表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界でスローキャンプ生活を始めたら、なぜか女神として崇められてました  作者: 佐藤正由
異世界キャンプ生活 第2期

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

104/127

第103話 異世界で“森を越えて語り合った”日

 朝霧がほどけ、リンデールの森を薄い光が包んでいた。

 集落の門前には、見送りのエルフたちが静かに並んでいる。

 長老とエルグリフが一歩進み出て、旅装のリゼリアに言葉をかけた。


「森の守りは我らに任せよ。魔物の凶暴化はリンデールにとっても脅威である。原因を突き止めてきてくれ」


 リゼリアは真っ直ぐに頷いた。

「はい。――イレーナのこと、お願い」


「心配するな。任せてくれ」


 エルグリフはそう言い、わずかに微笑んだ。

 私はその言葉に頭を下げ、腰の荷紐を締め直す。

「今回は、森を越えて獣人領の境まで。……無理はしない範囲で行くわ」


 少し離れたところで、シエルがイレーナとエルグリフと談笑しながら荷物を背負い、リゼリアとこちらに向かってきた。

 ダイチはすでに背負い紐を結び直し、リリアナのほうを振り向く。


「準備できたか?」


 リリアナは胸元の小さな布袋――願い石の入った袋を押さえて頷いた。

「はい。……みんな、ありがとう。私の村を、もう一度見に行きたいんです」


 彼女の瞳には不安よりも、確かめたいという意志の色があった。

 私は頷いて応え、見送りのエルフたちに深く頭を下げる。


「この森の恵みに助けられたこと、感謝します。」


 長老が静かに杖を地に打つと、門の蔓がほどけて開いた。

 ひんやりとした朝の風が、霧の向こうから流れ込んでくる。


「行こう、リゼリア、リリアナ」


 見送りの中で、リゼリアが最後に振り返り、静かに右手を上げた。

 その背に、エルグリフとイレーナの姿が小さく見える。

 妹が門の影から小さく手を振るのを見て、彼女の耳先がわずかに震えた。


「……行ってきます」


 そのひと言は、ほとんど風に溶けるほど小さかった。

 門をくぐり抜けた瞬間、森の空気が一段冷たくなる。


 足元には夜露を吸った土の匂いが漂い、遠くで鳥の鳴く声がした。

 木々の枝から光がこぼれ、霧の粒が淡く揺れる。

 私は歩調を整えながら、仲間たちを振り返る。


 シエル、ダイチ、リリアナ、リゼリア――その顔に、もう迷いはなかった。

 淡い光の道へ、私たちは揃った歩幅で踏み出した。


 * * *


 朝の森は、動物たちの気配で賑やかだ。

 枝葉から落ちる露、幹に走る蟻の列、遠くで木の実が転げる音。

 私は足元と左右を見ながら、歩調をゆっくり保つ。

 シエルとリリアナを自然に横並びに――そうなるよう、わざと少し前を歩いた。


 最初の一刻は、ほとんど言葉がなかった。

 靴の底と土の柔らかな音だけが、一定のリズムで続く。

 やがて、そのリズムに混じって、シエルの声がふっと入った。


「ねえ、リリアナ。猫人族っていっても、尻尾の毛並みって結構違うんだね」


「え?」


「ほら、あんたのは根元がふわっとしてる。あたし、もっとまっすぐなのよ。しかも湿気に弱いのよ」


 シエルが自分の尻尾を指で摘まみ、ぶんと揺らす。

 リリアナはおずおずと自分の尻尾を見て、小さく笑った。


「……母に、“雨の日は梳かしすぎないほうがいい”って、教わりました」


「それ正解。梳きすぎると絡むんだよね。ね、真希?」


「え、私に振るの? 尻尾のメンテは専門外よ」


「じゃあ、髪の話でもいい」


「髪は寝ぐせと毎朝戦ってるわね。湿気の多い日は負け続け」


 シエルがくすくす笑って、「真希の寝ぐせは魔物並みに厄介だもんね」と言う。

 ダイチが「それは言えてる」と笑い、リリアナも小さく吹き出した。


 そんな他愛もない会話が、リリアナの耳から少しずつ緊張を剥がしていく。

