32.一敗地ニ塗レル
キリヲがオウエモンと接敵する直前の事。
ノワは100メートル後ろを尾行しろというキリヲの指示に従い、ふらふらと夜道を散歩しているキリヲを、あくびをしながら追跡していた。
「弱き者フラグ、か・・・他に作戦が無いのは分かるけど、流石にその可能性は攻め過ぎだよな」
そんな独り言を漏らす程に、ノワはキリヲの立てた弱き者偽装オウエモンホイホイ作戦を疑っていた。
確かに殺害されたコリンと条件を揃える事は検証に於いて最も効率的な方法だろう。
だがオープンワールドのVRMMOに於いて、そんな複雑な出現フラグをわざわざ設定する手間なんてかけるものだろうか?、そんな初見殺しにして初心者殺しな理不尽な敵をプレイヤー同士を競わせるデスゲームで設定するものなのか?、みたいな風に、メタな視点から考えてその可能性は低いだろうなとノワは疑っていたのである。
それに加えてここ一週間のオウエモンの捜索に於ける情報の少なさだ。
そんな簡単な条件ならば、目撃情報くらいはもっとあってもいいはずだし、試す人間が他にいてもおかしくは無い。
だから可能性を検証するという点では必要な事だが、ノワは多くのMMOをやった経験から、レアエネミーの出現条件はプレイヤー依存では無く時間や場所みたいなマップ条件なのでは無いかと思い、適当に金で人を雇って人海戦術で虱潰しした方が早いと思っていたのである。
しかしコミュ障でキリヲに対して苦手意識を持っているノワは、言ってもどうせ却下されるだろうと思って意見はしなかった。
キリヲは典型的な独断専行タイプであり、自分の意見が絶対と思っている人間だ、それはノワの母親によく似たタイプであり、そういう相手との対話をするのは非常に疲れると、ノワは自身の人生観から忌避していたのである。
捜索を始めて2時間が経過した頃、なんの収穫も無い散歩に退屈し始めたノワは、そこで自分を尾行している人間がいる事を察知する。
「・・・偶然か?、無視してもいいけど、でも気配からしても、相手はプロっぽいな」
ノワは一時期、PKが活発なMMOで雑魚狩りをするPKプレイヤーを尾行して狩るというキリトムーヴをしていたからこそ、自分を尾行している男の気配が雑魚狩りを生業している人間の足取りだと察知出来た。
恐らく隠蔽スキルを使っているのだろう、気配は殆ど無く、男が漏らしたのはほんの僅かに映った地面に突き刺さった人斬りNPCの残骸である刀に反射した人影だけである。
しかし五感を研ぎ澄ませて気配察知モードを一瞬だけ発動させれば、指向した方向にのみ一瞬だけ気配を察知する事が可能であり、それでノワは尾行者を確認したのだ。
「このまま団長を追っていても埒が明かないし、ここは尾行者の掃除でもしておくか」
ノワはそう考えてキリヲを見失う事に構わずに、より閑静で暗晦な路地裏へと入っていく。
それで獲物をおびき寄せられるは賭けだが、キリヲの方に向かうのであれば、挟み撃ちにして追跡者を視認する事が可能と考えた為だ。
背後を狙われるキリヲには相応のリスクを背負わせる事になるが、しぶとさだけは間違いなくトップクラスの人間なので、死ぬ事は無いだろうとその信頼だけは確かだった。
そして路地裏の影に入り、自身の姿が完全に闇に紛れた所でノワは足音を残したまま振り返る。
ここでなら追跡者の姿を視認出来る、そう思ったのだが──────────
「・・・いない、か、じゃあ急いで団長を追わないとだな」
ノワは見失わない内にキリヲを追いかけようと駆け出した、その時──────────
「アサシンナイフスキル《ポイズンブレイク》」
「──────────っ!?」
路地裏の角から、狙い済まされたような一撃がノワを襲った。
不意打ちを食らったノワはその一撃をギリギリで反応して、なんとか致命傷だけは避けた。
しかし自身のステータスには状態異常が表示され、その一撃でノワは【毒】【麻痺】【機動力低下】などのデバフが付与されてしまう。
