5.「善」の頂、ホワイトピーチ
事態が進展したのは俺たちがデスゲームに閉じこめられてから10日目の事だった。
所持金を全損したプレイヤーが続出し、そして彼らは餓死する事を恐れ、盗みや無銭飲食を行う事になったのである。
そう言った軽犯罪はNPCの警察である騎士によって取り締まられて、犯罪者は城の地下にある刑務所に閉じ込められる事になるが、そこでは一応、最低限の食事と寝床が提供されるようであり、所持金を失ったプレイヤーはこぞって犯罪に走るようになった。
たった一日で街の中は、グラセフの世界と見違えるような無法地帯に変化した訳である。
犯罪のペナルティはと言うと、所持品の没収と罪に応じた拘留であり、軽い窃盗なら1日で解放されて、前科が付くような事も無いそうだ。
まぁ、封鎖された城街に閉じ込められた挙句、食うに困っての窃盗なら仕方ないという話だろうか。
解放される時には見張りの騎士から金策になるクエストの情報なんかも貰えて、ノーリスクに犯罪出来る訳だし、罰が軽いのは一応の救済措置と言った所だろうか。
しかし、この治安が悪化したタイミングで恐ろしいイベントが発生した。
第二の殺人事件が起こったのである。
現場は繁華街の路地裏にて若い女性のNPCが刺殺されていた。
凶器は不明、女性は下着以外の身ぐるみを剥がされており、強盗目的の殺人が疑われている。
ここでプレイヤー達は、犯人探しがチュートリアルである確信を持ち、そして、完全犯罪ならNPCから略奪する事も可能という恐ろしい可能性に気づいてしまったのだ。
通常、NPCとは保護された存在であり、グラセフのような自由度の高い無法なゲームでも無ければ殺す事は出来ないものだ。
だが、このデスゲームが対等なゲームであるという事は、NPCを殺せるしNPCに殺されるという話である。
故に、その事件が起こった次の日から、NPCの殺害事件というのは飛躍的に多発したのだ。
これらの犯人は恐らく、悪人側のプレイヤーだろう。
これに対抗するべく、NPCの騎士、連合軍、その他のギルドが協力して、治安警備の為の見回りや、聞き込みを開始したが、手がかりは何一つ見つからず。
そしてそれに業を煮やした連合軍は全プレイヤーの持ち物検査を実施したのであった。
凶器に使われたのは全プレイヤーに支給された木剣の可能性が高い、鉄なら血糊を洗い落とせても木剣なら確実に使用の跡が残る、そういう目論見で連合軍は全プレイヤーに木剣の提示を要求したのであった。
しかし、木剣を既に売却済みのプレイヤーや、木剣も武器屋で買える事もあってか、この捜査も成果を上げることは無かった。
このようなさなかで必然的に犯人探しの為に“貧民用共同墓地”を見回る人間も増加し、俺は独占していたエリーゼのお使いクエストを人目をさけてクリアする事が出来なくなったのである。
仕方無しに俺は一旦“貧民用共同墓地”に通う事を辞め、しばらくは街の中の探索をして、何か金策出来ないかと探す事にしたのである。
すると、とある街の一角で以前と同じように人だかりが出来ていた。
カラオケで100点を取れば10万グランが貰えるという例の奴だが、無理ゲーだと判断されてか、お金が生死を分ける重要なリソースであり参加費で無駄遣い出来ない故に、挑戦する人間がいなくなったと思っていたから、その人だかりは不自然だった。
しかし聞こえてきた歌声を聞いて、俺はそれが必然的な現象だと直ぐに理解した。
観衆に見守られながら歌う少女の歌声は、音楽性を持たない俺すらも芸術性を感じるほどに澄み切っていて、洗練されていて、舌を巻くほどに達者な歌声だったからだ。
心地よい長音は、小細工や加工に頼ったビブラートなどのテクニックでは無く、圧倒的な声量と美声で奏でる楽器のような音色であり、その歌声は聴衆を惹き付けるような圧倒的な魅力では無く、慰め、鎮撫するような優しい声音だった。