 歩調がそろい、時折、彼女の靴音がシエルと重なって聞こえた。


 小さな沢を渡る手前で、私は速度を落とした。


「リリアナ、ここの木の根は滑りやすいから、気をつけて。ロープを張るわ」


「……ありがとう」


 私は幹にロープを回して結び、対岸へ軽く投げた。

 ダイチが向こうで受け取り、しっかりと固定する。

 ロープがぴんと張られたのを確認してから、全員で慎重に渡った。


 渡り切ったところで、木漏れ日の差す平らな場所があった。

 私は周囲を見回し、危険がないかを確認する。


「ここで少し休もう。水も汲めるし、風も通るわ」


 荷物を降ろし、それぞれが腰を下ろす。

 シエルは尻尾をゆらしながら、沢の水を手ですくって温度を確かめ、

「冷たっ」と笑っていた。

 リリアナは濡れた手を振りながら、さっきより表情が柔らかい。


 ダイチが焚き火の場所を整え、石を円に並べる。

 私は赤い魔石を手にして、指先をかざし、静かに念じる。

 淡い光が弾け、薪にふわりと火が灯った。

「猫人族の村では、どんな暮らしをしていたの?」


 私が尋ねると、リリアナは少し考え込むようにしてから口を開いた。


「季節で違います。春は畑、夏は狩り場の見回り。

 若い子は木の上の連絡役、年配の人は子どもの面倒と“話の守り役”。

 犬人族は地面の道に強いから、交易の荷物は彼らが運ぶことが多いです。

 ……あ、鳥人族のハルピュイアが風の情報をくれる日もあります」


「鳥人族?」

 私は思わず聞き返した。

「空を飛べるの?」


「はい。大きな翼を持っていて、森の上から風の流れや獣の動きを見るんです。

 “風の変化は、森の呼吸だ”って、彼らはよく言っていました」


 リゼリアが興味深そうに頷く。

「なるほど……地上とはまったく違う視点から見ているのね」


「ええ。私は、そういう話を聞くのが好きでした。

 母は“よく聞きなさい”って、いつも言っていました」


 母という言葉で、リリアナは一瞬だけ視線を落とした。

 リゼリアが静かに微笑む。

「話を受け継ぐ文化、素敵だと思うわ」


 その空気をやわらげるように、シエルがスプーンを掲げた。

「ベルデ村はどう? あそこも“話”が速いよね。井戸のまわりとか」


「情報伝達速度だけは鳥人族にも負けないかもね」と私。

「鍋と井戸のそばは、風より速いって言われてる」


 シエルがくすくす笑う。

「真希、昨日も“鍋の警備”してたもんね」


「料理は外交手段よ。あ、ダイチ、スープおかわりしすぎ」


「えっ、俺まだ二杯半!」


「二杯半はもう“食べ過ぎ予備軍”よ」


「予備軍ならまだ食べすぎじゃないよな!」


 笑いが、火と一緒に揺れる。

 リリアナは椀を抱えたまま、それを見ていた。

 その頬が、少しだけ和らいでいるのを見て、私は胸の奥でそっと息をついた。


 焦らなくていい。

 今は、ただ同じ歩幅で、同じ景色を見ていけばいい。

 言葉も心も、少しずつ――火が育つみたいに、温めていけばいいんだ。


 笑いが、火と一緒に揺れる。

 リリアナは椀を抱えたまま、それを見ていた。

 やがて、ゆっくりと口を開く。


「……倒した魔物は、いつも埋めていました。

 腐ると、匂いがひどくて。皮も骨も硬くてどうすることもできなくて。

 だから、遠くに穴を掘って、土をかぶせて。

 “関わらないのがいちばん安全”って」


 私は頷く。

「理にかなってる。危険を遠ざけるのは、生きるための知恵だよ」


「でも……それしか知らないと、他のやり方があるって、考えられなくて」


 シエルが火ばさみで炭を寄せる。

「知識はどんな武器よりも強いってね、真希。」


 私は腰袋から小さな包みを取り出した。

 布をめくると、細身の銀色の刃が現れる。


「ドワーフが打ったミスリルのナイフ。薄くても粘る。

 元の世界の刃物の形を、こっちの金属で再現してもらったの」


 リリアナの瞳が、炎よりもわずかに大きくなる。


「……そんなに薄いのに、折れないんですか?」


「使い方を間違えなければね。

