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娼館オズマ  作者: 烏なんこつ
第二部
38/40

夢の話

  


 目を覚ます。

 身体を起こせば、そこは食堂ホールにあるソファーの上。


 ホールの中心にあるオープンキッチンでは、六腕巨人族のコック長が仕込みに勤しみ。

 給仕娘たちはテーブルを拭いたり椅子を並べたり、床のゴミを丹念に拾って掃除したり。


 俺にとっては親の顔より見慣れ光景だ。

 なのに、まるで水底を覗き込んでいるような感じでフィルターがかかって見えたことに、違和感を覚える。


「なんだぁ?」

 

 思わず目を擦れば、どういうわけか頬がびっしょりと濡れていた。

 おいおい、寝ながら号泣でもしていたのか俺は。


 そう言えば、なんだが酷く悲しい夢を見ていたような気が………駄目だな、まるで思い出せない。


 しかし、大の男が涙で頬を濡らしている姿は情けないものだ。

 服の袖で顔を拭うと、ようやく目の前の光景も落ち着いてくる。


「我、夢で蝶になるか。蝶、夢で我になるか……」


「旦那、それってどういう意味なんです?」


 俺の呟きを拾ったのは、すぐそばに立つ黒衣の男。

 いつの間にか俺の娼館(みせ)に居着いている痩身の調子の良い野郎で、自称・半チク冒険者のサイベージだ。 

 

「……要は、俺が蝶になっている夢を見たとする。ならば、蝶が俺という人間になった夢を見ている可能性もあるかも知れないって話さ」


「つまり、今こうやって話している旦那とあたしも含めて、この世界はどこかの誰かさんが見ている夢かも知れない。それで合ってます?」


「まあ、そういうこったな」


「いやはや、なんとも深いお話ですねえ。

 旦那ってば、そんな話をどこから仕入れてくるんですか?」


「さあな」


 荘子の胡蝶の夢、だったか?

 俺も多分、学生時代に学んだはず。

 だからといって、こちらへ転移して来る前―――元いた世界の知識だなんて説明できるはずもねえわな。


 サイベージのやつは一見して極楽とんぼの風采なのだが、色々と聡い。

 これ以上追及されるのは面倒くさいな、と急いでソファーから立ち上がったとたん足元がふらついて、その極楽とんぼに支えられる。


「大丈夫ですか、旦那?」


「おう、悪いな」


「ここしばらく、少し働き過ぎですよ」


 サイベージが心配そうに口にするが、そんなことは言われるまでもない。

 最近の俺は文字通り寝る間を惜しんで駈けずり回っていて、食堂で寝落ちしてしまったのはその疲労が原因だろう。

 

「―――全く、いっそこっちの方が夢だったら、この疲れも何もかも吹き飛ぶのによ……」


 つい弱音を吐いてしまい、俺は慌てて頭を振る。


 忙しいのは、何も下手を売ってその始末に奔走しているわけじゃない。

 むしろ慶事が重なって、その準備やアレコレにてんてこ舞いなのだ。

 

 そいつを夢だなんてことはあってたまるかよ。


 まず、何が一番の慶事かというと、ウチの娼婦の身請け話がまとまった。それが一気に二人も。

 娼婦は15歳で初めて店に出て、25歳までの10年間の年季勤めが一般的となる。

 それが年季を明けを待つことなく、身請けしてくれた旦那の元へと嫁げるのだ。

 苦界で生きる女たちにとって、最上級の祝着としか言いようがない。


 続いてもう一つの慶事は、今ゆっくりと食堂への階段を降りてくるところ。

 鮮やかな翡翠色の髪に同色の瞳。

 小さな顔に白皙の美貌。

 ピンと伸びた特徴的な長い耳も麗しい彼女は、俺の女房であるエルフのミトランシェだ。

 そんな彼女の腹部が大きく膨らんでいる。もとの体型が華奢なため、なおさら大きく見える腹は、そろそろ臨月も近い。

 腹の中にいるのは四十を越えて出来た俺の子で、文字通りのおめでたというヤツだ。


 そして最後にもう一つ。


「おじゅま~!!」


 元気いっぱいの声が食堂ホールに響く。

 トテトテトテ、という足音に続き、小さな塊が力いっぱい俺の足に飛びついてきた。


「おじゅま! あそんで! あそんで!」


 二パッとした笑顔で見上げてくる愛らしい少女がいる。


「おうおう、イー坊。今日も威勢が良いなあ!」


 抱え上げた腕の中の重みは、年齢として4、5歳くらいか?

