第40話 異世界の霧に沈んだ、屈辱の帰還
夜明けの谷間を、鈍く湿った風が吹き抜けていた。
その中を、縛られた人間たちが列をなして歩く。
腕は後ろ手に固く縛られ、頭には粗末な麻袋。兵たちの足取りは重く、よろけるたび鎖が鈍く鳴った。
ただ一人、先頭の男だけが視界を確保されている。
「……チッ」
その男、リュートは唇を噛み、血の味を覚えた。
昨夜、霧の中で何者かに急襲され、抵抗する間もなく捕らえられた。
袋の中で聞こえたのは仲間の荒い息と、泥を踏む音だけ。
逃げることも、命令することもできなかった。
——屈辱。
領主の弟としての威信を踏みにじられたこの恥辱は、忘れるつもりもない。必ず、何倍にもして返す。
谷を抜けると、見覚えのある屋敷の屋根が見えた。
しかし、先に門を叩いたのは馬だけだった。
厩舎の兵が慌てて迎え入れた直後、偵察に出ていたガルシアが駆けつける。
「……これは一体、何の真似だ?」
列を見たガルシアの眉がわずかに動く。
「黙れ……!」
リュートは声を荒げたが、後ろの兵たちは袋を被ったまま足を引きずるだけだった。
全員を解放させると、兵の多くは擦り傷や軽い打撲こそあったものの、致命傷はない。
——つまり、まともに戦う間もなく武器も荷も奪われたということだ。
その無様さに、リュートの胸は屈辱と苛立ちで焼けるように熱くなった。
「どこでやられた?」
「……谷だ。あの霧の中で……」
リュートは歯ぎしりしながら答える。
屋敷に戻っても怒りは収まらない。
イレーナを奪われ、挙げ句この有様。
プライドは粉々に砕かれていた。
「フォルデン村だ……やつらが裏で糸を引いたに違いない」
「証拠はあるのか?」と問うガルシアに、リュートは即座に返す。
「証拠など要らん。あの村を痛めつければいい。倍の税をかけて干上がらせる」
ガルシアは視線を伏せ、何も言わなかった。
冷静さを失ったこの男が、バルドと同じ轍を踏む未来が脳裏をよぎる。
——感情で動く者は、結局自らの首を絞める。
そうなった時、この領地もまた混乱の渦に沈むだろう。
それでも。
ガルシアは心の奥で、フォルデン村と、その背後にいる“何者か”への興味を静かに深めていった。
その夜、ガルシアは密かに動いた。
リュートには悟られぬよう、同行していた兵たちを一人ずつ呼び出す。
まずは、あの霧の谷で何が起きたのか。敵は何者で、どんな手口を使ったのか。
続いて、フォルデン村で見聞きしたことや、村人の様子、妙に落ち着いた空気の理由。
そして——村に滞在していたエルフの少女を連れ去った経緯と、その後の足取り。
兵たちの口から漏れた断片は、まだ粗く、つながりもない。
だが全てを並べてみれば、この地で水面下に広がる力関係の輪郭が、ぼんやりと姿を現し始めていた——。




