22.虚無ニ濡レル黒イ羽
「お前は失敗作だ」
「こんな簡単な事も出来ないなんて、私の子じゃ無いわ」
「学校に来なければいいのに」
私が生まれてから浴びせられた罵声は、恐らく平均値を上回る悪意を含んでいただろう。
私は落ちこぼれで、周りと馴染めなくて、そしてひとりぼっちを生きていた。
親も、大人も、同級生も、誰も私の味方はおらず、絶え間ない孤独の中で、苦しみにもがくように、息を殺したように、私は操り人形のような人生を、ただ漠然と生きていた。
自分が世界で一番不幸だと言うつもりは無いが、自分が生きていても仕方ない人間だという自覚は幼い頃より根付いていたのだ。
きっかけは二つ。
一つ目は、優秀だった兄と比較されて、そして兄が事故で他界し、そこで初めて両親から向けられた期待に応えられなかった事。
塾で10番以内に入る、小学校のテストで毎回100点を取る、運動会で1番を取る、おそらく、兄であれば朝飯前と言った程度のノルマを逆に逆立ちしても達成できなかった不出来な私は、両親からの期待を裏切り、愛情を裏切り、そして唯一優しくしてくれた兄の優しさを裏切った。
兄が死んだのは、私が好きだった少女向けアニメのイベント、そこで巻き込まれた無差別殺人事件で泣き出して逃げ遅れた私を庇った為だ。
兄は勇敢だった、善人でも悪人でも無いけれど、最後の瞬間だけは私の為に、丸腰でナイフを持った犯人と戦ったのだ。
でも泣いていた私は、泣くだけだった私は、そんな兄の最後の勇姿すら、知らなかったのだ。
だから兄の命を背負う事になっても、その自覚が芽生える頃には私の環境はもうどうしようないくらいに壊れてしまっていた。
二つ目のきっかけはそう、私のたった一人の友人の存在だ。
彼女を友人と呼んでいいのか分からない、少なくともそう思っているのは自分だけだという自覚はあるし、そして私にとっては友人と言うより恩人という方が的確だ。
私は昔からよく、周りから疎まれる存在だった。
一人だけ家が豪邸で、そして周りと会話出来る話題が優秀だった兄の話しか無かったからだろう。
私は親のいいつけで皆が見ているバラエティやドラマを見れなかったし、学校が終わったあとは毎日別々の習い事をさせられて友達と遊ぶ暇さえ無かった。
だから友達と共有出来る話題を持たなかったし、人に好かれる振る舞いも知らなかった。
今思えば、それだけ周りから浮いている私なんて迫害されて当然だし、妬まれて嫌われても当然だった。
だから私は「お兄ちゃん」を持つ同士であり、そして「嫌われ者」の同士である彼女としか、打ち解ける事が出来なかったのだろう。
霧雨逢離叉、変人で、美人で、そして疑いようのない天才の少女。
リサちゃんは教科書を全て丸暗記していて、テストで100点以外を取った事がなくて、そして小学生にして数学オリンピックの代表になるような、なんで学校に通っているのか分からなくなるレベルの天才。
本人に聞いたら「少しでもお兄ちゃんと一緒にいたいから」と、天才には似合わないような可愛らしい答えだったが、そういう気持ちは同じ妹として少し分かる所があった。
でも周りはリサちゃんが海外の大学に飛び級する事を望んで除け者にし、そして、リサちゃんのお兄ちゃんは私の兄と違って優秀では無かったのだろう、周囲はお兄ちゃんの自慢をするリサちゃんの事を嘘つき呼ばわりして、そしてリサちゃんはその度に周りとケンカしていたのをよく覚えている。
そんなリサちゃんのお兄ちゃんの自慢話を聞く役が私になるのは、とても自然な事だったと思う。
私はリサちゃんがお兄ちゃんの自慢話をするのも嫌じゃなかったし、リサちゃんも私の兄の自慢話を聞いてくれた。
それだけのきっかけだったけど、私にとってはとても大切で、得がたい特別な関係だったと、今でも思っている。
そしてリサちゃんはいつでも私の味方になってくれて、病弱でドン臭かった私がいじめられているのをいつだって助けてくれるヒーローだった。
