プロローグ「儚く散って、希望」
三年前、ある科学者が言った。
「十年後、月の半分ほどの大きさの小惑星が地球に衝突します。もう防ぐ術はありません。地球はあと十年で滅びます。」
そのあとにこう付け加えた。
「愚かな政治家風情の私利私欲のために隠し続けられたこの事実に、どうか絶望せず、希望とせんことを。人類は偉大なり……」
科学者は命を絶った。その死は世界を動かした。
金儲けのために事実を隠匿していた超大国はそれを認め、富の全てを使うと誓った。事態打開のために。
科学者を多く抱える大国は世界へ科学者を派遣した。亡き偉大なる科学者の想いに応えるため、先人が残した科学を未来へと繋ぐために。
技術と工業を誇る国は歴史と誇りにかけて何でも作ると宣言した。焦土と化しても僅か二十年で摩天楼を築き上げた国のその力を世界の希望とするために。
戦争を愛した独裁者たちは武器を降ろさなかった。敵ではなく空へ向けた。隕石を滅ぼすために。
信ずる神が違うが故に争い続けた者たちは手を取り合った。神はこういう時に護ってくれないと悟ったがために。
言語、宗教、思想、人種を超えた人類は逞しかった。
街が簡単に消し飛ぶ兵器で隕石は滅ばなかった。しかし衝突の速度を遅めた。たった一年だったが人類にとってそれは大きな光となった。独裁者だった者は兵器を使い果たしたが、虎の子の科学者を世界へと託した。
これを受けて科学者は最適な手段を見出した。火星への移住――。つい数年前まではSFの世界でしか語られなかったそれが最適だと結論付けた。不可能を覆すために寝る間を惜しんで最適解を導き出し、技術者へ託した。
技術者は火星まで二年で辿り着く移住船と酸素のない火星に酸素を作り、維持する装置を作り上げた。移住船は一隻につき八百万の人と酸素装置や食料などの物資を乗せ、三日に一回のペースで地球を飛び立ち、火星全土に酸素が供給される二十億人目以降は物資に割いていた枠に余裕ができることから、以降は一度に一千万人を乗せて隕石衝突までに全員脱出する計画となった。世界中から技術者が集まり向こう二か月先までの船の建造は発射場である洋上での最終組み立てを待つのみである。
それらを作る資金と材料、組み立て待ちの部品の保管、広大な島一つに匹敵する船を飛ばすための洋上発射場の用意を超大国は惜しまなかった。
宗教家は諦めかけていた人類に教えを説いた。試練を乗り越えることで幸福は手に入り、希望は神と等しく尊いと。
これらは終末時計の針が動き始めてたった三年間での出来事だった。
地球滅亡まであとちょうど八年とされるその日、人類は空を見上げた。青空に眼差しを向ける者、月夜に眼差しを向ける者、沈まぬ太陽に眼差しを向ける者、曇り空に眼差しを向ける者。およそ九十億の人類は空を見た。
「まもなく第一号船『きぼう』が地球を飛び立ちます」
それは各々の持つテレビ、ラジオ、或いはスマートフォンから流れているだけでなく街のスピーカーからも執拗い程に流れていた。
青空輝く東京の裏側でも同様であった。眠らぬ街ニューヨークの人々は摩天楼のその先を見ていた。
「The emigration ship “Hope” will soon leave the earth」
華やかな音楽を鳴らし続けていたニューヨークのそれらは今は昔。東京のそれらと役割は同じだった。
国境を巡って、宗派を巡って争っていた人々もすっかり銃を降ろし、ミサイルの飛ばない空を見ていた。護ってくれないと悟りながらも見放すことも蔑むこともできぬ愛する神へ祈りながら。
――――希望は飛び立つ。
「発進まで」
「三、二、一……」
人々の「希望」を乗せた船は人類が見守る空へと飛んだ。その船は見上げる者達へと別れを告げるかのように、もう二度と見ることの無い青い星に別れを告げるかのように、空を一周した。
九十億の人類が見上げたその先、東京上空にもその船はやって来た。それはそれまで灼熱を与えていた太陽すらも遮る大きな船だった。人々は歓声を上げた。届かぬ声を船に届けた。まさに「希望」。世界が託したそれを背負った船は東京を、ニューヨークを、世界を飛んだ。そしてその船は遠く遠く遠く――――。
「『きぼう』が月を通過した後、爆発、空中分解を起こしました」
人々が抱いた「希望」は儚かった。
「搭乗員全員、生存は絶望的です」
それでも人々は諦めなかった。儚く散った同胞の想いを胸に再び世界中の科学者が、技術者が、政治家が、軍人が集まった。「希望」に二度目があると信じたがために。
「爆発の衝撃で月を支えていた地球との重力関係に何らかの問題が発生したとみられ――」
諦めなかった。人類は信じていた。
「一年後の今日、十一月九日、月と『きぼう』残骸の衝突により――」
諦めた。人類は信じることを忘れた。
「地球は滅びます」
終末時計はたった数時間のうちに四倍速で進んだ。仮初の平和は絶望という力によって音もなく消え、人類はその歴史の中で最も醜い姿となり果てた。
ある者は残り一年を己が快楽のために生きると誓い人々を襲った。
ある者は残り一年ならば何をしても自由だと人々を殺した。
ある者は――
「はぁ!? 十連ガチャ五十連回してSSR二枚だけとかふざけんじゃねーよ! 石返せ!」
――貯めに貯めた石で大爆死してベッドの上で暴れていた。