 何を隠そうこの少女の正体は、魔族にしてサキュバスのイーヴ姫。


 サキュバスとは別名夢魔と呼ばれ、夜な夜な男性の精気をちょうだいするという魔族の一種だ。

 この世界では、年端もいかない少年が精通を迎えたり夢精したりすると『サキュバスに撫でられた』という慣用句もあるくらいメジャーな存在として知られている。

 

 そんなサキュバスに精気を吸われ続けた男性は干からびるように死んでしまうと伝説は言う。

 そして面白いことに、サキュバスの方も、男性の精気を長期間摂取しないでいると、シワシワに干からびて老けてしまうとのこと。

 

 では仮に、サキュバスが一気に大量に精気を摂取するとどうなるのか?

 答えはなんと―――若返ってしまうらしい。


 事実、俺の頼みで20人以上の荒くれ傭兵団の精力をたった一晩で摂取したイーヴ姫は、赤ん坊まで若返ってしまった。

  

 若返ったサキュバスはどうすれば元に戻るんだ?

 精気を摂取しないでいれば戻るんだろうか?

 ひょっとしてこのままずっと成長しなかったりするのか?  


 さんざかに気を揉んでいれば、赤ん坊から今の年齢まで半年足らずで急成長だ。

 魔族ってやつの生態にも色々と思うところがあったが いずれ間もなく元の15歳の姫さまに成長するだろってことなら、これがめでたくないわけがない。


「おじゅま! あれ! あれ、なにやってるの、ねえ!」

 

「ああ、あれか」


 小さな手が指さす先は吹抜けの二階。

 一階の食堂ホールを囲むように回廊となっているそこの手すりに、娼婦見習いの娘たちが花や色とりどりのリボンなどの飾り付けに勤しんでいる。


「あれはな、お祝いの準備をしているのさ」


「おいわい?」


「結婚式でもありお祭りみたいなもんだよ」


 今回、身請け話がまとまったのはサマンサとアリンの二人。

 どちらも俺の店の叩き上げだが、下働きの頃からも含めれば十年以上働いている古株となる。


 身請けは単に娼婦という仕事を辞めるだけじゃなく、彼女らにとっての新たな人生の門出だ。

 親としては、せいぜい派手に送り出してやらねばなるまい。

 

 「ふ~ん……」


 琥珀色の瞳を興味津々で輝かせるイーヴ姫に、俺は破顔して見せた。


「そんときゃ、おまえさんも綺麗な着物をきて、一緒にお祝いをしてやるからな」


「ほんと!?」


「ああ、七五三ってことにしよう」


 両手を振り回して「シチゴサン! シチゴサン!」と、意味も分からずはしゃぐ姫さまの姿にほっこりする。

 サマンサたちのついでと言えば語弊があるが、祝う理由なんてのはそんなので十分だろう。

  

 上機嫌な姫さまは、ペチペチと俺の頬を叩いて注意を引く。


「ねえ! おうま! おうまやって!」


「またかあ?」


 姫さまがいうところのおうまとは、親が四つん這いになって背中に子供を乗せて歩くアレである。

 俺の子も間もなく生まれて来るから、その予行練習にちょうど良いかと、気軽に引き受けて大後悔。

 腰と背中は痛くなるわ、腕と足は筋肉痛になるわ。

 あれはもうちょっと若い父親がするべきだな。


「おうま……。だめなの……?」


 さっきまで喜色満面だったイーヴ姫の表情が見る見る曇っていく。

 おいおい、泣き出すのは勘弁してくれよ、と思っていたら、小柄な影が食堂へと走り込んできた。


「姫さま!」


「おう、タメラか、良いとこに来た!」


 イーヴ姫の従者で小鬼族のタメラは、うちの下働きの少女と同じ貫頭衣に白いエプロンをつけている。

 幼い顔立ちにすこぶる似合っていたが、彼女曰く、これでも87歳だとか。

 