ノワに一撃を見舞った男は、獲物を追い詰めるように弱ったノワの前に立ち塞がり、そして呟いた。
「へぇ、今のに反応するなんて、流石はDDO最強プレイヤーの一角と言われるだけはあるさァ、反応速度は一級品のようだねェ、これは楽しめそうさァ」
男は仮面を付けていて顔を判別する要素は無いが、だが自分を二刀流のノワと知って付け狙っていたのだとしたら、それは自分の知る交友範囲の中の人間なのだとノワはそう思った。
ノワ自身も自分がキリトの物真似をしている事で有名人になっている自覚はあったが、それでも一階層の決闘では自身は活躍せずに敗退し、10階層の拳闘では連合軍のプレイヤーばかりであり剣の腕は披露していない、自身の剣技を披露する機会とは合同で参加したボス戦が主であり、その名声も、主に攻略組の中でまことしやかに噂されている程度のものだった。
故に、自身を知るという事はそれだけで攻略組の関係者であるとほぼ断定出来る、そんな追跡者の迂闊な発言だったが、しかしノワにとってそれは不幸中の幸いとは言えなかった。
「先ずは小手調べさァ、やァ!!」
「くっ」
ノワは背負っていた名刀である『天華』を抜刀し男の凶刃を受け止めるが、毒によりデバフを食らっているノワは重量の大きい天華を満足に振り回す事は出来ない。
そして最初に食らった一撃のダメージも大きく、いかにレベル10のノワと言えども、男の攻撃を完全に回避するにはコンディションが悪過ぎた、至高の反応速度を上回る男の卓越したナイフ捌きにより、ノワは手足に斬撃を受けて削り取られるようにHPをすり減らしていく。
ノワのステ振りは筋力偏重の超攻撃ビルドであり、天華が超重量である都合上、防具も最低限の性能しか無い。
それはノワの卓越した反応速度と戦闘技術があって成り立つ、敵の殲滅に特化したビルドであり、反面防御性能は脆弱であり、ノワは自身にかかったデバフの効果時間を満たすまで耐え切る事は出来ず、HP残りミリまで追い詰められてしまう。
「ああ、いいねェ、なかなか楽しめたよォ、でもここで終わりさァ、君はここでさよならさァ、心配しなくてもお仲間達も直ぐに天国に送ってあげるからねェ、先に行って待ってるさァ」
そう言って男は引導を渡すようにノワにナイフを振り下ろした。
──────────敗北。
ノワが自身の死に際に思った事は、自分が目の前の相手に完膚無きまで叩きのめされたという敗北感と、簡単に負けてしまった自身への失望だった。
(・・・やっぱり、私はキリト様にはなれないか、また負けた)
二刀流を使用してなかったからという言い訳も出来たが、だがアインクラッドの中でのキリトは一刀流でも無双していた、だからデスゲームであるDDOの中にいる自分が負けるのは言い訳に出来ない。
本気で命懸けで戦っていたならば、こんな所で呆気なく死ぬなんて有り得ない事だからだ。
だからノワは、結局自分は本気でやってるようで命懸けでは無かったのだと、自身の情熱が偽物だった事を自覚して、目の前に突きつけられた敗北、死という現実をすんなりと受け入れられてしまったのだ。
最期は潔く死のう、死の恐怖すら感じずに、ただ黙って男の一撃を待つ。
しかし男のナイフがノワに振るわれる事は無かった。
「────────ダガーナイフスキル、《心臓粉砕》!!」
見知った銀髪の少女が油断していた男の心臓を一突きする。
それは完全に急所を狙った攻撃であり、致命打になる一撃だったが。
「・・・へぇ、危ないねェ、今のは1回死ぬレベルの攻撃だったさァ、ふふ、お仲間のピンチに救援とは、随分仲良しさんなんだねェ、しかも僕の気配察知スキルを突破してくるなんて相当の手練のようだねェ」
「まさか即死技の《心臓粉砕》を耐えるとはね、【戦闘続行】スキルMAXか、もしくは身代わり人形でも仕込んでたのかな?、どちらにせよ、君はNPCでは無いみたいだね」
