あっちの水はあまいよ
「夏は、夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。(※ 枕草子原文引用)」
有名な枕草子にも謳われる夏の夜の趣き。都会の空の下、見なくなった蛍の輝きと虫の囁きが復活しているところもあるというが────
甘い水を吸うのは蛍の灯りか⋯⋯。
苦い血を噴くのは嘆きの首か⋯⋯。
しのびよる⋯⋯
しのびよる⋯⋯
灯籠の陰から蟷螂の鎌首が、忍び寄る死の影のようにゆらゆらとゆらめく。
────スッパリ
────ザックリ
闇に溶けた鋭利な刃が灯籠の蛍の明かりに誘われて祈る哀れな女の首へ、お別れの音を奏でるように鳴らした。
鎌鼬の仕業か蟷螂の悪戯か。怨みの華は女の血飛沫で真っ赤に染め上げて⋯⋯不気味に咲き誇った。
あまくない⋯⋯
あまくない⋯⋯
水辺に落ちた首に、甘くないと蛍だけが泣いて唄った────
黒い噛みつき虫は不吉の御使い。
不幸のしるしを、その舌へと問う。
ねらわれる⋯⋯
ねらわれる⋯⋯
街灯の影に溶けた鋭い牙が、不実の言の葉を紡ぐ男の舌を穿つ。
────グッサリ
────グッサリ
不実の歌声を吐き出した数だけ、不実な男は錐揉み状に舌をくり抜かれる────
────グッサリ
────グッサリ
眩い光に群がる虫たちの舞の中で、邪淫に嘲笑う女の舌も咎を問われる。
とまらない⋯⋯
とまらない⋯⋯
哀れな女を思い嘲笑った数だけ、邪淫に満ちた女も舌を穿たれる────
うたわない⋯⋯
うたわない⋯⋯
不実に沈む二つの影に、鎮魂の詩が歌われることはない。
こっちの水はにがいよ⋯⋯
あっちの水はあまいよ⋯⋯
水辺に沈む哀れな女の首は、揺らめく水面の蛍へ⋯⋯あっちへおいきと唄う。
すくわれない⋯⋯
すくわれない⋯⋯
そして呪いの苦しみに苛まれながら、共に地獄の底へと堕ちた二人を嗤う。
うたえない⋯⋯
うたえない⋯⋯
不実な二人は、叫ぶことの出来ないまま大叫喚地獄に悶る。
────突如湧いた赤黒い泉に、浮舞する蚊たちが喜びに舞い、笑った。
おゆきなさい⋯⋯
おゆきなさい⋯⋯
月の明かりが泣いた蛍へ囁きかけた。哀れな女の願いは叶ったのだからと。
呪いの罰は彼女の望み。その身が水に清められなくなるまでの間、苦しみながらも哀れな女は嗤いながら唄い続けるのだ⋯⋯と。
さようなら⋯⋯
さようなら⋯⋯
泣いていた蛍は哀れな女の首に別れを告げて、甘い水を探して飛び去った。
こっちの水は悲しいよ⋯⋯
あっちの水は────
お読みいただきありがとうございました。
ホラーのテーマが「水」 と言うことで、蛍の歌をイメージしたホラーを書いてみました。
⋯⋯規約上歌詞は詳しくは書けませんが、蛍の歌⋯⋯卒業の歌の方ではなくて、甘い苦い水の方です。