絆芽
私達に絆が芽生えたのはいつ頃だろうか。
共に同じ小学校に通っていたのに。
六年の内、最後の二年は同じクラスだったのに。
私達は最低限の会話しかしたことがなかった。
別に仲が悪かったわけじゃない。
ただ話す理由がなかった。
六年生の後半からは皆、大人の真似事を始めるようになったから特にそうだ。
だから、この時期に絆が芽生えたとは思えない。
では、中学生の頃はどうだろうか。
今度は偶然にも三年とも同じクラスだった。
小学校の時に比べれば結構話すこともあったと思う。
だけど、性別の壁が友人となることを阻んでいた。
いや、そもそも仲が良かったわけでもないか。
だから、あなたに恋人が出来たと聞いても何とも思わなかった。
反対に私に恋人が出来たと聞いてもあなたは何とも思わなかったでしょう?
いえ、そもそも中学生の恋愛なんて恋愛とも言えないか。
そして高校生になって。
私は手痛い経験をした。
虐めなんて、よくある事と言えばよくある事だったけれど。
厄介事を嫌った当時の彼氏はあっさりと私から離れた。
子供の恋愛なんてそんなもんだと思う。
学校に居場所なんてどこにもなかった。
だけど、家族にバレたら自宅での居場所もなくなる――当時の私は本気でそう考えていた。
私は部活に行っていると嘘をついて学校から下校すると公園で時間を潰していた。
そこにしか居場所がなかったから。
そんな折。
別の高校へ行っていたあなたと再会した。
久方の再会で私達は少し話をして別れた。
本当にそれだけだった。
意味なんてない。
だけど、二回、三回と繰り返す度に意味は芽生えてくる。
――あぁ、きっとここであなたとの絆が出来たのだろう。
「なんでいつもここにいるの?」
「あなたこそ」
一本のジュースを二人で分けながらお互いの近況を話す。
だってもう、学校の話も趣味の話もニュースの話も全部話しきっちゃっていたから。
「なんだ。同じじゃん」
あなたはそう言って肌を晒した。
「えっぐ……がっつり傷残ってるじゃん」
「だろ?」
「私はまだマシって思えたわ」
「いや、俺はお前の方がよっぽど嫌だわ。ネチネチくるのって最悪じゃん」
思えば不思議な時間だった。
別に仲が良かったわけではないし、もっと言えば友達でもなかったかもしれない。
だけど、お互い虐められていたことを話せる唯一の存在だった。
虐めの問題は何一つ解決なんてしなかったけれど。
「先生に言ったりしなかったの?」
「解決しないって分かってるもん」
「なんか中学生辺りから先生って露骨に面倒事を避ける奴らばっかりになるよな」
「ぶっちゃけ小学校の時だってまともに取り合ってくれなかったしね」
虐め相手なんて殺してやりたいくらいの憎悪を抱いていたけれど、あなたと話している時だけその憎悪は薄らいだ。
いや、意識せずに済んだとでも言うべきだったろうか。
「お前は何で家に帰らないの?」
「多分、あなたと同じ」
「まぁ、そっか」
結局、私達はそれぞれ別の高校で三年間虐められ続けた。
本当にびっくりするくらい何も変わらないまま三年間が終わった。
高校卒業後。
私は大学へ。
あなたはそのまま就職をした。
別の世界で過ごすが故に関係性は希薄だ。
互いの趣味もあまり合わなかったし、時にどちらかに恋人が出来て互いに気を遣ってほとんど連絡をしなかった時期もある。
だけど、どういうわけか、二人共恋人とは長続きしなかった。
「また続かなかったのか」
「あなたこそ」
「お前より二ヵ月ほど長く持ったよ」
「誤差でしょ」
大学を卒業して三年目。
特に予定もないので突如開かれた二人きりの細やかな飲み会で近況を話す。
あなたも私も何人目かの恋人と長続きしなかったことを愚痴り合う。
「なんかもう嫌になるよ」
「何が?」
「生きるのが。高校の頃とか大学生になればもっとマシになるって思っていたのにさ」
「マシにはなっただろ。虐めはなくなったんだろ?」
「いや、なんて言うか。もっともっと良くなるかなって」
「中々そうもいかんだろ」
居酒屋の喧騒の中に私達の愚痴も溶ける。
誰も内容も気にしたりしない。
「高校の時に私を虐めていた糞女がさ。また一人結婚したのよ」
「へー」
「何で虐めをしているような糞が幸せになって私がこんなんなのさ」
「そんなもんだろ」
あなたは苦笑する。
あぁ、その通りだ。
何せ、前回の飲み会ではあなたは『俺を虐めてたやつがプロ野球で活躍してる』って愚痴っていたもんね。
「理不尽だよぉ」
「まぁ、虐めする奴の方がうまくいくよな。ぶっちゃけ。俺を虐めたカス然りお前を虐めた糞然り」
「聞きたくねー」
私達はもう大人だ。
ジュースの代わりのビールを分け合う必要もない。
「けどまぁ。悪い方だけど最悪じゃねえだろ。俺らも」
「何でそう思うの?」
「だって、愚痴を言い合える相手がいるんだから」
「救いになってねえよ」
肩を竦めるあなたに私は笑う。
あぁ。
だけど、確かにその通り。
私達は最悪ではない。
何となしに芽生えた絆が、何となく今も続いている。
「これからも傷を舐め合いながら生きていこうぜ」
「悲しくなるから言うなよ、そんなことー」
傷を舐め合う二人か。
この関係は何とも情けなく――それでいて安堵出来る。
「私の傷の味ってどんなもん?」
「意外と悪くないよ」
「気持ち悪」
「お前が聞いたんだろ……で、お前は?」
「まぁ、同じね」
「お前も気持ち悪いってば」
互いに舐め合い続けている傷口の味——。
誰かの不幸を見ていれば自分はまだ相手よりマシだって思える。
自分より不幸な相手だからこっちもあっさりと手を差し出せる。
差し出した手を握り返してもらえれば悪い気はしない……だって、優越感に浸れるから。
「案外さ」
「ん?」
酔った勢いのままに私は言う。
「私達ってベストパートナーなのかもね」
「頑なに友達って言ってくれないのな」
「でもピッタリじゃない?」
「まぁ、それはそう」
あなたの言葉に私は笑う。
「そろそろ付き合う?」
「本気か?」
「いや、冗談。だけど」
「だけど?」
「ぶっちゃけ、滑り止め程度には思ってる」
「全く同じ認識じゃん。俺も最悪お前で妥協するつもりだもん」
私達は共に笑う。
あなたの笑みに私は決して変わらないものを感じた。
今後、どうなるか分からない。
もしかしたら、私に恋人が出来て結婚するかもしれない。
反対にあなたに恋人が出来て結婚するかもしれない。
――ひょっとしたら、本当に滑り止めとして一緒になるかもしれない。
だけど、きっと。
私達は生涯、傷を舐め合っているのだろうなと思った。
「あー、もう本当に悲しくなる」
「何がだよ」
「青春時代の遺産があなた一人きりなんて」
「ベストパートナーなのに?」
「ベストパートナーなのに」
安酒が入り大きくなっていく私達の気持ちは既に傷の味を極上の肴として感じるほどになっていた。