8.猫狩りや!らんで、ぶー
これはいつの記憶だろうか。
蓋をして閉じ込めた、悲しい過去のお話だ。
俺には妹がいた。
普通の距離感で、普通に接していた妹だ。
でも妹は普通じゃなかった、生き物に対しての敬意を持たなかったし、共に過ごす同級生に対する配慮も無かった。
ただ自分の知的好奇心を満たす為だけに生き物を殺し、そして自分より学力で劣る同級生の事をゴミ人間と蔑んでいた。
俺はどうして妹が普通じゃないのか理解出来なかった、だから理解しようと務めたのだ。
妹と同じように動物を殺し、そして妹と同じように同級生を傷つけた。
沢山勉強もして、少しでも妹の考えに追いつこうと努力した。
でも、それは無駄だった。
俺のIQは110で、妹は160、これが2才の差があるまだ8歳と6歳の兄妹が同じ試験を受けての結果だとしたら、その差は歴然としたものだろう。
今の俺がIQや知能テストを受けても、調子がいい時で130や偏差値70程度。
そんな俺を遥かに凌ぐ妹の存在とはそう、〝天才〟以外の表現は相応しく無いものだった。
だから俺は諦めたのだ、妹を理解する事を。
お兄ちゃん、お兄ちゃんと袖を引く妹を突き放したのだ。
そして妹は逆上し、俺に鈍器で殴り掛かり。
そして俺は、そんな妹を恐れ、恐怖心を抱き、窓から突き落とした。
そして嫌われ者の問題児だった妹は、自分で窓から飛び出したという事で処理されて、そのまま死んだ。
その時の手の感触と罪悪感は、今でも鮮明に思い出せる程に俺の中に残っているが、俺はそれを医者からのカウンセリング、自己暗示によって、記憶の底に封印した。
だからこれは、現実の俺とは関係ない、夢の中だけの記憶。
でもどうして目が覚めれば忘れてしまう夢なのに、俺は今も覚えているのだろうか──────────。
「おはようございますキリヲさん」
リビングに行くと既にモモとレインが椅子に座って待っていた。
「おはよう、二人とも朝早いんだな」
時刻は分からんが、窓の外はまだ日が明けたばかりと言った具合であり6時半くらいだろうか、俺は普段より早起きだったくらいだ。
「別に普通だと思うけど?、それより、早く狩りに出掛けよう、猫狩りは1匹300グランのしょぼいシノギだからね、ノルマは最低10匹、早く始めるにこした事は無いし、今なら他のプレイヤーの人目につかない」
そう促されて、俺たちは野良猫の多く生息する市街地へと向かった。
市街地で野良猫が多いのは、餌付けする人間と、子猫を捨てる人間が多いからだそうだ。
人の都合で生まれて、人の都合で捨てられて、人の都合で狩り殺される猫ちゃん達には涙を禁じ得ないが、それでも他に金策の手段が無いために仕方ない。
俺たちからすれば、身勝手な人間のエゴで野良猫が増えて助かっているという話でもあるので、子猫を捨てるような勝手な人間を責める資格は無いのである。
だがモモはそんな風に割り切れる訳でもなく、野良猫の境遇に心を砕いているようだ。
だが俺たちはそんなモモの心情に斟酌せずに、猫狩りを開始したのであった。
「ひとつ、ふたつ、みっつ!!、よしモモ!!、そっちいったぞ!」
「やるねぇ、これで10匹目、ノルマ達成だ、この調子なら100匹も狙えるかもしれない、モモくん、そっちに行ったよ!」
「え、あ、あわ、あわわわわわわわわわ」
俺たちが順調に挟み込んだ猫を狩り殺しているのに対して、モモは1匹の猫も狩れずに、ただ立ち尽くしていた。
「おいおい、なにやってんだよ、まだ大人になれないのか、昨日猫バーグ食ったろ、俺達が生きる為には猫バーグが必要で、こいつらは生かしてても、どうせ別の誰かに狩られて死ぬんだよ、だったら俺たちの手で楽にしてやるのが人情だって教えただろ」
「うぅっ、でも…」