「申し訳ないのじゃ! アタシがおやつに夢中になっている間に、姫さまの姿が見えなくなって……!」


「そこ。なんかのクリームが付いているぞ」


 頬っぺたを指させば、慌てて拭うタメラがいる。

 その仕草はガキそのもので、87歳ってのも本当か疑わしいもんだ。


「姫さま! おうまならどうぞアタシの背に」


 ためらいもなく四つん這いになった彼女の背中に姫さまを座らせてやる。

 はしゃぐ姫さまを載せたタメラの身体は一気に加速。獣人族もかくやという四足歩行の猛スピードで、食堂を飛び出して行ってしまった。

 ……サキュバスも大概だが、小鬼族って種族も良く分からない生態だな。  


 風呂を使いに行くという女房殿を見送って、俺は支配人室へと向かう。

 無人だろう、と思っていた室内には先客がいた。

 褐色の肌に流れる銀髪。生粋のエルフに負けぬほどの美貌に加え、ムチムチの官能的な肉体。

 しかしてその正体は、イーヴ姫のもう一人の従者。

 主従揃ってはるばる魔族の領土から亡命してきたダークエルフで、名はロロスロウという。通称ロロだ。

 

「なんだ、いたのか」


 ダークエルフというのは見掛けからして目立つ。素顔を晒して街中を歩けば、あっという間に評判になってしまう。なので、基本的に俺の店の離れに籠ってもらっていた彼女だったが、このところ赤ん坊だった姫さまの世話から解放されて暇を持て余している様子。


「いやはや、姫さまに付き合うだけでも一苦労だぜ」


 ソファーにひっくり返って愚痴る俺。

 

「まことに申し訳ない。お手数をおかけする」

 

 労ってくれるロロだったが、


「ここだけの話しだが、姫さまはご両親の顔も覚えていない。そこにきて、この店の皆が我が子のように可愛がってくれるから……」


 さらりと重いことを口にする彼女に、俺は敢えて話題を逸らすように応じた。


「暇を持て余したおめえさんがこの部屋に遊びにくるのは構わねえけど、そんなものを見て何が楽しいんだ?」


 ロロが眺めているのは、支配人室の壁に飾られた武具やらタペストリーやら。


「いやいや、見れば見るほど素晴らしい品々ばかりだぞ」


「そうなのかい? 俺はさっぱり審美眼も働かねえんだが」


 まあ、眺めて暇つぶしになるなら何よりだ。それでも一応釘を刺すのは忘れない。


「頼むから触って壊したりしないでくれよ? 女房に怒られちまう」


 飾れているもののほとんどは、俺の伴侶であるミトランシェの私物だ。

 エルフである彼女は只人より遥かに気長なはずだが、月一で手入れもしていて結構まめまめしい。

 

「承知した。しかし、ううむ、わけてもこれは素晴らしいの一言に尽きる!」


 ロロがうっとりとした視線を向けたのは、神棚の下に設置された漆黒の鎧だ。

 黒味に赤い艶っぽさを帯びた希少な輝石“血涙石”で作られたこれは【黒王の鎧】。

 伝説にも謳われる逸品で、あらゆる魔法を受け付けない反面、一度の着用で五年の寿命を失うと言う。


「だからって、どんな魔法も無効にするなんて、本当(マブ)なのかよ、コレ?」


 いい機会だとばかりに鎧を指さして訊ねる俺。

 この鎧はミトランシェが身に付けていたけれど、実際に彼女が魔法で撃たれたところは見たことがない。


「その通りだ。より正確なことを述べれば、血涙石にはあらゆる魔力の影響を遮断する特性がある。

 仮に極大魔法を受けたところで装着者は傷一つ負うこともないだろう」


「ほう」


 極大魔法、ねえ。

 万の兵士を一度に焼き尽くしたとか、街一つを永遠の暗闇で覆ったとか。

 そんな破格の魔法が超古代に存在したって話らしいが、そんな眉唾話を対比として出されても、全然ピンとこねえや。


「かといって、黒王の鎧も決して無敵の鎧というわけではない。物理的な防御力は魔法銀製にすら劣るし、何より致命的な問題がある」


「致命的?」


「あらゆる魔法を受け付けないということは、回復魔法や強化魔法も受け付けないことも意味するのだ」


 なるほど、魔法使い相手には特化しているが、普通に斬り合うぶんにはむしろ不利な面が多いってか。


「ついでに訊くが、着れば寿命が縮むってのもデタラメか?」


「いや、それも本当だ」


「おいおい、やっぱ呪われてるんじゃねえのコレ」

 