リサちゃんは私の上履きを隠した犯人を懲らしめてくれて、周りの大人はそんなリサちゃんを叱ったけど、リサちゃんは悪びれずに「人間のゴミを掃除しただけ」と答えて、私が無関係だと庇ってくれた。
だから例えリサちゃんがどんな罪を犯したとしても、私だけはリサちゃんの味方でいようと、その時に誓ったのだ。
でもある日、リサちゃんは突然自殺した。
自宅の窓から飛び降りての自殺、葬式は家族葬、私が知らされたのはたったそれだけの情報だったが、兄を喪くし、リサちゃんだけが唯一の心の支えとなっていた私の心はそこで完全に折れてしまった。
学校に行く気力が無くなり、登校せずに公園で時間を潰していた私は補導されて、心療内科に連れていかれて、いつしか不登校となった。
リサちゃんが死んで、周りからの「あいつも死ねばいいのに」という無言の圧力を感じるほど、私は追い詰められていた。
それだけ当時の私は、「死」の事ばかり考えて、眠れない夜に枕を濡らしていたのだ。
義務教育すらまともに受けない事がどれだけまずい事かは子供ながらに理解していたけれど、それでも学校に向けて踏み出す一歩の勇気が、どうしても持てなかったのだ。
泣いて、目と耳を塞いで、立ち竦んでいるだけの弱虫。
結局私は、ずっと〝私〟を生きていなかった。
だから自分一人では立てないし、何かに縋り、力を借りなくては立ち上がる事すら出来ない。
そんな私がアニメに、そしてネットゲームにハマるのは、とても必然的だったと思う。
SAOはオタクじゃない兄が唯一好きだった作品で、映画を一緒に見に行った思い出の作品だ。
そのSAOの主人公であるキリト様、彼は強くてかっこよくて、そして頭も良くて、兄とリサちゃんを足して割ったような、理想のヒーローだった。
最初からキリト様を演じていた訳では無い、ネットゲームを始めたのも最初は暇で暇で仕方なかったのとSAOのMMOタイトルに興味があったからというだけの理由だ。
そこでは二刀流を使っていたものの、今ほどキリト様になりきってはいなかった。
周りに置いていかれながらもマイペースに、地道に、レベリングを黙々とこなして少しずつ上の階層に進んでいくような、どこにでもいる初心者のソロプレイヤーだった。
でもレベルを上げてボス戦に参加したりすると、そこでは現実では得られなかった努力の報酬、人生の充実感のようなものを私は感じられた。
ネットゲームの中で私は人から必要とされる事、人から頼りにされる事、そして、他人のヒーローになるという体験を初めて知ったのだ。
その報酬に魅入られた私は、段々と上位プレイヤーになりたいという欲に囚われるようになった。
病弱でダメダメだった私だったけれど、ゲームの中ではそれなりの才能があったらしく、とあるアクション系MMOではトッププレイヤーとして名乗りを上げるほどにゲームの中での私は華々しかった。
でも、そんな私はある日、初めて作ったギルドの仲間から言われてしまったのだ。
「お前とゲームするの、息苦しいよ、ネトゲは遊びなんだからさ、ノルマとか上達とか、そこまで必要じゃないし、リアルの方が大事だろ」
メンバーのその言葉に悪気はなかっただろう。
むしろ、中学生の私を気遣っての言葉だったと思う。
でも、私は見てしまったのだ、掲示板のスレッドで、「廃人乙」「絶対ネカマニート」「本当に中学生だったら人生終わってる」と自分の悪口を書き込まれているのを。
その12歳には刺激が強過ぎる言葉を見て、そこで私は少しだけ正気に戻って、ネトゲを引退する決意をして、入学式から不登校だった中学校に通ってみる覚悟を決めた。
それまでに堆積していた義務教育をサボる罪悪感のようなものを、少しでも解消する為に。
学校に行くのは変わらずに億劫だったが、ネトゲの中でヒーローになりつつあった私は、ほんの少しだけ自信のようなものを持てるようになって、現実に抗おうとするだけの勇気が持てた。
そして私は入学式から3ヶ月たった中学に、まだ取り返せない差では無いと思って、人生を挽回する為に必死に勉強に励んだ。
・・・でも、そんな私を誰も褒めてくれなかった、だからどうしても、〝頑張る〟を続けるのがしんどかった。
