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娼館オズマ  作者: 烏なんこつ
第二部
40/40

追憶の話

 いよいよ明日は待ちに待ったハレの日。

 サマンサとアリンが引退する日だ。

 

 だからと言って店構えが変わるわけじゃない。

 内装こそ煌びやかになって、明日を控えて店の娘たちもどこかソワソワしているが、娼館自体は通常営業である。



「本日もようこそおいでくださいやした」


 開店時間となる夕方。客を出迎えて丁寧に頭を下げる俺。


 分かっちゃいたけれど今日の客足は鈍い。

 明日の振る舞い酒にありつきたいケチな連中は、わざわざ前日に散財したりしないからな。

 本日の客の大半は、最後にゆっくりとアリンとサマンサの姿を目に焼き付けようとする古い馴染みばかりだ。

 

 食堂で着飾ったサマンサとアリンに酌をしてもらい、ちょいと手を握るくらいなら、まあ許そう。

 胸元や太腿へ伸びてくる手をぴしゃりと叩き「旦那、それ以上は駄目ですよ」とにっこり諭すサマンサたちの所作も堂に入っている。

 叱られてバツの悪そうな顔をした客は、しぶしぶと別の娼婦を指名して二階へと上がっていくって寸法だ。

 

 しかしサマンサとアリン、あいつらがいるのは明日までか。

 そうと思うと、ちょっと感慨深いものがあるな……。


 柄にもなくしんみりとしていると、ポロロンと誰かがリュートを爪弾く音がする。

 うっとりするような音色に耳を傾けているうちに、椅子にもたれたまま少しばかり微睡んでいたらしい。

 

 急に食堂の入口あたりが騒がしくなって目が覚めた。

 視線を巡らせれば、光の反射で目がくらむ。

 ガチャガチャと重い足音が響かせ食堂へと踏み込んできたのは、磨き上げられたプレートアーマーを纏った一人の騎士だ。


 バケツのような形の兜を被っていて、顔は見えない。

 完全武装の甲冑姿の騎士は、腰に佩いていた剣を鞘ごと抜き、身体の正面で床に突き立てる。

 ガン! と鈍い音とともに、騎士の背中の白銀のマントがふわりと浮かぶ。

 

「私は聖堂騎士(パラディン)パラノ・フランチカである!」






 



 居丈高に胸を反らす騎士を前に、俺はいつの間にか隣に来た黒衣の野郎へと囁きかけた。


「……聖堂騎士サマときたか。俺ァ初めてお目にかかるが、サイベージ、おめえは見たことはあるかい?」

 

「いいえ、あたしもお初ですね。なんでも騎士さまとしての実力と司祭さまの徳を合わせもった聖堂教会の精鋭中の精鋭と伺っていますが」


「ああ、そう言えば、確か普段はアルメニア聖堂教会の総本山に籠って、その地の守護を専らにされているとか聞いたことがあるぜ」


「宗教都市『グランデイル』ですね。あたしも一度行ったことはありますけど、山間に開かれた、なかなか風光明媚なところですよ」


「なんだおめえ。だったらグランデイルで実際に聖堂騎士を見てるんじゃねえか」


「いえ、こちらの街では初めてって意味でして」


 サイベージがヌケヌケと答える。


「ともあれそんな希少な騎士サマが、色街ヒエロに、しかも俺の店に来たことをどう読み解いたもんだか」


「ちょいと娼婦さんたちを抱きに来た雰囲気じゃないですね。道徳を説きに来られたにしても剣呑だ」


「ってことは、コイツはちっとばっか尋常じゃないってことだな?」


「間違いなく」


 頷くサイベージを横目に、俺は大きく息を吸い込んだ。

 そして、力いっぱい叫ぶ。


 










「総員、退避----ッッ!!」

 

  














 俺の号令一過、泡を喰ったように娼婦たちはスカートの裾を持って一目散に駆けだした。

 給仕娘たちも蜘蛛の子を散らすように一斉に居なくなる。

 

 みんなして食堂から逃げ出したあとは、残っているのはわずかな客。

 それと俺を含めた店側の男衆に例の騎士だけ。


 この展開に、騎士も少しだけ呆気にとらているように思う。

 しかし間もなくカシャンと金属の擦れる音。

 騎士が 被っていた兜の留め金を外しているのだ。


「………何やら漫才をしていたかと思っていれば、相変わらず小賢しいのかカンが良いのか」


 呟きとともに、大きな兜が外された。

 逆さまのバケツのような兜は、重そうに床に転がった。

 全身鎧の首から上が露わとなる。

 そこにあるのは、精悍と呼ぶには険のある痩せた男の顔だ。

 角ばった頬骨に、肌も唇も妙に青白い。

 なのに、細い目の奥の瞳は異様にギラギラと強い精気を放っている。

 

