第3話 味が増えれば、異世界はちょっとおいしくなる
「うーん……風向き、南東。地形は若干くぼ地。となると、雨が吹き込む可能性ありか」
洞窟の前で、私は周囲を観察しながら独りつぶやく。
空は晴れていたけれど、雲の形が気になった。
夕立くらいなら凌げるけど、本格的に降ると、洞窟だけでは心許ない。
「よし、簡易的な屋根を作っておこう」
私は山で拾った枝や蔓、それから広い葉を使って、いわゆるブッシュクラフト式のシェルターを組み始めた。
幸い、手頃な枝や素材はこの森にいくらでも転がっている。
組み方と結び方を知っていれば、あとは構造と重心の問題だけ。
斜めに支柱を組み、中央に軒のラインを作り、屋根に広葉樹の葉を重ねる。
雨水は屋根の傾斜に沿って外へ流れ落ちる。
地面には水の逃げ道を溝で作っておく。
風の強さも考慮し、蔓で要所をしっかり固定する。
「これでよし。これで一晩中雨が降っても焚き火が保てるはず」
「マキー、天才っぽい」
突然背後から声がして、私は振り返る。
いつのまにかダイチが、シエルと並んでこちらを見ていた。
「“っぽい”じゃなくて、実際にできたことを評価して」
そう返すと、シエルが小さくうなずいた。
「なるほど……。確かに構造的に理にかなっているわ」
そう言いながら、シエルは指で軒の角度を測っていた。
見た目は獣人の少女でも、観察眼は鋭い。
「おれもなんか手伝いたーい!」
ダイチが両手を挙げて元気よく言ったが、私は淡々と答える。
「いや、もう完成したから」
「えー!」
子どもみたいに肩を落とすダイチ。思わず苦笑してしまう。
そんなやり取りをしていたときだった。
足元に、小さく、でも確かな振動が走った。
「……揺れた?」
再び。
ドン……と地面の奥から突き上げるような感覚。
私はすぐさま周囲に目を配る。洞窟の奥、岩場の先で――
「魔物……?」
それは、猪のような、牛のような、不思議な形をした獣だった。
巨大な体を使って、ゴツゴツとした岩に頭突きをしている。
そして、その岩に舌を這わせるように――舐めていた。
「……どういうこと」
私はすぐに脳内で思考を巡らせた。
動物が岩を舐める行動――どこかで聞いたことがある。
……そうだ、ゾウだ。
以前、自然ドキュメンタリーで見た。アフリカゾウが塩分を摂取するために、塩分を含んだ土や岩を食べるという習性。
「つまり……あの岩、塩分を含んでる……?」
私は岩の破片を拾い、ナイフの刃を出しかけて、ふと手を止めた。
「……いや、ダメだな。こんなのに使ったら、刃が欠ける」
代わりにナイフの柄、いわゆるバットで岩をコツコツと叩く。
砕けない部分は近くの石を使って割り、時間をかけて拳大の岩を粗い粒状まで砕いていく。
「さて、ここからが本番」
私は粉砕した岩を器に入れ、そこに森の沢の水を注ぐ。
軽くかき混ぜたあと、しばらくそのまま放置。沈殿するまで待つ。
20分後。
沈殿した不純物を避け、上澄み液だけを別の器へ移す。
できるだけそっと移すことで布の代用とし、不純物を最小限に抑える。
「よし、煮る」
焚き火にかけた飯盒のふたに上澄み液を流し込む。
じわじわと水分が飛んでいき、表面が乾き始めると、白い結晶が端から現れ始めた。
「……結晶化、確認」
さらにじっくり加熱し、最後に火から下ろして自然乾燥。
湿気を飛ばすと、キメは粗いが、はっきりと塩の結晶が残っていた。
「十分、使える」
私は塩を砕いて指先にのせ、味を確かめる。
はっきりとした塩味。――それだけで、思わずほっと息をついた。
「元の世界から持ち込んだ調味料も、もう使い切ってしまってたし……」
私は、採ってきた山菜に刻んだ香草を混ぜ、焚き火で軽く炙った野草スープに塩をひとつまみ加えた。
湯気の立ち上るその香りは、今までのどの食事よりも食欲をそそった。
「これだけで……まるで別物だな」
舌の奥に、懐かしい感覚が蘇る。
ただの草の煮物だったものが、「料理」になった気がした。
「マキー! おれの肉にも、ちょっと塩かけて!」
肉をくわえながら笑顔で駆け寄ってくるダイチ。
私は少し考えてから、説明口調で答える。
「ダイチ、犬は人間ほど塩分を必要としないの。
猫と違って多少は平気だと思うけど、味覚も鋭いし、基本的には与えない方が……」
「でもでも、ちょっとだけならいいじゃん!」
ダイチが身を乗り出して懇願するように言うので、私はため息混じりに答えた。
「……じゃあ自己責任で少しだけよ。しょっぱって言っても知らないからね」
私は彼の肉片にほんの一つまみだけ塩をふった。
ダイチは嬉しそうに肉をくわえた……が、噛んで3秒で動きを止める。
「……しょっぱっ! なにこれ! 苦い! しょっぱ! 水ー!」
私はあきれたように眉をひそめ、
その横で、シエルと目を合わせ、ふっと笑った。
彼のこういうところ。
ちょっとだけ、救われる気がする。
その夜、洞窟の入口には新しい屋根ができていた。
火は穏やかに燃え、湿気は屋根と溝によって逃げ、空気はほどよく流れる。
異世界という名の未知の森。
だけど私は、科学と経験とちょっとの知恵で、この場所を“生きる場”に変えていく。
味が増えた。
それだけで、今日という日が少しだけ――豊かになった気がし
この作品は「カクヨム」にも掲載しています。そちらでは先行公開中ですので続きが気になる方は是非ご覧ください。