まるで心まで浄化されるような天使の歌声を聞いて、この歌は確かに聖歌なのだと俺は思い知ったのだ。
100人ばかりの人間が物音1つ立てる事すら遠慮して聞き入る程に、少女の歌声は天上の、崇高なる芸術だった。
故に俺も、ただ立ち止まって無言で聴き入っていたのである。
そして、肝心の点数はと言うと─────
「──────────100点か、まぁ当然だな、こんなに綺麗な歌声で、歌い方も本家のまんまで100点じゃないなら、流石にそれは無理ゲーって話か」
観衆が拍手するのと同時に少女にはNPCから賞金10万グランが支払われた。
「素晴らしい歌声だったよ姉ちゃん、おっちゃん感動した、これは約束の報酬だ、受け取ってくれ」
それでこの催しは終わり方と思いきや、今度は観衆が1列になって少女の元に並ぶ、握手会かと思い俺も近くでひと目拝もうと最後尾に並んだのだが、そこで俺は目を疑う光景を目にする。
なんと少女は、自身の得た賞金を観衆に分け与えていた。
一人1000グラン、この街で一日の宿代と食費を賄う為に必要な最低金額である。
それを少女は、100人近い聴衆に配っていたのである。
「どうぞ」
「ありがとうございます!」
まるで握手会のように高サイクルで手際よく、少女は見ず知らずであろう見知らぬプレイヤー達に自身の得た報酬を分け与えていた。
アイドルの握手会のように自然な笑顔で、こちらに罪悪感など抱かせる余地もなく普通の事のように、彼女は手際よくお金配りをしているのである。
俺はそれに、本物の〝善〟を見た気がした。
悪人だらけのグラセフと化したこのデスゲームの中で、彼女の存在は確かにそんな悪に対抗しうる善になるのかもしれないと、俺はそんな可能性を垣間見たのである。
そんな事を考えながら並んでいると、俺の順番が回ってきた。
俺の所持金はエリーゼから巻き上げてまだ2万近くある、本来なら彼女から受け取る理由は無いが、金を持ってると思われても嫌なので、貰えるものは貰っていいだろう、そう思って乞食の列に参加した訳ではあるが。
「・・・あれ、ごめんなさい、所持金が無くなってしまいました、もうあげられません」
そう言って少女は、申し訳なさそうに頭を下げる。
その様はとても歪であり、一般的な人間性とは乖離した感性の行動だった。
「いや、待てよ、無くなったって、じゃあお前、有り金全部他の人間に渡したって事かよ」
「お、怒らないでください、本当に無くなったんです、ほら」
そう言って少女は自身の残高を俺に確認させた。
そこにははっきりと0と表示されている。
わざわざ俺に金を渡すのがいやで俺の前の人間に全財産振り込んだとかでも無ければ、こんな事にはならないだろう、つまり。
「本当に全財産を他人にあげたのか、なんで、普通は宿代と食事代くらい残すものだろうに」
「昨日は残ったんです、それで今日も昨日と同じくらいだから大丈夫だと思ったんですけど、思ったより人が増えてて」
「だからって普通、他人に全財産施したりなんかするか?、お前おかしいよ、俺たちは生きるか死ぬかのデスゲームしてるのに、なんでお前は自分が死ぬかもしれないのに全財産を他人にあげてるんだよ、こんなの、普通じゃないしまともな行動じゃないだろ」
「だ、だって、私のせいで死んじゃう人が居るかもしれないし、それに、私は歌う事くらいしか出来ないから、だからゲームをクリアする為には私なんかよりもっと強い人に生き残って貰わないといけないから・・・」
・・・・・・・確かに、それは善人側として当然の理屈なのかもしれない。
自分にゲームをクリアする能力が無いのなら、自分が金を持ってても仕方無いし、そして、それを他者に分け与えた方が、ゲームがクリアされる可能性自体は高まるが。