 俺にとって初めて見る顔だ。なのにいきなりそんな睨まれても……。 


「久しぶりだな、尾妻連太郎」


「へ?」


「どうした、わたしの顔を見忘れたか?」


 せせら笑う男の顔をじっと見つめる。


「ひょっとして……おめえ、アシュレイか!?」


 二年ほど前に、大陸の列強の一つであるドライゼン王国の辺境都市で俺が関わった事件は、忘れたくても忘れられない。

 その辺境都市カナルタインを統治していたコーウェン伯爵には、忠実な側近として仕えていた若い騎士がいた。

 それこそがアシュレイだ。


 あの頃に比べて面相はが余りにも変わり過ぎていた。しかし、よく見れば面影はあるし、声には確かに聞き覚えがあった。


 俺を冤罪に陥れ、公開処刑しようと画策したコーウェン伯爵は、ドライゼン王国の王子であるアルディーン殿下によって処断されている。

 土壇場で処刑台から舞い戻った俺に、伯爵の敵討ちとばかりに鬼の形相で斬りかかってきたアシュレイ。

 だがその逆恨みも未発に終わり、ふん縛られたアシュレイの身柄は、ドライゼン側に引き渡されていた。

 主犯であるコーウェンの腹心ということで連座制で処刑、良くて一生獄中暮らし。どう転んでも、二度と娑婆の空気は吸えないだろうな。

 そんな風に、多少同情しないでもない俺だったが。


「まさか、アルディーン殿下がおまえに恩情をかけてくれたのかよ?」


「ふん。アルディーン。アルディーンか。誰も彼も麒麟児だなんだと持て囃しおって。しょせん伯爵様の大望を理解でなかった凡愚の儒子にしか過ぎんのになッ!」


 殿下に対する不敬極まりない物言い。そして、主人であったコーウェン伯爵への尊敬の念は変わらず。

 こいつは、伯爵の情報と引き換えに罪一等の減免とかって線はないな。

 ならば、よもや脱獄でもしてきたのか。


 なんにせよ、しっかりしてくれよドライゼン王国。

 元からヤバかったヤツが、ヤバさに磨きをかけて俺んところまで押し掛けてきたぞ。


 胸中で嘆く俺を前に、アシュレイは不敵に笑った。


「不当な境遇にあったわたしに手を貸してくれたモノがいてな。おかげでわたしは自由な翼を手に入れることが出来たのだ」


「何をもって不当かなんてサラサラ知らねねが、そいつは聖堂教会ってことか? だから聖堂騎士に鞍替えでもしたってか?」


 ややうんざりとした俺の質問に、アシュレイは答えない。

 替わりとばかりに、全身鎧の背面部が吹き飛んだ。


「!?」


 アシュレイの背中から、巨大な黒い影のようなものが飛び出してきて目を見張る。

 それは、本来、人が持つに非ざる巨大な黒い翼だ。


「聖堂教会だと? 具にもつかぬ神などを崇める狂人の集団ではないか!

 わたしにわたしを救ってくれるモノだけを信じる。

 わたしの目的を果たすために合力してくれるのであれば、わたしの全て委ね、捧げよう! 

 だから寄越せ! 我が希望を果たせるだけの力を寄越せ! 」


 クワッとアシュレイは天を向いて目を見開く。絶叫とともに漆黒の翼がビリビリと振動し、食堂の空気を揺らす。


「尾妻連太郎、貴様を殺す。そのためだけにわたしはこの場へ至ったのだ―――!!」


 異形と化したアシュレイはぐるりと周囲を見回す。

 神の御使いである天使と違って、こんな禍々しい翼を持つ存在は悪魔以外にあり得ない。


「だが、おまえを殺す前に、おまえの全てを奪ってやる! わたしと同じように全てを奪いつくしてやる!   貴様の身内も! ここから逃げた小娘たちも! 一人残らず探し出しておまえの前に並べてくれるわ!

 そして、おまえがやめてくれと哀願する様を眺めながら、ゆっくりと一人ずつ縊り殺して磨り潰してやろう……!!」


 凄惨な笑いとともに叩きつけてくる殺気に、背筋が粟立つ。

 

「おめえさん、本当(マブ)で悪魔と取り引きをしたのか……」


 だが俺は、むしろ憐れみを込めて呟いている。

 

「くくく、悪魔の方も貴様は殺すべきと賛同してくれたぞ? 貴様の力は初代魔王と同様で危険すぎるとなッ!」


 嬉しそうに悪魔との取引を肯定するアシュレイ。

 悪魔本体も俺を殺すために野郎に力を貸したってのも肝要だが、俺の力が初代魔王と同様ってどういうことだ?

 とても無視できない、ヤバい情報だ。だからといって大っぴらに尋ねることは出来ない。

 触れた対象の命を問答無用で奪う俺の手の力のことは秘中の秘だからな。

 

「どうにも、不倶戴天の敵というやつになっちまったんだな、おめえさんはよ」


「ふん。一目見たその瞬間から、貴様は気に食わんヤツだと思っていた。我々に仇名す害虫に違いない、すぐに殺しましょうと進言したのに伯爵さまは……」


 背中の翼をまるで大鷲のようにはためかせ、アシュレイは口惜しそうに俺を睨んでいる。


「殺しておくべきだ! 駆除しておくべきだったのだ! なのに伯爵さまは! あれほどわたしが進言したのに伯爵さまは!

 ……伯爵さま!? 伯爵さまはいずこへ行かれた!?

 アシュレイが今、あなた様の仇を討とうとしておりますぞ!ここに尾妻連太郎なるウジ虫のハラワタを掻っ捌いて晒して見せましょう! ご照覧あれ伯爵さま!」


 狂ったように伯爵を連呼するアシュレイの上半身を、巨大な翼が包む。

 果たして翼は球体状にアシュレイの上半身を覆い尽くした。

 そしてそれは、まるで風船のようにどんどん膨らんで行く。

 

 おいおい、なんだかヤバくないか、ヤバいんじゃないかあれは!?

 

 とてつもない焦燥感に、背中を滝のように冷や汗が流れていく。

 だからといってなす術もなく、まさに翼が破裂するかと思われたその瞬間―――。


 食堂に、ぽろろんとリュートの旋律が流れた。

 直後、まるで落雷のような強烈な閃光と衝撃がアシュレイを直撃。

 その威力たるや、冗談抜きで店全体がビリビリと震えている。食堂の床板は反り返り、テーブルも椅子も四方八方に吹き飛ぶ。


 閃光で漂白された世界が輪郭を取り戻す。

 衝撃の中心にいたアシュレイは、その場に片膝を付いている。

 ぷすぷすと黒い煙をあげながら、ヤツの上半身を覆っていた翼がほどけていく。


「き、貴様……!?」


 顔を上げるアシュレイに、吹抜けの二階ではリュートを片手に持った客の一人が不思議そうに首を捻っていた。


「ボクのこの一撃に耐えるとは、なかなかやるねぇキミ」


 人を喰った物言いに、さらりと流れた長髪の隙間から先の尖った耳が覗く。

 彼こそが、十人中十人の女が絶賛するであろう美貌を持つハーフエルフの冒険者スワルニキ。

 女と見紛うが如き柳腰という流麗な見た目に反し、きっと世界で二番目くらいの地獄の歌声を持つ彼だが、ここいらの冒険者の中では文句なしの最上級だ。

 さきほどの魂消るような一撃も、精霊魔法による最上位攻撃術だと言われれば、なるほどと納得するしかない。


「ちょいと良いかの?」


 荒れ果てた食堂へ、禿頭に白髭をたっぷり蓄えた好々爺と思わしき人物がやってきた。


「司祭さま! ここに来たら危ないですぜ!」


 俺が思わず注意してしまったこの人こそ、ここヒエロの街にあるアルメニア聖堂教会の最高責任者ベルランド司祭である。

 神聖魔法や回復魔法に熟達した司祭さまであるから、万が一の怪我人が出た場合、その手当をしてもらうつもりで別室に控えて貰っていたのだが。


「なに、少々聞き捨てならない名前が聞こえてきたものでの」


 司祭は臆することなくアシュレイを見据えると、


「おまえさん、パラノ・フランチカと名乗りおったが、どこでその名を知った?」


 この食堂へ踏み込んだ当初、アシュレイはそう名乗りを上げていた。

 仮に、その名を持つ聖堂騎士が実在したとすればどうだ?

