第110話 異世界で“黒き火の真実”に触れた日
――体が、重い。
森を抜ける途中、陽が落ちかけていた。
視界が波打ち、思わず木にすがる。
膝が折れ、全身の力が抜けていった。
「真希!?」
ダイチが駆け寄ってくる。
彼の肩に支えられながら、なんとか立て直す。
息が荒い。けれど、汗が止まらないのは熱のせいじゃない。
「……魔力が……切れた、みたい」
自分でも驚くほど、声が掠れていた。
あの防壁――ほんの一瞬のはずだった。
それなのに、まるで体の中から全部抜け落ちたような感覚。
リゼリアが眉を寄せて、私の手に触れる。
「……流れが乱れてる。枯渇というより、吸われた感じ。魔石の反動かも」
吸われた?
そんなはずは――でも、確かに空っぽとは違う。
“奪われた”という感覚のほうが近かった。
「大丈夫。……少し休めば、戻るから」
私は笑ってみせたが、言葉はどこか空虚に響いた。
仲間たちは無言で頷き、ペースを落として歩き出す。
森の出口に見える村の灯が、いつもよりずっと遠く感じた。
* * *
村に戻った夜、焚き火を囲んだのはダイチだった。
私は寝床に横たわったまま、彼らの声を聞いていた。
「真希が寝てる間に、俺が火を起こすよ」
そう言って、ダイチは赤い魔石を取り出した。
掌で軽く握り、息を吹きかける。
焚き木に火を移そうとした、その瞬間――
ぱち、と乾いた音。
白いはずの火花に、黒の影が溶け込んだ。
炎は一瞬で膨れ上がり、砂煙のような灰が舞い上がる。
「うわっ――!?」
シエルが反射的に風の結界を張り、リゼリアが冷気をぶつけた。
熱波がはじけ、焚き火台の周囲に黒い焦げ跡が残る。
リリアナが駆け寄り、ダイチの腕を掴んだ。
「今の……なんだ?」
息を切らせたダイチが、手のひらを見つめる。
魔石に変わったところは見当たらない。
ただ、その表面がどこか――静かすぎた。
「……魔力が、吸い取られていく感じがした。」
私は寝床から身を起こし、声を絞り出す。
「魔石が……変わってる。どこかで、何かが……」
言葉は最後まで続かなかった。
頭の奥がぐらりと揺れ、再び視界が霞んでいく。
――黒い火。
あの山麓の焼け跡と、どこか繋がっている気がした。
* * *
翌朝。
森の外れで、シエルが訓練をしていた。
真希の代わりに、彼女が“魔石の挙動”を確かめている。
掌の上に水の球を浮かべ、風で形を変える――いつもの練習。
だが、今日は様子が違った。
「……っ!?」
水が弾けた。
魔石の光が逆流し、シエルの体が後ろへ吹き飛ぶ。
「シエル!」
リゼリアが駆け寄って抱き起こす。
シエルは苦笑しながら息を整えた。
「平気。でも……おかしいの。魔石が、私の魔力を吸い取っている感じ。
力は増してるのに、制御がきかない」
リゼリアが真剣な顔で魔石を覗き込む。
「見た目は変わらないのに……魔力の流れが激しくなっているみたい」
私は木陰からゆっくりと歩み寄った。
「“炎の影”の影響なのかもしれないわね。
でも、リゼリアの言う通りなら、流れそのものが強まっている。
魔力を“押し出す”んじゃなくて――“撫でる”ように意識してみて」
シエルは真剣な表情で頷いた。
「撫でる……ね。やってみる」
青い魔石を掌に乗せ、彼女はそっと息を吸う。
空気がわずかに震え、淡い光が彼女の指先を包み込む。
次の瞬間、水の球が静かに生まれ――
ほんの少し魔力を増しただけで、勢いよく弾け飛んだ。
ばしゃん、と音を立てて焚き火が消える。
湿った灰の匂いが、冷たい朝の空気に溶けた。
「……できた。けど、すごく難しい。
少しの加減で暴れ出すし、今までより魔力の消費は少ないのに、制御がまるで違う」
彼女の声には、驚きと警戒が入り混じっていた。
自分の中の魔力が別の何かに“導かれている”ような感覚――
それが、いつもよりはるかに生々しく感じられたのだろう。
私は静かに頷いた。
「手に余る力は、扱う側が飲み込まれるわ。
これは偶然の変化じゃない。……ちゃんと使いこなせるようになるまでは、慎重にね」
リゼリアが表情を曇らせる。
「……やっぱり、“炎の影”の影響かもしれない。
この世界の魔力の流れそのものが、少しずつ変わってる」
私は空を仰ぎ、遠く霞む山麓を見た。
「あの影――根っこの部分で、確かに繋がっている気がする」
その言葉に、皆が息を呑んだ。
* * *
夕刻。
リリアナの父――ゲイルを中心に、村の会議が開かれた。
ハルピュイアのライラ、リゼリア、ダイチ、シエル、マーヤ、そして私。
広場の中央に焚き火が焚かれ、焦げた跡の上に火が揺れていた。
「また“炎の影”に襲われたら、ひとたまりもないぞ!」
ゲイルの低い声に、皆の表情が引き締まる。
「どうやったってあの魔力の前には、我々ではなす術がない。
せめてあの膨大な魔力をどうにかできれば……」
リゼリアが答えた。
「ミスリル製の防具であれば、何とかなるかもしれない」
その名に、場がざわめいた。
オルディン。ドワーフの鉱山都市。
ここから迷いの森を抜け、エルフの里リンデールを越えた山の向こう。
少なくとも一週間はかかる険しい道のりで、魔物に遭遇する可能性も高い。
「でも、オルディンは遠いぞ」
ダイチが腕を組む。
ライラが翼を広げた。
「私が運ぶ。あなた一人くらいなら抱えて飛べる」
短い静寂ののち、ダイチはゆっくりと頷いた。
「……オルディンのみんななら、協力してくれるはずだ!」
ゲイルが静かに言った。
「頼んだ。この村を守るために……」
焚き火がぱちりと弾け、火の粉が夜空に散った。
それは、どこか遠い鍛冶場の火花のようにも見えた。
* * *
会議のあと。
村の中では、意見が割れていた。
「“炎の影”は災いの獣。再び現れる前に討つべきだ」
「いいえ、あれは守り神よ。強い魔力によって正気を失っているだけ」
リリアナの母・マーヤと娘の声がぶつかる。
焚き火の光が二人の横顔を照らし、影を揺らした。
ミナが怯えたように焚き火の後ろへ隠れる。
「……これ以上、何かを失うなんて思いさせたくない」
リリアナが震える声で言った。
「だからこそ、確かめたいの。あの影が本当に敵なのかどうか」
皆の視線が私に集まる。
私はゆっくりと立ち上がった。
「……救えるかどうか、まだわからない。
でも、確かめに行く価値はあると思う。
“火”はもともと、命を守るものだから」
焚き火が小さく揺れた。
その炎の奥に、一瞬だけ黒い影が混じった気がした。
私は目を細め、静かに呟く。
「……待ってて。今度こそ、あなたを見つけ出す」
風が通り過ぎ、炎がひときわ高く揺らめいた。
それは、約束の証のように。