銀髪の中性的な印象を持つ少女───レインは、男が上手にナイフを持つのに対して下手にナイフを構えて、殺人鬼相手にまるで新しい玩具を与えられたような弾んだ声音でそう告げた。
本来ならばNPCでは無く人間相手に戦う事を喜ぶ人間なんていないだろう、だがレインがそんな態度を見せた事により男は警戒し、レインを自身の同族として見定めて、判断を冷静にさせたのだ。
「・・・今の一撃から判断するに、君もそうとうやってるね、ここで2対1で戦うのは分が悪いさァ、今日はここまでにさせてもらうよォ、次は一対一でやるさァ」
そう言って男は煙玉を放って去っていく。
レインは追いかけようとするが、暗闇の路地裏で鬼ごっこをしても徒労になるだろうと追いかけるのを断念した。
そして残されたノワの様子を確認し、放心しているノワに介錯の言葉をかけた。
「いつまでそうしているつもりだいノワリン、君は英雄でも無ければ最強でも無い、それは最初から分かっていた事だろう、それともまさか、死ぬのが怖かったなんて言うつもりじゃないだろうね」
遠慮も忖度も無い、現実を突きつけるようなレインのその言葉は、一層ノワの自意識を鮮明にして、ノワの中にある闇を浮き上がらせた。
ノワはそんなレインの皮肉に反発するでも無く、ただ呟くように、自身の心情を吐露した。
「・・・そう、だ、オレ、・・・いや、私・・・は、何も怖くなかった、英雄でも最強でも無い空っぽだったから、ここで全てを失う事になっても、何も・・・怖くなかった、・・・でも、そんな私って、必要、なのかな・・・、生きる意味って、あるの、かな・・・」
諦め、絶望、虚無。
何者でも無い私は、何者にもなれない私は、何もしたくないと、そう思ってしまったのだ。
もしキリト様なら、負けて悔しいと思うだろう、生きる事に最後までしがみつくだろう、でも私にはそんな執着なんて無い。
がらんどうな心は何も感じず、虚無と絶望は、勝利と敗北を無価値に、勝利どころか死という敗北にすら意味を与えてくれない。
死ぬ事に無関心な私の存在など、団長の言う通り、デスゲームに於いては最悪の地雷であり、団長からしたら最も遠ざけるべき人間だろう。
そう考えた時に私は、もうここで消えた方がいいと、そう気づいてしまったのだ。
そんないつになく弱気なノワの発言に対してもレインは、いつもと変わらない、人を食ったようなぞんざいな口調で答えた。
「生きる意味なんて自分で見つけるもんだろ、ノワリン、君は多分多くの事に対して勘違いしている、世界は醜いし、人間は生きる価値の無い醜い存在だ、でもそんな世界の中に、稀に自分が美しいと思える景色があって、自分が好意を抱く人間がいる、それだけの話なんだよ、だからノワリンが自分を無価値だとか生きる意味が無いだとか、そんな悩みを持っていても根本的に意味が無い話だ、なんでか分かるかい」
「自分の心構え次第、だから・・・?、でも、それって気休めの綺麗事なんじゃないの・・・?」
「いいや、違う、もっと根本的な話だよ、世の中っていうのは相対評価の世界だ、仮に世界に人間が二人しかいなければ、片方は賢者でありもう片方は必然的に愚者になる、それと同様に必要と不必要も本来は分別される存在なのだろう。
・・・でもね、この世界のルールは、もっと簡単だろう、生き残った奴が強くて、ギルドに入ってる奴は他人から必要とされている、つまりノワリンは強くて必要とされている人間だという相対的な価値を持っているんだよ、それを今更疑う必要があるのかい?」
ノワは修練場で実力を見せた時に多くの勧誘を受けていたし、拳闘で優勝するなどの実績も申し分無い、この時点でも、他のプレイヤーからすれば羨む程の価値を持っているという事だ。
しかしそんな客観は、主観でしか世界が見えないノワにとっては、全く響かない言葉だった。
現実としてノワは、今現在に於いても何も感じていないのだから。