 実在の人物とすり替わったのか。すり替わったとすれば本物はどうなったのか。

 なるほど、同じアルメニア聖堂教会に属する司祭さまにとって無碍に出来る話ではない。


 司祭の問いに、一瞬アシュレイは虚を突かれたように思う。

 だが、即座に吐き捨てるように答えた。


「さあな。戯れや気紛れに理由はいるのか?」


「……なるほどのう」


 こちらはこちらで納得した風に声をあげるベルランド司祭がいる。

 傍から見ている俺にはちんぷんかんぷんってやつだが、次の司祭の台詞には勇気百倍だった。


「こやつはパラノ・フランチカではない。同時に、聖堂教会とは一切関りがないことを、我がベルランドの名と司祭の階位において誓おう」


 この場での俺の唯一の懸念材料。

 俺に対する復讐が目的と公言したアシュレイだったが、万が一でも裏で聖堂教会が関係している可能性も捨てきれなかった。もしそうなら厄介極まりないことになる。

 そこに来てこのベルランド司祭の宣言は、まさに俺にとっての錦の御旗だ。


「そういうわけだ。遠慮なくやっちまえサイベージ!」


「いやいやいや! そこは旦那自ら行くべきでは?」


「俺がおめえに手八丁で勝てるわけねえだろうが!」


 睨みつけると、「分かってます冗談ですよ、冗談」とサイベージは足元の床を蹴る。

 床板が跳ね上がり、予め床下のスペースに隠しておいた武器の数々が現れた。

 その中から戦棍を担ぎ出す。

 太い柄の先端に、トゲトゲの突きだした鉄の塊が付いている物騒なシロモノだ。


「行きますよ……ふんッ!」


 そいつを両手で持つが早いが、サイベージの身体が霞む。

 猛スピードで踏み出すと同時に、思い切り身体を旋回。

 ぐるりと一回転させた戦棍の先端は、遠心力も加わり、鎧越しでも骨が砕ける破壊力。

 固い金属同士がぶつかる鈍い音が響く。


「!?」


 驚くべきごとに、アシュレイはその一撃を、自らの剣と篭手を交差させ受け止めていた。

 それだけではない。次の瞬間には、前に踏み出して剣を振るってくる。

 強烈な斬撃が空を切った。

 サイベージが咄嗟に武器を放り出して後方へ飛んで退避したのは、本当にギリギリのタイミングだ。


「少しばかり尋常じゃないですね……」


 黒衣の、いつも余裕たっぷりの野郎の頬を汗が伝っていた。

 俺だってあんぐりと口を開けるしかない。

 躱すのならまだしも、あの一撃をまともに受け止めて平然としているのはどうかしている。

 少なくとも相当の衝撃は中まで通ったわけで、軽くても骨折していなければおかしい。

 なのに即座に反撃に転じてこれるなんて、体力云々で説明がつく事態ではなかった。

 

「さすがにサイベージ殿でも危うい。相手は魔に魅入られてし者ぞ」


 ベルランド司祭が唸るように呟く。


 確か魔族は他の種族より魔力の保有量が大きいと聞く。

 己の身に宿る魔力で肉体を活性化させ、只人の数倍の膂力と強靭さを誇っている。

 つまり魔族ってのは、産まれながらのフィジカルエリートってやつだ。

 その力を十全にアシュレイに貸し与えているとするなら、野郎の挙動も納得がいく。


「加えて、普通の武器ではいささか……」

 

 溢れんばかりの魔力は、そのまま物理的なバリアにもなるとか。

 さすがに心配そうな司祭に、俺は食堂の二階を振り仰ぐ。

 そこで観戦していたハーフエルフへと声を放った。


「すいません、スワルニキさん! さっきみたいなのをもういっちょお願いします!」


 魔力の防御に対して物理攻撃は通りにくく、同じく魔力を帯びた武具、もしくは魔法が有効だとされている。


「あいにくと、ボクのはさっきので弾切れだよ。まあ、女の子たちへのぶんは残しているがね」


 秀麗な顔に似合わぬシモい台詞を口にするスワルニキ。


「申し訳ないが、ボクの役割はここまで。あとは隣室で女の子たちを宥めるくらいが精々だよ」


 例の歌を披露してうちの娘たちを宥めるつもりですかい? そいつはとんだ二重災害だ。

 なんて本音はおくびにも出さず、俺は頷いてみせる。

 さきほどアシュレイの出鼻を挫いてもらっただけでも御の字というやつだ。


 しかし、どうしたものか。

 ここに来ての手詰まり感に、さすがに俺も焦りかけたその時。

 食堂のドアを大きく開け放たれ、一人の男が駆け込んできた。


「すみません、遅れてしまいました!」


 開口一番、俺に向けて謝罪してくる青年に、

   

「いや、むしろ最高のタイミングってやつですよ、アレスさん」


 俺は彼の名はを呼ぶ。

 先代の魔王を討った勇者の名を。 

 

「そうですか。間に合いましたか」


 ホッとしたように僅かに微笑むアレスだったが、対峙するアシュレイとサイベージの緊迫した様子に、一瞬で状況を把握したらしい。たちまち顔に緊張が漲っている。


「相手は魔族のようですね。ならば、剣を振るうに是非もありません」


 勇者が静かに腰に佩いている剣を引き抜く。

 青白い刀身が、神秘的な淡い光を放つ。

 魔王を討った愛刀は、文字通りの聖剣だ。


 一方でアシュレイは大きく目を剥いていた。


「貴様……わたしが来ることを知って備えていたのか!?」


 野郎が怒声を上げるのも理解できる。

 出会いがしらにスワルニキの問答無用の大砲みたいな一撃を喰らい。

 救護役としてアルメニア聖堂教会のべルランド司祭が待機していて。

 サイベージは事前に幾つもの武器を準備していた。

 トドメとばかりに最後にやってきたのは、かの勇者アレスである。

 こんなの、俺が一方的に待ち構えていたと思われても仕方ないわな。


「いいや、全然?」


 正直に俺は答える。

 

 真実、俺は、今日、アシュレイがやってくるなんて全く知らなかった。

 ただ、何が起きても大丈夫なようには備えていただけ。

 自分の中でも最高の手札を用意してな。

 

 