 薄気味悪い目で黒光りする鎧を見てしまう俺に、ロロは首を振って、


「そういう魔術的な問題ではなく、むしろ人体学的な問題なのだ」


 人体学ときたか。


「この世界に生きるものは、遍く魔力の影響と恩恵を被っている。しかしそれは呼吸をするか如く自覚的ではない。だが、それは生きるうちに必要不可欠なもの。

 黒王の鎧はあらゆる魔力との接触を遮断する。

 それを纏うということは、その間、魔力の恩恵を一切受けられなくなることと同義で、すなわち装着者の生命に影響を与える」


「へえ……」


 この世界は魔法が存在する世界。

 魔法使いとは、空気中の魔力を取り込んで魔法として発現させるらしい。

 エルフの使う精霊魔法は、こちらは精霊の力を借りて行うものだとされているが、根っ子は同じものだと聞く。

 

 つまりは魔力は空気と同じくらい、こっちの人間にとって重要でありふれたものってことか?

 まあ、俺自身魔法は使えないこともあって、言われても全然ピンと来ないんだけどな。

 


 ふと喉が渇いていたことを思い出した俺は、酒棚から瓶とコップを持ってきてテーブルに並べた。

 これから細々とした仕事が山積みで待っている。その前に景気付けでも入れないと、やる気も沸いてこない。


「どうだ、おまえさんも一杯?」


 二つのコップに酒を注ぎ、片方をロロに勧める。


「頂こう」


 テーブルを挟んでソファーに腰を下ろし、揃って酒杯を傾ければ、まるで古くからの知り合いと向かい合っているような気分になってくる。

 そうやって二人して、しばらく刺しつ刺されつをしていたが、


「しかし、オズマ殿には本当に世話になってしまっているな……」


「気にするな、って言うのも今さらだな。まあ、好きなだけ滞在するがいいさ」


 事実、姫さま一行を匿って半年以上。

 最初は魔族だ魔王の娘だと警戒していたもんだが、最近は平和過ぎてそのことも忘れそうになるくらいだ。

 ふと、ロロの表情は冴えないことに気づく。


「どうした? 酒が口に合わなかったか?」


「いや、すこぶる美味だ。だが……」


「だが?」


「我らは亡命者だ。追われて国を逃げ出してきた身なのだ」


 まるで自分に言い聞かせるように呟いてから、ロロはおもむろに酒杯をテーブルへと置く。


「オズマ殿。気持ちはありがたく受け取らせて頂く。だが、やはり我々は一所(ひとところ)に落ち着くのを避けるべきだと思う」


「そうかい? どうしてもってんなら、別に止めるいわれもないが……」


 反射的に、脳裏にまだ幼いいイーヴ姫の姿が浮かぶ。

 あんな姦しい状態の姫さまを連れて隠れ場を移動するのは賢明かと問われれば、答えは否だ。

 そしてそんな俺の懸念は、口に出すまでもなく。


「なので、姫さまがもとに戻り次第、お手前の店から立ち去ろうと考えている」


「そうだな、そうした方が良いだろう。けれど次に行く宛ては……と、すまん。愚問だった」

 

 即座に質問を撤回。次の潜伏先のことなんざ、俺も知らない方が安全に決まっているからな。


「……しかし、仮に追手が来たとして、相手も同じ魔族なんだろ? そこで話し合いをする余地はないのかい?」 

 

 ここ半年ばかりの暮らしで、俺の魔族に対する認識はすっかり改まっている。

 そりゃ確かに人間と違う生態や仕組みを抱えているとは思うが、そんなの妖精族やドワーフといった亜人連中と同じだろ?

