10.幕間、人斬りの過去
男の魂は殺戮をする為に作られたものだった。
この世に、殺しを生業とする人間は多くいるだろう、生まれた時からそれを宿命づけられた人間もいくらかいるだろう、その上で殺しの才能に恵まれて、殺しの戦場に恵まれて、希代の英雄として祀り上げられる者いるだろう。
つまるところ殺戮とは罪では無い。
だってそうだろう、人類史に於ける英雄とは、もれなく戦果によって祀り上げられた、言葉を用いない蛮人なのだから。
必要な時に剣を持てない者には英雄の資格などない。
逆に剣を振るう事さえ出来るのであれば、それは誰であれ英雄になる資格があるという事なのだ。
つまりこの世の英雄とは、いかに強力な殺意の刃を振るえるか、その一点に価値が集約される。
例え奴隷の身分であっても、暴君の王を殺す刃を持っているのであればそれは英雄だ。
だから殺戮者の極みに至った者とは、それは等しく英雄と呼ばれる存在になるのだろう。
殺戮とは、罪では無い。
己の利益の為に身内を殺す行為が悪なのであって、敵を殺す行為は全て狩りや正義に置き換えられる。
だから仮に自分以外の全てを敵と定めるのであれば、その者にとっては殺戮とは正義であり、罪とはならないのだ。
だから男は殺した。
私欲で無く。
悪意でも無く。
その他の人の持つ願望や欲求とは全く関係の無い。
ただ、それを為すべしという天から与えられた使命感だけで、男は数多の殺戮を行ってきたのだ。
人を生かす人がいるならば、殺す人が存在する事もまた、自然の摂理だ。
だから殺す事でのみ得られる魂の安らぎ、そのたった一つの魂の衝動だけが男の原動力となったのだ。
しかし男はどれだけの殺戮を重ねても満たされる事は無かった。
理由は分かっている、それは足りないからだ、弱者の魂では、男の研ぎ澄まされた殺意を受け止めるのに足りないからだ。
故に男は、弱者を殺戮しつつも、真の強者とまみえる事を望んでいた。
己の全てを解放しても受け止める事の出来る好敵手、この歪んだ魂の鍛え上げた不世出の業を、余す事なく受け止めてくれる強敵を、求めていた。
殺戮の英雄はそれが運命と知りつつ、究極の破滅へと邁進していたのだ。
人は愚かだろう。
脆弱だろう。
無力だろう。
救う価値のない命だろう。
でもそんな人間を、不完全で無力な人間の形を、男は、心から愛していたのだ──────────
これは一人の殺人鬼の、あさましき愛の物語である。