「くッ! ほざけ!」


 アシュレイの剣の一撃。

 サイベージですら躱すのが精一杯の鋭い斬撃は、見事にアレスの剣によって弾かれる。


「オズマさん、下がっていてください!」


「ええ。すみませんがよろしく頼みます……!」


 勇者の邪魔をしちゃ申し訳ない。

 そそくさと引き下がった俺だったが、実際のアレスの戦いっぷりは見たことはなかった。

 いや、俺だけじゃなく、きっとこの場に居合わせた誰もが見たことはないはずだ。

 

 数年前の魔王戦役にて。

 魔族の支配する北の大陸の最奥で、血みどろの激戦と多くの犠牲の果てに。

 最後は魔王をタイマンで討ち果たしたと称えられる当代の勇者アレスは、さて、一体どんな剣技を見せてくれるものか。


「―――おらあ、正直、勇者様ってもんを舐めてたわ……」


「ええ。あたしもまったく同感です……」


 でかいテーブルをひっくり返した物陰で、俺たちはビクビクしながらアレスの戦いっぷりを見守っていた。

 

 打ち合う剣から火花はともかく、なんかカマイタチみたいな剣風まで起きて店の壁や天井まで切り刻んでいる。 

 まるで漫画や映画染みた冗談みたいな光景だが、フィクションではなく紛れもない現実だ。迂闊に顔を出せば、飛んできた小さな破片で頬が切れて血が流れる。


「いや、あれは勇者殿の本気ではないな」


 この人間離れした戦いを前に、ベルランド司祭がのんびりと言う。


「おそらく、あのアシュレイというものも、悪魔に憑かれたとはいえまだ人の身よ。さすがの勇者殿も、人の身と看破した以上、斬るにはいささか躊躇いがあると見える」


 勇者殿も優しいことよホッホッホ、とまるで茶飲み話でもするような雰囲気で笑うベルランド司祭に、俺もサイベージも絶句するしかない。

 

「……となると、ひょっとしてアイツに憑いている悪魔の本体って、あの背中のことなんですかね?」


 気を取り直して訊る俺に、白髭をしごきながらベルランド司祭は頷く。


「おそらく、あれこそが【翼の悪魔】じゃろう。希望という翼を与え羽ばたかせ、最後は絶望の荒野へ墜落させる存在と聞く」


 悪魔にも二つ名があるのか。ひょっとして教会には悪魔図鑑とかでもあるのか?

 いやいや、そんなことはこの際どうでもよろしい。

 要は、アシュレイの背中に寄生虫よろしく引っ付いてる翼、あれが悪魔本体ってこと。

 あれを引っぺがすかどうかすれば、きっとアシュレイは力を失うはず。

 もちろんアレスもそのことには気づいているだろう。

 しかし、悪魔が操るアシュレイも全力で背中への攻撃を阻止しているって寸法か。


「よっしゃ、サイベージ。おまえ今からアレスさんを援護して来いや」


「冗談でしょ!?」


 アレスとアシュレイの戦闘は更に激化。激しい剣の応酬は、まるで暴風のように店の中心で渦を巻いている。

 このままでは店が持たないのはともかく、この剣戟の中に割って入るのはさすがに俺では自殺行為だ。


「頼む。やってくれ」


「まあ、やれって言われればやりますけどね……」


 俺の真剣な歎願に、不承不承サイベージは折れた。


「でも旦那。さきほど司祭様も仰ってましたけれど、何かしら特別な力を帯びた武器じゃないと悪魔へは通じないのでは?」


 その懸念はもっともだ。

 勇者と悪魔の戦いに割って入るのはいいが、そこで有効打を叩き込めなきゃ、単なるお節介のお邪魔虫。

 

 さあてどうしたものかと思わず腕組みをした俺だったが、そこで文字通り仰天する。

 剣風が吹き荒れる店の中。

 吹抜けの二階の、食堂を見下ろす場所に、ハーフエルフのスワルニキの姿はない。

 だが替わりに、デカい腹を抱えたエルフの女房殿が、手すりに掴まりながらこちらを窺っていたのだから。


「お、おい、ミトランシェ! そこで何をやっている! あぶねえぞ! さっさとそこから逃げろ!」


 俺が悲鳴じみた声をあげるも、女房は動かない。

 むしろ彼女はサイベージの方へちらりと視線を送り、続いて小さな白い手をピッ! と振るった。

 その仕草に、我が意を得たりとばかりにバリゲードにしていたテーブルの裏から飛び出すサイベージがいる。


「よろしいんですか!?」


 状況は掴めず唖然とする俺の前で、何かが宙を飛んで来た。

 二階から勢いよく飛来するそれは、一本の長大な剣。

 ミトランシェが最も大事にしている、エルフ族に伝わる魔法の大剣。


 その剣を、飛びあがって見事にキャッチしたサイベージ。

 着地するなり剣を構え、目にも止まらぬ足さばきで飛んで来る剣風を躱しつつアシュレイの背後へと肉薄。


「むッ!?」


 さすがに警戒を露わにするアシュレイだったが、一瞬鋭さを増したアレスの剣先に、わずかに反応が遅れた。


「せりゃッ!」


 サイベージの黒いシルエットが宙に舞う。空中を駆けるよう飛びながら、構えた大剣を振り下ろす。

 一閃。

 アシュレイの背中から生えた漆黒の翼は、見事にその根元から斬り落とされていた。 

 

「があああああああああああああああッ!?」


 アシュレイの絶叫が上がる。

 同時に、フライパンで肉が炒められたような音を立てて、漆黒の翼もボロボロに崩れて消えていく。


 ばったりと倒れ伏したアシュレイを、その場にいた誰もが凝視する。

 これで悪魔は倒せたのか? それとも……。


「いやあ、お見事お見事」


 パンパンと手を打ち鳴らすベルランド司祭の声に、アレスもサイベージも構えていた剣を下ろす。 

 同時に見守っていた俺たちの緊張も解けた。


「……おーーい、怪我をしたヤツはいねえかー!?」


 白目を剥いて痙攣しているアシュレイを横目に俺は声を張り上げる。

 食堂の外で様子を窺っていた娘たちが、おそるおそる顔を出す。

 間もなく誰も怪我らしい怪我をしていないとの報告を受け、俺はホッと胸を撫でおろしていた。

 店の中は台風が通り過ぎたみたいな有様だったが、人的被害が皆無だったのは何よりの救いだ。


「しかし、旦那への逆恨みにしては、ずいぶんと大仰でしたねえ」


 即座に大剣を回収されたサイベージが、手ぶらで首を捻っている。

 聖堂騎士の身分の詐称はともかく、この立派な鎧はどこから調達してきたもんなのか。

 そもそも、どうやって国元のドライゼンから大聖皇国のこのヒエロの街へ―――?