 会話が出来て、道理を弁えて、なによりこうやって酒を酌み交わせるなら、忌避する理由はないと思う。

 そもそもの姫さまが命を狙われる理由ってのは、魔王に覚醒する可能性があるからという話だ。

 ここに来てからまったくそんな予兆すら見えないのも、話し合いの材料になるのでは?


 果たして、ロロはフッと笑った。


「いや。オズマ殿は分かっていない。魔族の中には極めつけに恐ろしい者もいる。命を奪うことに何の躊躇いもない、むしろ喜びを見出す輩もいるのだ」


 ―――つまりは、サイコパスとか殺人鬼ってやつで、話が通じないってことか?

 そりゃ人間にも似た様なやつはいるが。


「やつらは純粋な悪意を持って事を成す。それこそを生きる理由……いや、(かつ)えた喉に水を貪るがごとく喜々として行う存在。魔族全体から見ても異質な観念を持つもの――」


「……もしかして、そいつに姫さまの家族は」

 

 殺されたのか、と俺の声なき疑問に答えず、秀麗な顔を伏せまま、微かに声を震わせながらダークエルフはこう結んだ。


「総じて我らは連中を“悪魔”と呼ぶ」







 ロロに“悪魔”とやらの存在を仄めかされたからといって、臆病風に吹かれていられるほど俺も暇じゃねえ。それでなくてもしなければならないことが山積みだ。

 分けても優先すべきは身請け話に関わる諸々なのだが、そもそも身請けにも手順というものがある。

 

 まず深い馴染みとなった利用客が、意中の娼婦を身請けしたいと申し出たとしよう。

 そこで、こちらの提示した身請け金を用立てられるかか第一関門。ここで金が準備できないのなら、文字通り話にもならない。

 その上で、相手となる娼婦の意思の確認を行う。ここで彼女が頷かなければご破算だ。

 客と娼婦、双方の折り合いがついて、晴れて身請け話が成立するという流れ。 


 で、さっそく身請け金が頂戴したとする。だからといってすぐ翌日に娼婦を辞められるわけではない。

 およそ一ヵ月ほどの期間を設けてハレの日を定め、そこでようやく正式に娼館から解放されるってのが伝統にして仕来(しきた)りだ。

 この期間は、かつて肌を重ねた客への義理通しと、身請けされたことを周囲に周知する時間となる。


 店主である俺も、受け取った金貨の枚数を数えてホクホク顔していられる身分ではない。

 今までの娼婦の稼ぎと身請け金を突き合わせてキッチリと清算する。

 引退する娼婦の身の回りの品の整理整頓を手伝う。

 市井の身分へ切り替えるために、役所への申請やその手続きを代行したりもする。

 過去に、他人に身請けされる娼婦に恋慕した客が、思い余って刃傷沙汰を起こすことも稀にあった。それを防ぐべく目を光らせなきゃならないし―――と、並べただけで眩暈がしてくるほどだ。 

 

 そして何より肝心なのは、娼婦が身請けされる本式の日、ハレの日の差配だろう。

 とりあえず、当日の振る舞い酒の発注だろ。

 料理だって手の込んだ豪華なやつじゃなきゃ片手落ちだ。

 幸いなことに、祝い歌や楽器の演奏に関しては自前でどうにか格好がつくので、その分安上がりなのは助かる。


「ってなわけで、当日の歌や演奏関連は任せるぜ」


「……旦那。他所(よそ)の娼館ではこんな風な派手にお見送りってしてるんですか?」


「うるせえ。他所は他所、ウチはウチだ」


 サイベージを叱りつける。この野郎は大抵の楽器を演奏出来て、唄う歌もべらぼうに上手い。

 なお釈然としない風のサイベージをもう一度叱りつけてから階下へ行けば、夕方の開店へ向けて店全体が活気づいている。

 

「よし! 仕事だ仕事! みんなして気合入れて今日も頑張ってくれよ!」


 手をパンパン叩きながら声を張り上げていると、さっそく着飾った娼婦の一人と擦れ違う。

「おう、今日も綺麗だぜ」と歩きながら褒めれば、俺に気づいた見習い娘や給仕娘たちが口々に挨拶をしてくれたる。

 次々と応じて回って、それもようやく一段落。

 どれ自慢の風呂の塩梅でも見てくるか、と浴室へ足を向けようとした時。

 

