、深く頭を下げた。
「本当にありがとう、ふたりとも。……あなたたちがいてくれてよかった」
竹槍の当たり所がよかったのか、自然と血抜きされているようだった。
解体は明日にしよう。
「……現実じゃ、こんなこと絶対できなかったな」
私は静かに空を見上げた。
異世界。知らない森。魔物。罠。仲間。
それでも、今この瞬間――
私は、確かに生きている。
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