 思わず考え込んでいると、ベルランド司祭は禿げあがった額をぴしゃりと叩いてから言った。


「時にオズマ殿。アシュレイといったか、この者の身は我々聖堂教会が預からせてもらうが、よろしいかの?」


「そりゃこちらにすれば願ったり叶ったりですが……」


 この惨状を真面目に衛兵に通報したとすれば、下手すりゃ国際問題だわな。

 そんな厄ネタを教会で引き受けてくれるのなら、ありがたい以外の言葉が出てこない。


 まあ教会も教会で、何も善意で引き受けようって腹積もりではないだろう。

 仮にも聖堂騎士の名乗り、聖堂騎士がまとうに相応しい鎧を着ていたアシュレイだ。

 司祭は無関係と断言していたが、教会の方でも念のために色々と裏取りや調査が必要と見た。

 

「なあに。悪魔に魅入られた民草を救い諭すのも教会の役目じゃからのう」


 俺の内心を見透かすようにベルランド司祭はカラカラと笑った。

 「お願いいたしやす」と一緒に笑った俺だったが、直後、天井の割れた板が目の前に落ちてきて憮然としてしまう。


 屋根から見える夜空に、思わず「はあ」とため息が漏れた。

 四方の壁も傷だらけで、床にまで穴が空いてしまっている

 修繕費用はいったいどれだけかかるものやら。

 今回の損害をアシュレイに押し付けるわけにはいかない以上、やっぱり自腹を切るしかないよなあ……。

 

 いや、それ以上に大切なのは、明日がハレの日だってこと。

 会場はこの食堂を予定していたのに、どう見ても明日まで修復なんて不可能。

 場所とかいったいどうすればいいんだ。




 

 

 






 サマンサとアリンの身請け祝いは、急遽屋外で行う運びとなった。

 場所は、俺が緊急時の避難場所ということで買い上げていた娼館裏の空き地。

 そこに無事だったテーブルや椅子やら運びだし、足りない分は近隣の店から借りて配置する。

 徹夜で飾り付けを済ませ、朝一で料理や酒の調達を済ませて、どうにか午後からの開始に間に合わせることが出来た。

 幸いにも天気は晴れで、風も日差しも強くなく、絶好の屋外パーティ日和というやつである。

 

 着飾ったうちの娘たちが往来にも溢れ、二人とその連れ合いとなる旦那を主役に据えた催しは、非常に煌びやかで道行く人も足を止めて見入っている。

 サマンサとアリンに、俺は本日をもって彼女たちが娼婦を引退する宣言と、今までの労いと祝いの言葉を告げた。

 感極まった二人に、相手となる旦那をそっちのけで抱き着かれてべえべえと泣かれたが、まあ役得ということで勘弁してもらう。

 

 あとは見物客も交えての、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎだ。

 興に乗ったスワルニキが、二日酔いの悪魔の唸り声のような狂気に富んだ祝い歌を披露したのには参加客のほとんどが閉口(むしろ絶望)したが、次のサイベージの歌がとんでもなく素晴らしかったので、何とか中和に成功。

 その場にいたミトランシェが「わたしも歌う」と主張するのを、おまえは身重なんだ、何かの拍子で生まれると拙いから、と止めた俺は、つくづくファインプレーだったと思う。

 最後は、夕暮れの中をみんなしてゾロゾロと行列を作って、サマンサとアリンの新しい二組の夫婦を街の外まで見送った。(もっともこれは形式的なことで、すぐに二人とも街に戻っている。第一アリンの嫁ぎ先の菓子屋は街中だ)

 この華やかさは大層評判になったので、今後のうちの店のハレの日の定番になるかも知れないな。



 そんな一大イベントも無事に終わり。

 俺は、とりあえず無傷だった支配人室に、今回の功労者たちを集めていた。

 

 コック長の六腕巨人族のゲンシュリオン。

 風呂釜管理人のドワーフのボクボロ。

 給仕長のハーフリングのメンメ。

 それとサイベージの野郎に、俺たち夫妻が加わる。


 スワルニキは、現状、俺の娼館は修理中で休業しているので、他の娼館に女を抱きに行くと辞退していた。

 歌の女神(俺の女房のことだ)と同席するのは畏れ多いとも言っていたが、案外こちらが本音かも知れない。


 ベルランド司祭からも参加は遠慮するという連絡を貰っていた。

 アシュレイの件で何やら奔走しているらしいので、いずれ落ち着いたら、改めてじっくりと礼をしに訪ねなければならないだろう。


 アレスに至っては、娘がぐずってどうにも離してくれないとのことで欠席。

 彼とカリナの間に産まれた娘のカルラ(ちなみに名づけ親は俺だ)は、パパ大好きでちょうど二歳のイヤイヤ期絶頂中。

 先日、駆け付けるのが少々遅れたのも、カルラなかなか離してくれず、挙句泣き喚いて大変だったのが原因だとか。おまけにカリナが二人目を孕んで今が大事な時期とくれば、無理に呼びつけることなんて出来やしないぜ。


 とまあ、立役者の三人がいないのは残念だが、俺が皆を労う気持ちに嘘はない。


「みんなご苦労だったな」


 秘蔵の酒を満たした杯を全員に持たせ、感謝を伝える。


 それから俺は卓上に置かれた冊子に視線を落とす。


 アシュレイが自分の襲来を予想して待ち構えていたのか? と疑問を垂れていたが、その答えのタネはこれだった。


 








 ことの始まりは、ハレの日の二週間ほど前になる。


 支配人室に飾られた剣やら何やらを磨き上げる俺。

 月一で私物を手入れするのは女房殿の役割だったが、今の彼女は身重だ。なので替わりに俺が買って出た次第。

 剣や弓といった武具は片付け、最後に残ったの大物は鎧だ。

 黒王の鎧と呼ばれるこれは、あらゆる魔法を受け付けない古代の逸品だとか。

 

 そんな伝説にも謳われた貴重な鎧が、なんで女房の小柄な身体にぴったりのオーダーメイドみたいな造りなんだろ?   