「モモくん、君が生き物を殺す事に抵抗を覚えるのは分かるよ、義務教育の道徳では命を尊重すべしと洗脳している訳だからね、でも、ここにあるこれらは、生き物じゃない、ただのデータだ、猫そっくりに作られているけど、踏み潰せば崩れて消えるただのデータ、君が普段使用しているスマホの動画や画像と何も変わらない、ただの電子情報に過ぎないものだ、だから恐れる事は何も無いし、現実で咎められる謂れも何も無い、必要ならば必要なだけ狩ればいいんだよ」
「分かっている…分かっているんです、頭の中では、猫ちゃんは現実じゃないし、私が生きる為には他の命を頂く必要がある、私はヴィーガンじゃないし、そうであっても無数の命を食らっている罪深い生き物なんだって、頭では分かっているんです」
「だったら──────────」
「でも、それでも、ダメ、ですかね、偽善者でも、悪人でも、矛盾していても、この猫ちゃんを、偽物で、紛い物の猫ちゃんを、殺したくないって思ったら、ダメ、ですかね、猫ちゃんを殺すくらいなら、自分が死んだ方がマシだって、そう思ったら、ダメ、ですかね・・・?」
そう答えるモモの目は、本気で猫ちゃんと心中すると言わんばかりの剣幕で、俺の心に直接訴えかけてきた。
それは理屈じゃないモモの本気の言葉だからこそ、虚飾の無い真摯な言葉だからこそ、冷えきった俺の心に、何かが流れ込んできたのだ。
そしてそんなモモの激白に、俺より先にレインが答えた。
「はは、やっぱり君、面白いね、こんな電子情報に同情して、命を懸けられるなんて、でも、じゃあもし、ボクらとその猫が天秤にかけられたらどうするのさ、猫を救うって事は、ボクらを救わないって事だよね、じゃあ君はボクらが死にそうになった時にその紛い物の猫を供物にすれば助かるとしても、猫を供物にする事を拒むのかい」
「・・・その時は、・・・その時は、私が供物になります、私が猫ちゃんの代わりになります、だからたった300グランの為に、ゲーム内の電子情報の為に、罪の無い猫ちゃんを、殺さないでください」
そう言ってモモはその場に平伏し、頭を垂れた。
俺はモモの事をとびきりの世間知らずでバカなんだと思っていたが、ここまで来るとバカを通り越した異常者だ。
少なくとも、ここまでのイカレた人間を、俺は見た事が無かったから、俺はドン引きしていたのである。
そしてレインはと言うと。
「・・・ま、そこまで言うなら、君の頼みを聞いてあげないでも無いよ、ボクも猫は好きだからね、毛皮も綺麗だし、お腹の中も綺麗だ、少なくとも、ゴミクズみたいな欲が詰め込まれた人間よりかはね、だから分かったよ、君がこの猫達に命を尽くせるというならば、君はボクに命を尽くす事を条件に、猫の命を保証してあげよう、それでいいかな」
「はい、それで、いいです」
「じゃあキリヲくん、猫狩りは今日で店じまいでパーティーも解消だけど、これからどうしようか」
「・・・俺としては、寝床を貸して貰うためにこれからも協力関係を継続していきたいと思っているが・・・、まぁ、愛し合う二人に俺は邪魔者だよな、潔く退散するよ」
俺は地雷女を変な男に押し付けられたと思ってこれ幸いと踵を返したのだが。
「何言ってるんだい、ボクは女の子だよ、それともこのご時世だから、ボクをLGBTQのなにかだとでも思っているのかな」
「・・・え?、いやだって、ボクっ娘とか普通にイタいし、外見も中性的だし、女の子要素なんて殆ど無いじゃないか」
「・・・君は今、ボクを侮辱したね、それも三回も、これは万死に値する過失だよ」
「わ、悪かった、でも、普通は女の子には見えないって、性格も勝ち気だし、女の子的な淑やかさや嫋やかさなんて皆無じゃないか、これで女の子扱いされたいって言う方が傲慢だ!!」
「はーん、君は典型的なジェンダー差別主義者なんだね、性別なんてただの身体的特徴の違いでしかないのに、それを理由に女の子なら三指ついたり3歩後ろを歩く事を強要する輩は価値観が昭和としか言えないね、万死に値する愚昧さだ」
