プロローグ 現実世界で、何かが変わった
人といるのは、疲れる。
私の名前は本庄真希。25歳、会社員。
一応、大学では心理学を専攻していた。理由は単純で——
“理解不能な人間の感情”という非合理の塊を、少しでも理屈で理解したかったから。
性格は、他人との関係性よりも、自分の思考の整理を優先するタイプ。
恋愛にも興味はなく、恋人いない歴は年齢と同じ。
器用貧乏で、大抵のことは自分でやったほうが早いので、人にはあまり頼らない。
これが人を遠ざける要因になっているのかもしれない。
コミュニケーションは苦手だけど、気を遣うことだけは昔から妙に得意だった。
幼いころから他人の感情に敏感で、言葉の裏まで察してしまう。
そのせいで、他人といるとずっと神経をすり減らしているような感覚になる。
目が笑っていないのが原因なのか、同僚からは「ちょっと怖い人」扱いされている。
そんな私でも、なんとか大学を出て、就職はできた。
就職氷河期で選択肢がなかったとはいえ、よりによってブラック企業とはね……。
無能な上司と、見栄と嫉妬と裏切りのループに、心底うんざりしている。
だから友人は作らない。表面上の付き合いだけで十分。
住んでるアパートも安くてボロいけど、自分でDIYして快適空間にしてしまった。
そんな私が、唯一心から落ち着けるのが——“自然”だ。
高校時代、女性ソロキャンパーの特集番組を見て、「これだ」と思った。
誰にも干渉されず、一人で自然と向き合う時間。
火を起こし、風を感じる。理屈と感覚、そのどちらもが必要なこの世界は、私にとっての聖域だった。
今では、ソロキャンパーとしては手練れの部類。
就職してからは、携帯の電波が届かない山奥でキャンプをすることが、私にとって“最優先の予定”になった。
仕事の電話に出られない理由にもなるし、何より——誰にも邪魔されない。
動物も大好き。
言葉を使わず、裏表もなく、感情をストレートに見せてくれる存在は、私の数少ない癒やしだ。
触られすぎるのが苦手な動物にも、“寸止め”でモフるタイミングが分かるのが、私のちょっとした自慢。
そう、私にとって人間社会よりも、自然と動物のほうが、よっぽど理屈が通っている。
空気を読んで、表情を読み取って、言葉の裏を探って。
大学で心理学を専攻していたことが原因かどうかは分からないが、昔よりさらに相手の感情に敏感になっている気がする。
気を抜いたらすぐに「なんか怒ってる?」とか「もっと愛想よくできないの?」とか。
こっちは精一杯笑ってるつもりなんだけどな。
――まあ、いい。
そうやって生きてきたし、誰にも期待されないのは、案外楽でもある。
今の職場は特にひどい。
無能な上司がヘラヘラと無責任な指示を出して、フォローするのは私ばかり。
理屈で考え、冷静に対応できるのは便利だけど、そのせいで周囲はどんどん甘えてくる。
「真希さんなら何とかしてくれるでしょ」
……あのな。
苦笑いを浮かべたまま、今日も私は会社を出た。
黙って荷物をまとめて、誰にも声をかけずにビルを出る。
金曜の夜。予定?
私にだって外せない予定があるので、同僚に構っている暇はない。
大学生の時にアルバイトして買った50ccのバイクに道具をのせて、山へと向かう。
目的地は、電波の届かない、あの場所。
焚き火の火が、ぱちぱちと音を立てる。
夜の山。虫の声だけが微かに聞こえる静寂の中、私の心はやっと静かになる。
誰の視線も、言葉も、空気も、ここにはない。
「……やっと、ひとりになれた」
火を起こす。湯を沸かす。風を読む。動物の気配を探る。
理屈と感覚のバランス。私には、こういうのが合っていたのかもしれない。
身なりには無頓着だし、他人と関わるのは苦手だけど、自然は裏切らない。
動物も、空も、風も、全部がそのままそこにある。
何度かキャンプ地に訪れた時に、罠にかかっていた猫と、おそらく捨てられた犬を助けたことがきっかけで——
あのふたりは、懐いてくれて、キャンプに来るたび会いに来てくれるようになった。
自分の感情をうまく出せなくても、あのふたりは黙ってそばにいてくれた。
何も言わずに、ただそっと、寄り添ってくれた。
誰にも頼れなかった私が、自然と誰かに頼るようになっていた。
それは、ほんの小さな変化。
でも、確かに“何か”が、変わった気がした。