 首を傾げつつ、鎧の中に手を突っ込んで掃除をしていたら、指先になにやらごそっと紙の手触りが。


「なんだこりゃ?」

 

 引っ張り出してみれば、それは糸で綴られた冊子だった。

 さっそくページを開いて女房と一緒に検分して見れば、そいつは日記だ。日付や天候まで記されていることから、まず間違いない。

 だがその内容は、奇妙奇天烈摩訶不思議なシロモノ。

 

 前半は、魔族の支配する遠い北の大陸から、サキュバスの姫さまを連れての決死の逃避行。

 後半は、人類の生存圏となるベルファスト大陸へまでどうにか逃げ延び、そして人間の街の市井の店に匿われる日々が淡々と記されている。


 その匿っている市井の店というのが俺の娼館なのだ。

 日記の中に、俺、女房、サイベージや娼婦に見習い娘たちの名前まで出て来くるので間違いない。


「こいつは誰が書いたんだ……?」


 仮にイタズラであっても、こんな手の込んだことをしそうなヤツ、心当たりは一人しかない。

 支配人室を飛び出した俺は、さっそくサイベージの野郎を締め上げる。

 しかし、ヤツも全然心当たりはないとのこと。


 じゃあ、店の娘の誰かが書いたのか? だったらすげえ想像力というか、文才が過ぎるぜ。

 前半の北の大陸からの逃避行の臨場感もそうだが、特にこの、サキュバスが精を取らないでいると老けてしまうとか、逆に摂り過ぎると若返ってしまうとかいう描写なんてのは、俺も聞いたことがなかった。


 さっそく近くにいたクエスティンを捕まえて問い質してみれば、彼女も不思議そうに首を振る。

 それでも「その日記を見せて」と言ってきたので渡したところ、娼婦たちの間で回し読みしたようだ。

 これで娘たちの中から、実は私が書きました、なんて誰か名乗り出てきてもしたら、俺は即行で娼婦を辞めさせ、劇作家にでも弟子入りさせただろう。

 しかし、残念ながら名乗り出てくる娘たちはおらず、代表してクエスティンが妙なことを言ってきた。


「この日記に出て来るサキュバスのお姫さまって、実際に店に居なかった……?」


 他の娘たちも「見たことがある……ような」「一緒に遊んだことがある……ような」と連発してくる。

 基本的に娯楽の少ないこの世界。

 自分の名前や住居が出て来る仮想小説が斬新過ぎて、しかもそれを集団で読んだものだから互いの認識が重なりあって強化され、本来存在しない人物がが現実に居たかのように錯覚してしまうってアレか?

 そういや、元いた世界の日本でも、漫画やアニメのキャラクターのリアル葬式とかやってたっけ。


 そんな風にその場は笑って流した俺だったが、あまりにも娘たちの神妙な様子に、日記へ再び目を通すことにした。

 きっかり精読して、ふと店の中を見回せば、なんとも奇妙な感覚に揺さぶられる。

 実際に見えるわけじゃないが、店のところどころで、小さな女の子の存在がチラついている風に思えるのだ。

  

 ……なるほど、クエスティンたちもこんな気持ちになったのか。

 だが現実問題として、サキュバスの姫さまを匿った覚えはない。

 ひょっとして店のどこかに隠れているんじゃと、念のため屋根裏部屋とかも探してみたが、まるで人の気配はなかった。


 なんだか店全体がキツネにでも化かされたみたいだな。それとも集団催眠か何かをかけられてるのか俺たちは?

 なんとも尻の収まりが悪い思いをしていると、クエスティンたちがまた話しかけてくる。


「不思議なのは、それだけじゃないの」


 彼女たちが捲ったのは、日記が記された最後のページ。

 書かれている内容は何てことのないものだが、注目すべきはその日付。

 なんとサマンサとアリンのハレの日の前日で、まだ一週間以上先の未来の日付なのだ。


 この日で、ピタリと日記が止まっている理由が気になるのだという。

 

 前日までの日記の内容に、亡命して来た身だからそろそろ潜伏先を変えなければ、なんて記述があった。 

 つまりは、日記が止まった日付で、俺の店を出て別のどこかに行ったんじゃないのか?

 俺がそう答えると、クエスティンたちは納得いかない風に反論してきた。


「だったらきちんとそのことを日記に書くはずだわ。これを書いた人は、そういう義理を欠かさない人だと思うよ?」


「ふむ。一理あるな。じゃあ、おまえたちは何でこの日記がこの日付で止まっていると思うんだ?」


「それは分からないけど。でも、きっと、日記を書きたくても書けなくなったんじゃないかな」

 

 書きたくても書けない理由、か。

 単純に考えれば、本人の病気とか。だが、日記の記述には書き手の病気を窺わせるような描写は見当たらない。

 だったら不慮の事故とかか?    

 なんにせよ、何かしらのアクシデントが生じた可能性が高いな。


 そこまで考えて俺は首を振った。

 そもそも、誰が書いたやも知れない日記を巡って考察を働かせるほうがどうかしているぜ。


「さあ、遊んでないで仕事へ戻った戻った」


「でも……」


 なお渋るクエスティンたちに半ば呆れながら、


「なんだァ? おまえらみんなひょっとして、ハレの日の前日(つまりはこの日記の最後の日付の日)に、現実でも何か不吉なことが起きるなんて考えてるんじゃねえだろうな?」


「うん」


 揃って頷いてくる様子に、俺は目をパチクリとさせてしまう。

 改めて「なんでそう思うんだ?」と尋ねたところ、「女の勘」だとよ。


 女の勘をバカにするつもりはサラサラないが、根拠は誰が書いたか分からない日記だぜ?

 サキュバスの姫さまなんて、現実には存在しないんだ。

 その上でこの日記を預言書扱いして不安がるなんて、誰がどう見ても頭のおかしい所業だろうが―――。


 そう説き伏せてみんなを解散させた俺だったが、この店の責任者としては彼女たちの訴えをないがしろには出来なかった。



 万が一、実際に何かが起きた場合。

 巻き込まれるのが俺だけなら我慢も出来よう。

 しかしその被害が、従業員や娘たちにも及んだりしたら?

 ましてや、大事なハレの日を迎える二人に、身重の女房もいるこの状況で?