「でも、だからって、全部はやり過ぎだろ、お前、これからどうするんだよ」
「あー、えーと、確か窃盗とかなら監獄で食事と安全な寝床が貰えるんですよね、・・・いざとなれば、そうします」
ちなみに、少女が全財産使い果たしたのを知ってか、集まっていた他のプレイヤー達はそそくさと退散していた。
返金してくれと言われるのを恐れての自然な行動だろう。
世知辛い事だが、これがデスゲームの〝普通〟であり、流儀であるという話だ。
「でもお前が捕まったら、明日はカラオケ出来る奴いないし、そもそもカラオケの参加費だって1000グランかかる訳じゃん、そしたら今日助けた100人だって野垂れ死にするかもしれない。
・・・恐ろしい話だが、監獄だって有限のリソースなんだ、監獄が満員になれば、軽い窃盗で死罪を命じられるかもしれないし、再犯が何回まで許されてるかも定かでは無い、自活する手段があるのに、安易に犯罪に手を染めるのは自殺行為だよ」
「そう、ですよね、やっぱり、じゃあ私、どうしましょう・・・?」
ここまで言ってようやく自分がどれだけ愚かな事をしたのかの自覚が芽生えたらしい、少女は涙目になって俺に訊ねてきた。
そして俺も、こんな時限爆弾のような地雷臭がしつつ、しかし、利用価値もそれなりに高そうな少女をどうするべきか、同時に思い悩んでいたのである。
少女の長所は歌声、歌声がこれから何回、どれだけの頻度で役に立つかは分からないが、今の時点では10万グランの価値があり、仲良くしておけば得なのは間違いない。
だが少女の短所はとびきりの馬鹿であり、自分の命の保護の勘定すらまともに出来ない真の馬鹿だ。
正直、どこで死亡フラグが立つか分からないデスゲームにおいて、積極的に抱えていいお荷物では無い。
俺が物語の主人公ならば、チートを使って弱くて正直な善人をしこたま救うような展開でもいいが、デスゲームでそんな思考すること自体がそもそも間違いだ。
いいように利用する、この一点だけで考えても、自分の利益を第三者に分け与えてしまうような人間と親しくした所で自分に来る恩恵は少ない。
俺が物語の主人公ならば、美少女を無条件に救って感謝されてハーレム作ってもいいかもしれないが、俺にそんな気はさらさら無いし、そして少女は美少女と言えるか微妙な、何の個性も変哲もない標準アバターだった。
少しだけ頭を捻らせたものの、俺が少女を救う理由は見つからない。
とは言え、ここで冷たくあしらうのも、収入源を失った現状的には、あまり得策では無いか。
仕方無しに俺は少女にこう提案した。
「じゃあ一緒にクエスト探しでもするか?、デイリー系は軍団に独占されてるけど、隠しクエストなら二人で探して山分けした方が効率的だろ」
多分これが一番差し障りのない解答だろう。
別に今日1日を棒に振ったとて、俺が致命的に困る事は無いし、少女の利用価値を測る意味でももう少し観察が必要だ。
俺がそう言うと、少女は嬉しそうに頷いて見せた。
「いいんですか、ありがとうございます、実は私こういうの初めてで、詳しそうな人に色々教えて貰いたかったんです!、よろしくお願いします!あ、私の名前はモモって言います」
「モモって、そこはかとなく本名臭い名前だな・・・」
いかにも身内の愛称をそのまま付けたみたいなシンプルさであり、初心者、特に中高生感のあふれる名前だった。
「あ、本名です、本名は白子桃子と言います」
ペコりと頭を下げながらそう答える女に、俺は思わず
「はぁ!?」と漏らしながら言い放った。
「!?、馬鹿かお前!?、なんで見ず知らずの他人に本名ぶっぱしてんだよ、それで個人情報特定されて、ネットに晒されたりリア凸されたらどうするんだよ!?」