 硬くても、繊維の流れに沿って刃を入れれば、驚くほど通ることがある。

 “分け方”を知るってこと。無理やり壊すんじゃなくて、少しずつ“ほどく”」


 シエルが頷く。

「真希、よく言うよね。“ほどく”って」


「力で押すより、筋道を見つけるほうが好きなの」


 リリアナはしばらく刃を見つめ、それから願い石の袋に視線を落とした。

 袋越しに、指が石の丸さを確かめる。


「……もし、あの夜、“ほどき方”を知っていたら。

 誰かを守れたのかなって、思ってしまう」


 火のはぜる音だけが、短く間をつないだ。

 私はゆっくり息を吸い、吐いた。


「知っていても、守れない時はある。

 でも、知っていれば、次に守れるものが増える」


 リリアナは唇をかたく結び、そして小さく頷いた。

 炎に照らされた横顔に、涙はなかった。

 代わりに、薄いけれど確かな線が一本、心の中に引かれた気がした。


 * * *


 午後、森は少しずつ背を低くし、空が広くなる。

 足元の土が乾き、風が草の匂いを増やした。


「この丘を越えたら、私の知っている地域に入ります。」


 リリアナは指で遠くの稜線を示した。

 そこには、細い狼煙台の影が点のように並んでいる。


「連絡台です。……まだ、残ってる」


「使える?」


「はい。火を上げれば、近くの見張りが気づいてくれると思います。

 でも今日は、煙は少なめに」


 彼女の言葉に、私は心の中で丸をつけた。

 “用心深さ”は、今は何よりの味方だ。


 夕刻、森の縁に腰を下ろして簡単な夜営を整える。

 今夜は火を低く、鍋は使わず干し肉と木の実で済ませた。

 代わりに湯だけ沸かし、温かい水で喉を潤す。


「……人間の旅は、よく食べますね」


 リリアナが小声で言う。

 ダイチが胸を張った。「食べるのは強さだ!」


 シエルが笑って肩をすくめる。


 笑いがひとしきり落ち着いたところで、リリアナが空を見上げた。

 陽は沈み、月の輪郭が薄く浮かんでいる。


「母は、月に話しかける人でした。

 “今日は誰と笑った?”って」


「今日は?」と私。


 リリアナは少しだけ考えてから言った。

「……シエルと、笑いました。

 真希とも、少し」


 シエルが尻尾で彼女の膝をちょんと叩いた。

「もっと笑わせてあげるから」


「期待してます」


 短いやり取りに、夜風がそっと混じる。

 森の端は静かで、虫の声がよく通った。


 やがて、焚き火を落とす時間が来た。

 私は灰を均して、完全に熱が消えるのを待つ。

 リリアナが、その様子を食い入るように見ていた。


「火の終わらせ方、知らなかった」


「始め方より、終わらせ方のほうが大事。

 火も、旅も」


 彼女は願い石の袋に手を当て、深く息をした。


「……明日、狼煙台の近くまで行けるはずです。

 もし誰かが生き延びていたら、気づいてくれるはず」


「うん。あなたの歩幅で行こう」


 星が増えていく。

 遠く、草地の向こうに、獣人の領の黒い線が横たわっているように見えた。


 私は寝袋に潜り込み、最後に一度だけ、皆の寝顔を確認する。

 シエルは猫のように丸まり、ダイチは大の字、リリアナは仰向けで空を見ている。

 その胸の上で、布袋が静かに上下する。

 月明かりに、袋の縫い目が細く光った。


 ――歩いて、話して、食べて、眠る。

 それだけのことが、どれほど難しくて、どれほど尊いか。


 森の冷たい匂いの中で、私は目を閉じた。


 明日は、境へ。

 彼女の世界の、扉の前まで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
…湿気の多い日の寝癖はもう戦う気力すら湧きません(笑) ロープを張った後、獣人の暮らしについて説明しているところですが リリアナの母の話をしているところではまだ歩いているのかと思ったら シエルがスプ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