「じゃあ俺はどうやってお前の性別を見分ければ良かったんだよ、何かヒントでもあったのか?、無いだろうが」
「でもモモくんはボクが女の子だって分かってたよ、それはつまり君がボクに対してぞんざいに接してるって話になるんじゃないのかい?」
「な、嘘だろ、おいモモ、なんでお前はレインが女だって思ったんだよ、どこかに判別材料があったのか?」
「い、いえ、私も最初はどっちか迷ってたんですけど、でも部屋に招待する時とか、男の人なら私も緊張するけどそれが無かったというか、一緒にいて自然というか、、女子校に通ってる私の直感が、男の人じゃないって思ってて、確信したのはハンバーグの食べ方ですかね、一口で食べてましたけど、口元は隠してて上品でした、それが私が初めてビックマックを食べた時に似てたから、それで」
「・・・お前、ただの馬鹿かと思ってたけど意外と鋭い所もあるんだな」
そういう経験があるということは、やはりモモは箱入りのお嬢様育ちなのだろうか。
「意外とってなんですか!、いえ、確かに中学は補欠合格でしたけど、一応名門校ですからね」
「これで君がボクをぞんざいに見ていた事が証明されたね、何か言う事があるんじゃないのかい」
「・・・ちっ、認めてやろう、今は俺が悪い、謝罪を進呈する、さぁ、受け取れ!!」
俺はモモに倣って土下座を決行した。
これ以上イジられるのも面倒だし、ガキども相手にイジられるのも不快だったからだ。
故に俺は大人の力、誠意の解放、先祖伝来の奥義にて、生意気な小娘共を黙らせる事にしたのである。
「ここまで誠意の篭ってない土下座、初めて見ました・・・1ミリも謝意を感じる事が出来ません」
「どうせ電子空間での義体のやってる事だから、恥ともなんとも思ってないんだろうね、リアルネームでプレイしてるモモくんとは違って、キリリンは偽名の義体だしね」
なんだよキリリンって、キリト似のかっこいい名前なんだからキリヲってちゃんと呼べよクソガキめ。
「・・・ちっ、じゃあ、俺はもう用が済んだしこれでバイバイだな、ま、お互い達者でな、生きて会えたら、また」
もうこれ以上は付き合ってられないと、今生の別れのような雰囲気で別れを告げるが。
「待ってください」
「待ちたまえ」
両腕を引っ張られて引き止められた。
「・・・どうした、言っとくが、もう協力する義理は無いぞ」
俺はこれ以上は組まないという予防線を貼りつつ振り向いた。
「君は命がかかったデスゲームの中で、かよわい女子二人を放置するというのかい、だとしたらそれはとんだ悪党だね、君がジェンダー差別主義思想を持っているというならば、女の子は守ってあげるものじゃないのかい」
「キリヲさんには助けて頂いたお礼がまだです、今から歌いにいくので、まずはそれを受け取ってください」
「猫を容赦なく狩り殺してる奴がか弱いとか言うんじゃねぇよ、ゲームの中では完全に対等な力関係だろ、あとお礼は別に今日じゃなくていいし、生きてればいつでも何度でも恩返しは出来るだろ、だからバイバイだ」
そう言って俺は無理やり振り払おうとするのだが、2対1である為か、俺がどれだけ力を込めても振り払う事は出来なかった。
対等なステータスならば、2対1を覆す事は不可能というゲームの中での絶対的な原理を、ここで俺は初めて実感したのである。
「おい、離せ」
「まぁまぁ、一応今日の分のノルマはクリアしてるんだ、だったら今日くらいは付き合ってくれてもいいんじゃないかい」
「そうです、今日くらいは一緒にいてもいい筈です、それに私は多分そんなに生き残る確率も高くないので、今日お礼をしなかったら一生お礼出来なくなるかもしれません」
流石にここまで引き止められて逃げ出すというのも、面倒だし格好がつかないか。
俺は二日連続で時間をドブにすると理解しつつも、仕方無しに付き合う事にしたのであった。
「・・・ちっ、今日だけだからな、今日が終わったらもう他人だし、必要な時以外で話しかけるなよ」