「見苦しい」
「死ねばいいのに」
「三平方の定理も知らないとかウケる」
「全教科赤点ってマジ?」
そして悲惨な結果の期末テストの後にした三者面談で、私は母親から言われたのだ。
「もう学校に行かなくていいから、家で大人しくしてなさい」
私の頑張りなんて、誰からも必要とされてなくて、私の事も誰も必要としてない。
それに気付いた時、私はまた、逃げるようにネットゲームの世界にのめり込んだ。
〝自分〟を出すと周囲から疎まれる事に気付いた私は、そこで〝英雄キリト〟を演じる事によって、人から疎まれない立ち回りで、人から必要とされるだけの居心地のいい距離感の作り方を学んだ。
結局、私という人格はどこまでもソロにしかなれないという、そんな性質なのだろうと、色々なものに見切りがついたのだ。
そして数多のゲームで英雄キリトとして名を馳せて、自分が手に入れられる最高の名誉と栄光を手に入れた私だったが、心はずっと、絶望と虚無感に侵食されていた。
空っぽで、穴が空いていて、ボロボロの心。
私の心の形を形容したならばきっとそんな表現になるのだろう。
一生満たされない渇望を抱えながら、無心でレベリングや上達に勤しみ、大きな感動も無い勝利と栄光を闇雲に享受するような日々。
普通はゲームとは、感動という体験を重視するものだっただろう、でも私はネットゲームという大人相手に戦う世界の中で、勝つ事だけを優先し、常に攻略本を読んでプレイするような、そんなプレイスタイルしか出来なくなっていった。
それは上位プレイヤーの〝英雄〟でなければ得られないような、そんな賞賛と支持を得る為という、そんな無価値な自尊心を満たす為だけの目的だ。
私にはいつしかプロゲーマーとしての道が拓けていたが、私は10年先の自分の未来を想像する事が出来なかった。
何のために、何がしたくて生きているのか、分からなかった。
そんな私の元に一通のメールが送られてきた。
『DDOのテストプレイヤーのご案内について』
そんなメールがある日、私の前回プレイしていたネトゲのアカウントに送られていた。
それがDDO開発のゲーニック系列会社の強豪プレイヤーにそれぞれ送られたものなのか、はたまた別の意図があったのかは定かでは無いが、私はその参加報酬でゲーム機とソフトと金券が当たるという文言に飛びついて、DDOのβテスターになった。
そして手に入れた金券で、私は初めて母に、少し高級なハンカチをプレゼントした。
それは私にとっての初任給みたいなものだったから、迷惑をかけた母への感謝と、プロゲーマーとしてやっていくという決意表明のプレゼントだった。
そして母はプレゼントを受け取った後に私にこういった。
「なら成人する頃にはちゃんと家を出ていけるんでしょうね、いやよ、あんたみたいなのがいつまでも家にいるなんて、早いうちに見合いでもなんでもして、自立しなさいね」
母は礼を言わなかった。
そして母は私を、40過ぎのおじさんと見合いさせようとしていた事をそこで知らされた。
それで私は理解したのだ。
母が私を
愛していない事。
興味が無い事。
嫌っている事。
それも全部、本当は最初から分かっていた事だけど、言葉にしなければ傷つかなくて済むのならば、やはり嘘とはとてつもなく優しいものなのだろう。
そして正直な真実とはひたすらに残酷なのだ。
この世に〝私〟を必要としている人間なんて一人もいない。
だから私はもう生き場所なんて要らなかった、死に場所が欲しかった。
ずっと否定され続けた人生なのだから、今更他人からの肯定を求める気は無かったし、何をしていても心は虚無を感じていたのだから。
そしてこのデスゲームが始まった時に、私はここを死に場所にすると、そう決めたのだ。
どうせ現実に帰っても居場所が無い。
誰も私の存在を必要としていない。
だからここで〝英雄〟になって、キリト様みたいな私の生き様を残して、カッコよく死のうと、そう考えていたのだ。
私は私でない何者かへの転生を、ずっと、はるか昔から、望んでいた──────────




