第100話 異世界の村で“金属”が動き出した日
温泉の湯気が谷にまだ名残を残すころ、砦の広場では静かな会議が始まっていた。
真希、ガルシア、ヨラム、サーシャ、そしてドワーフの弟子エリン。
そこへ、砦の守備隊をまとめる若者――レオンが姿を見せる。ガルシアの息子であり、かつてはネストリア軍に属していた青年だ。
だが今、その瞳には兵ではなく“民”としての意志が宿っていた。
「この山から出た鉱脈……確認したところ、銅・錫・銀、そして鉄も含まれていると」
エリンが地図を広げながら報告する。
「場所は南の沢沿い。岩肌に金属の筋が見えるんです」
「鉄……?」
レオンが思わず息を呑む。
「帝国の鉱区以外で、そんな鉱脈があるなんて……父上、これは本当なのですか?」
「確かめた。間違いない」
ガルシアが低く答える。
「この地は、神々が見放したどころか、今なお恵みを与えているらしい」
真希は手元の鉄片を掲げた。鍛冶場で叩かれ、灰銀色の光を放つ金属だ。
「すでに精錬と加工も行っているわ。量はまだ少ないけれど、鍬や釘として使う分には十分よ」
レオンはその金属を見つめ、しばし言葉を失った。
「……本当に鉄だ。俺たちは兵として、鉄を“奪う側”でしか扱ったことがなかったのに……」
その静かな言葉に、広場の空気がわずかに揺れる。
かつて支配の象徴だった金属が、いまは人々の手で“築く力”へと変わろうとしている。
「鉄は貴重だけれど、使わなければ意味がない」
真希が微笑む。
「武器ではなく、暮らしを作る道具として使いたいの」
エリンが嬉しそうに頷いた。
「はい! もう鍬も鎌も、今までよりずっと強くなりました! 鉄がこんなに使えるなんて師匠にも見せたいくらいです!」
その言葉に、レオンが思わず目を丸くする。
「ま、待ってくれ。ドワーフと協力してるのか? 本当に……?」
ガルシアも眉を上げた。
「ドワーフは人間との交流を嫌うと聞いていたが……お前たちは、もうそんな壁も越えたのか」
「学び合えば、違う種族でも理解できるわ」
真希が静かに答える。
「彼らの火の知恵と、人間の工夫が合わされば、どんな山でも切り拓ける」
「……見事だ」
ガルシアは短く呟いた。その瞳には、かつて戦場で見たどんな勝利よりも深い感嘆があった。
***
午後、砦の一角から金属音が響く。
新しい鍛冶場で、エリンとダイチが炉を囲んでいた。
真っ赤に輝く鉄片をハンマーで叩き、火花が散る。
「よし、もう一撃! エリン、火加減はどうだ?」
「いい感じです! 炉の温度、安定してます!」
二人の息はぴたりと合っていた。
その光景に、レオンは思わず見入った。
鉄槌の音が響くたび、炎が揺らめき、赤い光が彼の頬を染める。
「……これほどのものを、民の手で造れるなんて……」
真希が微笑む。
「火を扱う技術はドワーフから学んだけど、炉や滑車の構造はみんなで考えたの。
誰か一人の知識じゃなく、たくさんの経験が積み重なってできたのよ」
ダイチが笑う。
「火も鉄も、扱うのは命懸けです。でも、そのぶん出来た時の達成感もすごいんですよ!」
レオンは黙って頷いた。
赤く光る鉄は、かつて彼が仕えた領主の紋章よりも、はるかにまぶしかった。
***
その日の夕暮れ、砦の広場では出来たばかりの新しい道具が並べられた。
鍬、鎌、釘、鉄の留め具、そして修繕用の小さな鉄製ハサミ。
真希は一つ一つを確認しながら、職人たちに声をかける。
「これらはすべて、みんなで使うもの。
“所有”より“共有”。
技術も素材も、誰か一人のものじゃなく、この地の未来の財産にしましょう」
エリンが胸を張って答えた。
「はい! 鉄は村の力です!」
サーシャが笑みを浮かべて言った。
「鉄の道具で畑を耕して、温泉で体を癒す。まるで夢みたいね」
「夢じゃないさ」
ヨラムが短く言う。
「夢の中で働ける奴なんていねぇ。これが現実の力だ」
皆が笑い、夕暮れの空気がやわらかく包んだ。
***
砦の高台からは、ベルデ村へ伸びる街道が見えた。
荷車が往来し、遠くの山肌では温泉の湯気がまだ立ち上っている。
道沿いの灯がともり、谷の底まで続いていた。
レオンはその光景を見つめながら、静かに言った。
「……父上。これが、俺たちが守るべき場所なんですね」
ガルシアは無言で頷いた。
その横顔に、かつての軍人ではなく、ひとりの“父”の姿があった。
真希が穏やかに言葉を継ぐ。
「奪う力ではなく、築く力。
私たちが見せたいのは、その違いよ」
夜の帳が降り、炉の赤が空に滲んでいく。
人の手が作る音は止まらない。
鉄の響きが、谷に小さな希望の祈りのように反響していた。
――鍛えられたのは、鉄だけではない。
この地の心もまた、炎の中で確かに強くなっていた。
***
――いつの間にか、鉄の音が、生活の音になっていた。
初めてこの地に来たころ、私は「生き延びる」ことだけを考えていた。
森で寝て、火を起こし、水を確保して、どうにか今日を終える――それだけで精一杯だった。
けれど、いま耳にする金属音は、かつての私が想像もしなかった“希望”の響きに聞こえる。
鍬の音も、鎚の音も、みんなの笑い声と混ざっている。
それを聞くたびに思う。
人は、奪うために道具を持つのではなく、築くために手を動かすのだ、と。
ガルシアの息子、レオンの目に映ったあの驚きは、
きっとかつての私と同じ――「自分の力で変えられるかもしれない」という希望への驚きだったのだろう。
兵として命令に従ってきた彼が、“守る場所を選ぶ”目をしていたのが印象的だった。
その背を見つめるガルシアの顔には、かつて戦場では見せなかった柔らかさがあった。
思えば、あの日ベルデ村で最初の鍬を打ったときも、
フォルデン村での争いを止めたときも、そしてドワーフたちと火を囲んだときも――
すべては「生きるために、手を動かす」ことから始まっていた。
エルフたちとの交流もまた、それを教えてくれた。
異なる種族と向き合う難しさ、信じる勇気、そして自然と共に生きるという知恵。
森で彼らに教わった魔石の循環の話も、鉄を打つ音とどこか似ている。
――どちらも、命が形を変えて残る“循環”なのだと思う。
誰かの知識、誰かの努力、誰かの祈りが、少しずつ積み重なっていく。
それがこの地の“強さ”になり、“形”になっている。
奪う力ではなく、築く力。
戦うよりも、創るほうがずっと難しくて、ずっと勇気がいる。
でも――それを選んだ人たちが、いまこの地に生きている。
私たちは鉄を得た。
けれど、本当に鍛えられたのは人の心のほうだ。
火の熱さを知り、汗と痛みを分け合いながら、ようやく「自分たちの暮らし」を打ち立てたのだと思う。
夜、焚き火のそばで目を閉じると、今日の音がいくつも蘇る。
鎚の響き、笑い声、子どもの足音、そして風の中に混じる湯気の匂い。
そのすべてが、この地の息遣いだ。
――明日は、どんな音が生まれるだろう。
そう思いながら、私はそっと炎に手をかざした。
燃える熱の向こうに、新しい朝の光が見えた気がした。