 

 日記の内容を頭に思い浮かべながら熟慮する。

 クエスティンたちの訴えも反芻する。


 書いた人は、義理を欠くような人間ではない、か。

 

 それが決め手となったわけじゃないが、俺は腹を括った。


 出来ることを、する。

 俺に出来る最良の準備をしよう。 

 

 なあに、その日になって何ごともなければ、大いに結構コケコッコーってやつだ。

 単に俺の酔狂が過ぎたってことで、ハレの門出に笑い話が一つ加わるだけさ……。

 








「おまえたちも娘たちにも、急に無茶なことを言いつけて悪かったな」


「いや。結果としては店長の決断は英断だったよ」


 ゲンシュリオンがそう労ってくれる。


「それでもあたしは、最初は店長の正気を疑ったよ?」


 遠慮なく言ってくるメンメに苦笑するしかない。


 ただでさえクソ忙しいハレの日の準備の傍らに、得体の知れない日記を根拠に娘たちに避難の練習をさせたりしたんだ。

 加えて、スワルニキやベルランド司祭、勇者アレスまで店に待機してもらうように差配するなんて、傍目には俺の頭がイカれたと思われても仕方がないかもな。

 まあ、娘たちは、なんであのスワルニキさんを招いたの? と露骨に顔を顰めた連中が大半だっだけどな。

 

「こうやってみな無事に飲む酒は美味いの~」


 ボクボロは遠慮なくお替りを自分の杯に注ぎながら上機嫌。

 単におまえは美味い酒が飲めればそれでいいんじゃねえか、なんて野暮は言うまい。


「ともあれ、みなで乾杯するか」


 俺は軽く杯を掲げて見せる。


「何に乾杯? サマンサとアリンに?」


 訊ねてくるメンメに首を振る。


「いや。恩人に対してさ」


 全員の杯が掲げられたところで、「乾杯!」と口にする。

 一気に飲み干してから、思う。


 日々の出来事を綴った日記は女文字で記されており、書いたのは姫さまの従者だと思う。

 節々に、姫さまへと向ける愛情が感じられる内容だった。

 

 そんな従者とサキュバスの姫さまが最終的にどうなったのかは知り様もない。

 だが、これのおかげでアシュレイの襲来に備えられたのだから、恩人なのは間違いないだろう?

 彼女がどんな姿形をしていたのかはまるで憶えはないのだが、きっと佳い女に違いない。










 それから数日ののち。

 俺は街の聖堂教会へ赴き、ベルランド司祭を訪ねていた。

 もちろん礼を言うためたが、どうしても一つ気にかかることがある。


 出迎えてくれたベルランド司祭に一通り礼を述べたあと。

 もし答えられないようでしたらそれはそれで、と前置きしてから俺は口火を切った。


「あの時、司祭さまは、アシュレイをパラノ・フランチカではないと喝破なさってましたが、すると本物のパラノ・フランチカ様はどこにいらっしゃるかご存じで?」


 実は俺なりにパラノ・フランチカという聖堂騎士について調べている。

 まさか真っ当に聖堂教会に訊ねるわけにはいかないので、今は本屋を営んでいる元娼婦のエルチへと依頼して文献を漁って貰った。


 果たして、聖堂騎士パラノ・フランチカは実在した。

 50年以上前にあった魔王戦役において、聖堂教会の騎士団を率い魔族との激闘の矢面に立ち、前線を維持し続けた立役者である。

 そんな英雄殿であれば、今や教会総本山の立派な役職についておられるのだろう―――と思ったのだが、それ以降のパラノ・フランチカの消息はぷっつりと途絶えている。

 魔王戦役を無事生き延びているのは確定しており、だからといってその後、怪我が元で亡くなったとか病没したとかの記録も一切ない。これだけの成果を上げていれば列伝くらい出されていそうなものなのだが。


 すると、エルチが面白いものを見つけてきた。

 それは本ではなく、当時の情報誌みたいなもの。しかも内容はゴシップ記事とかどこぞの風俗店のあの娘が良いとかが書かれた、いわゆるエロチラシの類だな、これは。

 それのトップ記事を飾っていたのは、若きパラノ・フランチカ氏の荒淫録。

 なんでも、一週間も娼館に流連(いつづけ)したあげく、店の娼婦を全て抱き飽かしたというのだから凄まじい。挙句、他の客と娼婦を巡って乱闘騒ぎも起こしており、その被害者は十数名にも及ぶ。


 なるほど、こんな醜聞を起こされちゃ、教会も存在をなかったことにするわ。

 納得すると同時に、アシュレイがこの聖堂騎士のエピソードを把握していたのならば、俺の店を訪れた時にその名を借りたのは、ちょいとばかり洒落が効いていたことになる。 


 ともあれ、パラノ・フランチカなる聖堂騎士が実在したことは証明された。

 いまも存命していれば相当の老齢だろうが、万が一でもアシュレイが成り替わった過程で風評や被害を受けていたらと思うと申し訳ないと思う。

 遠因は俺にあるのが明らかなわけで、もし叶うのであれば、一言だけでも挨拶か謝罪がしたい。


「それは、まあ、うん。居場所は知っているというか、何というか……」


 言葉を濁すベルランド司祭にピンとくる。


「やはりもう故人でらっしゃるとか?」


「いいや、生きておる。確かに生きておるぞ」


「ならばせめて一目だけでも……って、いえ、これ以上は不調法ってヤツですね。失礼しました」


 ここまで司祭が言い淀んでいるのだ。

 よほどの事情があるのだと察して引き下がった俺だったが、ベルランド司祭はふっと肩の力を抜いた。

 それから、真っ白い眉根を寄せながらこんなことを言ってくる。


「うーむ、そうだな。……ここだけの話、オズマ殿だから教えるが」


「はい?」


「パラノ・フランチカとは儂の名じゃ」


「……はい!? で、でも、ベルランド司祭と」


「だからベルランド家に婿入りしたんじゃよ、儂」


「はあ……」


「なので今の名は、ピエトロ・パラノ・ベルランドじゃ」

 

 そういって照れ臭そうに笑う司祭に、俺も気の抜けた笑顔を浮かべるしかなかった。 

 まんま身も蓋もないオチが付いたわけだが、文句をいう筋合いもないだろう。












 そしていよいよ今日、俺にとっての一大事が迫っていた。

 とうとう女房であるミトランシェが産気づいたのだ。

 ハレの日とは違う意味で娼館全体がソワソワする中、寝室の扉の前を右往左往していると、急を聞いて駆けつけて来た実娘マリエに脛を蹴られる。


「いいから落ち着いて座ってなさい!」


「で、でもよ。何か俺にも手伝えることは……」


「何もないわよ。こういう時は、男は待つのが仕事!!」


 そう断言されれば返す言葉もない。

 寝室の中では、女房に三人のエルフが付き添っている。

 なんでも妖精四氏族は翡翠族の村から派遣されてきた産婆役だそうで、族長であるミトランシェに対する破格の対応らしい。

 こっちも一応人族の方の産婆や医師を待機させていたのだが、けんもほろろに追い返されてしまっていた。


「そ、そうだ! ベルランド司祭さまを呼んでくるのはどうだ? 回復魔法をかけてもらえば、苦痛とかも和らぐんじゃあ……!」


 寝室から聞こえてくるミトランシェの苦しそうな声に、俺はハッと顔を上げる。

 我ながら良い提案だと思ったのだが、


「バカ言わないでよ! 産んでいる最中に回復魔法なんかかけちゃ、赤ちゃんの身体が活性化してお腹にいるうちから肺が動き出したりして取返しのつかないことになるんだから!」