「でも、そんなルールも、今持ってる〝必要〟も、現実に戻れば無くなってしまう幻想で嘘、嘘を積み重ねても虚しいだけ、虚無しか残らないなら、意味なんて、無いよ・・・」
ノワの原動力は、英雄になって何かを残す事、この世界で現実とは別の何者かになる事、だから思い出や他人からの評価など、最初から空っぽなノワの心を救うに値しないモノ。
───────普通ならば、ノワの心の闇に触れた人間は、それが手遅れでどうにもならないものだと、諦めるだろう。
植え付けられた卑屈を治すにも、PTSDを発症するようなトラウマを克服するにも、それは記憶の消去以上の治療法が存在しない程に、その寛解は難しいものだからだ。
だがレインはノワの卑屈の治療や矯正など考えずに、ただ道だけを示してやった。
「なら発想の逆転だよ、ノワリンにとっても、この世界を現実に変えてしまえばいい、貫き通した嘘は真実に変わる、聖書とか神話なんて100億%デタラメだけど、現実でも信じる人間がいる始末だろう、それと同様に世界に嘘をつき続けて、最後にこの世界が真実だと自分に嘘をつけばいい、それならきっとノワリンでもこの世界を現実だと信じられるだろう」
「この世界を、現実に・・・?」
「難しい事じゃないだろう、この世界にも五感はあるし、自己のアイデンティティを確立する為の他人だっているんだ、だったらたとえゲームみたいな世界でも、それを現実と受け入れる事は難しくない筈だよ」
「・・・でも、この世界にはいずれ終わりが来るし、そうなったら夢も終わり、そしたら・・・」
「じゃあその時に死ねばいいだけの話だろう、100階層で攻略の寸前に自爆するもよし、このゲームを終わらせない為に攻略組をPKしまくるもよし、引き際なんて幾らでも決められる、正直ボクはノワリンが何に悩んでるのか理解不能だよ、ノワリンのその悩みは、悩んでれば解決するものなのかい?」
「・・・・・、しない、と思う」
「じゃあ適当に、あれこれ考えずに気楽に生きればいいじゃない、解決しないなら、悩むだけ無駄だし、別に今が楽しくないって訳でも無いんだろう」
「それ、は・・・」
そう言ってレインは有無を言わさずにノワの手を引いてキリヲの所まで牽引した。
そしてノワは、そこでオウエモンと決死の死闘を繰り広げるキリヲを見た時に、無感動な筈の自身の心に、小さく揺れるものを確かに感じたのだ。
この2ヶ月間、ノワは14年の人生の中でも最高の充実感を感じていた。
皮肉屋の団長に皮肉屋のレインに天然のモモ。
三人のやり取りは見ているだけで自然と笑みが零れるし、そしてその輪の中に自分がいる事に対しても少なからず喜びを感じていた。
口下手でたまに毒舌な自分に対しても、団長は分け隔てなく接してくれて、戦闘では頼りにしてくれて、始めて友人を得たような錯覚を得る程に、人と親密に接した。
自分が演じている自分で無ければ、その喜びを素直に受け止めて、心を満たしてくれたかもしれない。
だが今の自分は何をしても〝二刀流のノワ〟あり、黒馬羽乃とは別人格の偽物なのだ。
〝二刀流のノワ〟には友達を作る資格も、恋人を作る資格も、誰かを愛する資格も無い。
だってこれは、〝英雄キリト〟という、ヒーローを演じる為の配役なのだから。
だからノワの得た感動や経験は全部舞台の上の虚構であり、虚仮でしかないと、そう断じてしまう。
・・・でももし、そんな嘘が本当になって、こんな自分を受け入れて貰ったならば、それはどれだけの幸せを私に与えてくれるだろう。
───────なんて、ノワはこの時に初めて二刀流のノワが、黒馬羽乃としての幸せを得られるかもしれないという可能性に、小さな可能性を感じたのだ。
その火種は小さくて、自覚出来ないような熱量だったが。
空っぽなノワの心は、その小さな火種を原動力にして、再び〝英雄〟としての道を進んでいくのである。