「え、あの、ダメなんですか・・・?、チックタックとかライヌもみんな本名でやってるし、ゲームもそういう物かと思ったんですが・・・」
チックタック、ライヌ、若者に人気のSNSだが、このネット情弱ぶりからして、もしかしたら未成年で同年代だったりするのだろうか。
「あのなぁ、基本的にネットは匿名でやるのが普通なの、本名なんて晒したら、嫌な奴から住所特定されて、うんこ送り付けられたり、鬼電されたり、PCハッキングしてクレカ情報抜かれたりとか、とにかく色々やばい犯罪に巻き込まれるから晒したらいけないの、こんなん、義務教育で習うレベルのネットリテラシーだろ」
「えーと、ごめんなさい、わたし、中高一貫の私立の女子校なんでそういうのあんまり知らなくて、スマホも今年買って貰ったばかりだし、ゲームも、友達に勧められて買ったこれが初めてで・・・」
「友達がいるのか、だったらその友達に助けて貰えよ、見ず知らずの他人なんてデスゲームで頼る物じゃないだろ」
「それが、その友達を探して毎日探索してたんですけど見つからなくて・・・、だから不安だったんです、お願いします、今日一日だけでいいので助けてくれませんか、そしたら明日はちゃんとお礼をしますので!」
もしその友達がまだログインしてなかったんだとしたら、幸運だが友達を巻き込んだ事をものすごく悔やんでいるだろうな。
てか、どんどんやぶ蛇に首を突っ込んでいる自覚はあるんだが、彼女が無害な為か、それともこの10日間で俺が寂しさを感じていたからか分からないが、そんな彼女の態度に、俺も自然と絆されていったのだ。
「・・・いいよ、今日だけな、俺の名前はキリヲ、本名は秘密だ、あと本名は隠しとけよ、じゃないとデスゲームが終わって無事に生還出来ても、リア凸で襲われて不幸な目に遭う可能性がある、なんせこのゲームは、殺人鬼が混じってるデスゲームなんだからな」
「デスゲーム、よく分からないんですけど、善人と悪人とか、殺人鬼とか、そういうのってゲームの中の設定で、本物の悪人なんていないですよね?、だって悪人だったら、ゲームなんてやってない筈ですし・・・、というかゲームで死んだら死ぬっていうのもただのドッキリとかだったりしませんか・・・?」
「はぁ!?」
確かにデスゲームはとても信じ難い設定だし、それが自分の身に降りかかった不幸であり現実であると認識出来ないのはまだ分かるが。
悪人ならゲームをやっていないというのは理解が出来ない話だ。
「なんで悪人ならゲームなんてやってないって話になるんだよ」
俺は少し尖った口調で聞き返すと、モモは当たり前のように答えた。
「だってゲームって友達と遊ぶものですよね?、悪人だったら友達とかいないし、ゲームとかも遊ばないんじゃないですか?」
「・・・・・・」
なんだこの世間知らず、もしかして中身小学生とか、女子校だから箱入りで一般常識が欠落してるとか、そういう事なのだろうか。
いや、でも、そんくらい世間知らずでも無ければ、有り金を人に配るみたいな愚かな事をする訳も無いか。
俺は「悪人でもゲームはするし友達もいる」と、彼女の間違いを指摘するか少しだけ悩んでから。
「まぁ、そうかもな、でも本当に死んじゃうかもしれないし、それで命を粗末にして死んだら報われないよな」
とだけ答えて、これ以上のやぶ蛇に手を突っ込む事を放棄した。
多分、世間知らずを指摘したら、今度はその責任を取って世間を教える必要性が生じる。
流石に、そこまで世話を焼いてやる程、俺は自分がお節介で有能だと過信していないし、このデスゲームを舐めていないという話だ。
だから本当は、ゲーム理論的には、俺はこいつと関わるべきじゃなかったのだろう。
それなのに手を差し伸べてしまったのは、どうしようも無い俺の落ち度だったのだと思う。
朝の分はここまでです