「う、あ、そうだったのか、すまん」


 マリエの剣幕に、正直なにを言われているかよくわからなかったがとりあえず謝る俺。


「……は~、まさかここまで父さんがポンコツになるとは思わなかったわ」


「なんだよ、ひでえ言い草だな」


「女のことを熟知して使いこなすのが娼館主でしょ? なのにこの体たらくはなんなのよ?」


「とはいわれてもなあ。基本、娼婦は子供を産まねえし」


 快楽のために男女の交合の場を提供し、同時に妊娠しない処置を講じる。

 命を造るための行為をしておいて、その命が生まれることは望まれない。

 思えば娼館とは、なんとも因果な場所だ。

 そしてそんな場所で、いま俺の子どもは産まれようとしている。

  

「そもそも母さんは初産じゃないの。あたしを産んでいるの。経験済みなのに、何が心配なわけ?」


「そいつも分かっているつもりなんだが……」


 俺はバリバリと頭を掻く。

 マリエは俺の娘で間違いないのだが、ミトランシェのやつが俺に断りもなく産んで五歳くらいまで育てていた。

 赤ん坊の頃の姿も拝んでいないし、子育てにも参加していないためイマイチ実感に乏しい。

 

「そいつがこう、実際に産まれるその場に居合わせてみると、な……」


 俺の神経をざわつかせるのは、寝室から聞こえてくる唸り声にある。

 出産は女の一大事であり、かつ絶大な苦しみを伴うと話には聞いていたが、ドア越しの伴侶の必死な苦鳴を耳にして、平静でいられる男なんているのだろうか?


「なあ、大丈夫だよな? ミトランシェも無事で、元気で丈夫な子が産まれてくるよな?」


 俺としては、女房がエルフということへの懸念もあった。

 まあ、種族違いといえど身体の造りはそれほど人間と変わりないし、でなければ子供なんて作れないわけだが。


 そんな風にアホ面を下げて繰り返す俺に、マリエは長々と溜息をついて、


「もう! いまあなたの目の前にいる娘は元気そのものでしょーが!!」


「ま、まあそうだな、うん。おまえはバカみたいに元気だよな……」


「バカは余計だけどね。これで安心した?」


「でもよ……」


「なによ、今度は何が心配なの?」


「だって、ミトランシェのやつ、超高齢出産ってヤツじゃねえのか……?」


「………死にたくなかったら、母さんに絶対に言っちゃダメよソレ」


 そんな益体もない俺たちの会話を、力強い産声が切り裂いた。

 親子で一瞬顔見合わせ、寝室のドアをノックするのももどかしく開け放つ。

 

 ミトランシェがベッドで上体を支えられていた。憔悴した小さな顔を嬉しそうに綻ばせ、胸に赤子を抱いている。

 赤ん坊は男の子だった。


「や、やったぞ! でかしたぞミトランシェ!」


 思わず小躍りする俺に、


「名前を……」


 ミトランシェが柔らかく微笑む。

 前の娘であるマリエは彼女が名付けたので、今回は俺に譲ってくれるらしい。


 女房の妊娠が発覚してから、俺はずっと名前を考え続けてきた。

 男だったら、女だったら。

 散々に悩んで、それぞれ候補を三つも絞り込んでいたのだが―――今の俺の中にある名前は一つきり。

 

 小さな小さな命を優しく抱え上げた。

 幾多の命を奪ってきた手で、産まれて来たばかりの命を持つことに、不思議な感動がある。


 顔を覗き込む。

 地肌は女房ゆずりの白さだが、目はまだキュッと固く結ばれいて瞳の色は分からない。

 俺は、我が子の小さく尖った耳へと囁く。





「おまえの名は、イーヴだ」






 恩人の日記に記された、サキュバスの姫さまの名前。

 サキュバスの、魔族の名前を子供に与えるなんて、と不謹慎に思う輩もいるかも知れないが、そんなの知ったことか。

 俺は良い名だと思ったし、この子にぴったりだとも思う。

 この子は男だけれど、それだって構うもんじゃない。


「そう」


 ミトランシェが穏やかに頷く。


「父さんにしては良いセンスじゃない」


 本日づけで『姉』となったマリエは鼻息が荒い。


 妻と娘の同意を受け、産まれたばかりの息子へと笑いかける。

 いま腕の中にある存在は、俺の血と命を引き継いでくれた証でもある。

 娼館にいる娘たちはみな自分の娘と思ってて接してきたつもりだが、この感覚は別格だ。

 全身を満たす達成感と安心感はどう形容して良いものか。


 寝室の外で大勢の人の気配がする。

 きっと先ほどの産声を聞きつけて、店中のみんなが集まってきてくれたに違いない。


「さあ、おまえの初仕事は、みんなへのお披露目だぜ」


 弾けるように寝室の扉が開くと、人が雪崩れ込んで来た。

 まず飛び込んできたのはクエスティンを筆頭にした娼婦たち

 俺の腕の中の赤子を見るなりきゃーきゃーと黄色い歓声を上げ、中には感極まって泣き出す娘までいる。


「男の子ですか。これは盛大にお祝いしなきゃいけませんね旦那!」


 珍しくはしゃぐ様子のサイベージに、俺は気分が高揚するままに応じた。


「あったり前だ。産まれた今日を寿(ことほ)ぐのはもちろん、この先の七五三まできっちりと祝ってやらあな! なあ、イーヴ?」


 すると、とたんに赤ん坊、もとい息子イーヴがけたたましく泣き出した。

 さっきまで大人しくしていたのに、支配人さんが大きな声を出すから~、と娘たちは非難がましい視線を向けてきたが、その泣き声が喜んでいる風に聞こえたのは俺の気のせいだろうか?







 


 


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