第112話 異世界で“火を織る手”を見た日
作業は“音”から始まった。
副炉を起こし、炭の山に風を入れる。ふいご一閃。火は息を持ち、芯に白が立つ。
エリンが鱗の束を並べ、俺は革台を据えた。
鱗の裏には、微細な蜂巣のような構造――体内で熱を巡らせていた跡が静かな縞として残っていた。
この跡に穴を開けてはいけない。
縁に寄せ、熱の流れを殺さずに留める。
「穴、錐でいけるか?」
「それじゃダメだ。打ち抜くんじゃない、押し広げるんだ」
エリンが“鳩目起こし”を差し出した。
先端は鈍い円錐。打てば金属が避け、戻ろうとするところを革鋲で抱える。
俺は鱗を軽く温め、表層の水気と油を飛ばし、呼吸と一緒に鳩目を据えた。
――チ、チン。高い、いい音だ。素材が生きている。
「いい。じゃ、そのまま二穴をあけてくれ」
エリンはすでに革台に“基布”を張り、札を重ねる枠を墨で引いていた。
革は樹脂で軽く締めた上物。縁にミスリル線で補強を這わせる。
その線にも、魔力の逆流を抑える“返し”を細かく刻む。
「ダイチ、ミスリル線は柔軟性が必要なので細い針金を束にして使おう。
鱗とミスリル線の隙間はミスリルを溶かして埋めればいい」
「了解。そうすれば裏の土台のダメージを極限まで減らせるな」
手が動く。耳と目が、音と光を拾う。
鱗が革に並び、札が重なり、鎧は生まれる前からそこにいた形を露わにし始めた。
グラムが後方で静かに見ている。
オリハルコンの棒は相変わらず布に包まれたままだ。
過度に魔力を帯びた金属は、空気に晒すだけで炉の熱に干渉する――そういう類いの代物だ。
時折ふいごの音に眉を上げ、俺の手元の角度を一度だけ指先で正した。
それだけで十分だった。
* * *
札を繋ぐミスリル線を手に取り、エリンが軽く首を傾げる。
「線を這わせるだけじゃ、外側まで魔力が流れないな」
「内側にもミスリル加工が必要か?」
「ああ。内側の体に触れる部分とミスリル線を繋げば、鱗一枚ずつに魔力が回る」
「まるで血管だな」
「確かにな、一枚一枚に魔力という栄養を届けなくちゃな」
革芯を通し、縫うようにミスリル線を這わせる。
やがて鎧全体がひとつの“流れ”を持ち、炉の光を受けて淡く青白く脈動した。
ミスリルが魔力を受け、呼吸を始めた瞬間だった。
* * *
昼をまたいで、胸甲が一枚、腕当てが二対、腿札が二組できあがった。
札の重ね目は川魚の鱗のように輝き、光を飲んでは返す。
ミスリルは軽い。組み上がった一式を片手で持てるほどだ。
だが、叩きが浅ければ響きが軽くなる。音は嘘をつかない。
「……まだ“鳴き”が青いな」
エリンが耳を澄ませ、鱗端の一角を軽く叩く。
音の尾が短く収まり、その余韻が落ち着いた瞬間――装備全体の“息”がひとつに揃った。
「これで外の圧を受けた時に逃げ場ができる。
受け止めるんじゃなく、いなすんだ。鱗はそういう鎧だ」
「いい防具だ!助かる」
俺が礼を言うと、エリンは「まだ終わってない」と笑った。
* * *
作業台の端で、エリンが新しい輪状の金属を取り出した。
細く、無駄がなく、光を吸うように滑らかなミスリルの腕輪だ。
「……それは?」
俺の問いに、エリンは短く答える。
「魔石用の腕輪。魔法を使うとき手に持っていると不便だろ?」
エリンは指先ほどの魔石をつまみ、
腕輪の内側に刻まれた小さな石座にカチリと収めた。
「……なるほど。いちいち魔石を握らなくてもいいんだな」
「そういうこと。戦いとなると両手が使えるほうが有利だしな」
エリンは腕輪の内側を指でなぞる。
導環線につながる小さな溝――魔力の通り道。
「魔石が暴れない限り、ミスリルの魔力の流れは素直だ。
手首に着ければ誰でも使える。作りがシンプルだから強度もバッチリだ!」
金槌が軽く鳴り、腕輪が静かに光った。
* * *
胸甲と腕当てが並び、次に取りかかったのは盾だった。
炉の奥に積んであった厚鱗の束を見て、グラムが短く言う。
「前に出る者が持つなら、盾も要る。二枚、打て」
「了解。鎧の構造を流用できる。鱗を厚く重ねて、芯に革を挟めば軽くて粘りも出る」
俺とエリンは頷き合い、鱗板を打ち合わせる。
鱗を縦目に重ね、熱を入れながら縫い締めた。
火が走るたび、金属の息が低く響く。
「……いい盾だ」
グラムが小さく呟いた。
鍛冶師たちが“守りの火”と呼ぶ所以が、確かにそこにあった。
* * *
夕刻、ライラが工房に顔を出した。
煤で薄く汚れた翼が、作業の長さを物語る。
「真希たちにはもう伝えてあるわ。村のほうは落ち着いてる。……で、運ぶ量は?」
エリンが手早く計算し、道具箱に札と鋲の予備を詰める。
「胸甲二、腕当て四、腿二、予備の鱗束小。
あなた一人じゃ無理かもしれないな」
「北の群れから仲間を呼んでいるからもうすぐ来るはずだ。
ちゃんと目印も作ってあるから迷うことはないだろう」
グラムが一歩進み、ミスリル線で束ねた装備一式に掌を置いた。
彼は目を閉じ、ことばを落とす。
「道具は使い手により生かすも殺すも決まる。
それは作り手の想いがどうであれ、だ。
作り手の想いを理解できる相手に使ってもらえよ」
胸が熱くなる。
俺は深く頭を下げ、装備の重さを両腕に受けた。
確かに軽い。だが、この軽さは重みでもある――任された責務の重さだ。
「ダイチ」
エリンが腕輪を三つ差し出す。
「使い方は簡単だ。着けたまま魔石に触れていればいい。
魔力を流すのはお前たちだから問題ない」
「ああ。現場の音は嘘をつかないからな」
言葉が重なり、俺は思わず笑った。
ライラが口角をわずかに上げる。
「ほら、行くわよ。風が変わる前に空へ」
* * *
工房を出ると、街が赤かった。
夕陽と炉の灯が重なり、鉱都は大きな灯籠の中みたいだ。
積み上がるインゴットは鈍く光り、鉱架の影が地を斜めに切る。
俺は振り返り、工房の奥に立つ二人へ手を上げた。
グラムは顎を引き、エリンはいつもの照れた笑いで応えた。
* * *
空は夜に変わりかけ、風は素直だった。
ライラが前を飛び、俺は胸甲を抱え、二羽のハルピュイアが左右から装備の束を支える。
下には黒い森、その向こうに小さな火。
あれが、俺たちの戻る場所だ。
腕の中の胸甲は、冷たくて、温かい。
叩いた手のひらがまだ震えている。
――待ってろ、“炎の影”。
お前を斬りに行くんじゃない。
ここへ連れ戻すために、俺たちは火を運ぶ。
翼が一斉に強く打たれ、空気が震えた。
小さな火が近づく。
俺は胸甲を抱き直し、息を合わせた。
風は追い風。
鍛冶場の火花は、もう村の夜に降り始めている。