「すみません、支配人さん……」


 くいくいと袖を引かれてる。振り返れば黒い巻き毛の幸薄そうな娘が一人。


「ん? どうしたモーナ?」


 モーナは娼婦見習いだ。見習いの頃は現役娼婦の専属となり、先輩たちの身の回りの世話をしつつ、娼婦としての仕事を実地で学んでいく。


「えっと、その、サマンサさんの様子を見て頂けませんか……?」


 なぜか涙目になっているモーナは、サマンサの専属だった。


「ふむ」


 内心で「またか」と思ったが口には出さない。足早にサマンサの私室へと足を向ける。


「おい、入るぜ」


 半開きのままのドアをノックすれば、鏡台の前に座ったサマンサが振り返った。


「あ、支配人さん……」


 綺麗に結い上げられた髪に反し、ぼんやりとした声。既に化粧を施している顔も明らかに精彩を欠いている。

 

「どうしたどうした、そんな不景気な面しやがって。まもなく身請けされる幸せモンが、そんな湿気た顔してちゃ周囲に示しがつかなだろ?」


 発破をかけるように声をかけたが、サマンサは更に項垂れてしまう。

 鏡台に上体を突っ伏すと、半顔だけをこちらに向けて来た。


「ねえ。あたしは本当に幸せになっていいのかな?」


 重い溜息つきながら鏡台の上の宝石を指先で弄ぶサマンサに、俺は苦笑で応じる。

 

「なら逆に訊ねるが、おめえが幸せになっちゃ誰かに迷惑をかけるのかい?」


「でも元々のあたしは、下町で食い詰めていた宿無しの浮浪児だったんだよ? その挙句に―――」


 気まずそうな顔で見上げてくる彼女に、幼い頃の姿がダブって見えてくる。

 人気のない裏路地。

 たまたま通りすがった俺の懐中を狙ったのが、浮浪児だったサマンサとの出会いだ。

 捕まえた腕を捻り上げ、すっかり観念した風のサマンサを娼館へと連れかえる。

 てっきり衛兵に突きだされるばかりと思って目を白黒させていたサマンサだが、風呂に入れてさっぱりさせれば見込んだ通りの中々の器量良しだ。


 飯を喰わせつつ、俺が彼女へ指し示した道は二つ。

  

 一つは、くちくなった腹を抱えて裏路地の寝床へと戻るか。

 もう一つは、俺の店で娼婦を目指して働いてみるか。


 さして悩むでもなく、サマンサは頷いた。

 ひょっとしたら娼婦という仕事を完全に理解していなかったのかも知れない。

 ただ、彼女が熱っぽく自分の夢を語ったことは、昨日のことのように覚えている。


「そして――おまえの夢は叶ったんじゃないのかい?」


 そういうと、サマンサは何とも言えない表情になる。

 今の彼女は両手に宝石を嵌めた指輪を幾つも身に付け、胸元にはしこたまデカい紅玉石のペンダントをぶら下げていた。

 指輪はかつての常連客からのプレゼントだが、一際目立つペンダントは、身請けが成立した証に相手となる旦那から贈られたもの。


『娼婦となってお金を稼げば、そんな綺麗な宝石をたくさん身に付けられるようになる?』


 あの時、俺の懐中にあったのは、例の血涙石のペンダントだったことに何やら因縁を感じるが、それが彼女の夢だった。 


 

「そう……だね」


 紅玉石のペンダントを両手で包むようにしながらサマンサは頷く。

 表情も少しだけ微笑んでいるように見えた。

 彼女の身請け相手は壮年の宝石商だった。


「おまえが出自に引け目を感じる気持ちはわからんでもないが、相手の旦那はそれでも良いと言ってくれてるんだぜ? なのにおまえが勝手に卑下しちゃ、見初めてくれた旦那に失礼ってもんだ」


「………」


「今のおまえがあるのは、長年の辛抱と努力の賜物さ。こればっかりはどんな間違いもねえ。いやさ、誰にも間違いだなんて俺が絶対に言わせねえよ」


「……うん、ありがとう支配人さん」


「わかりゃあいい。さあ、さっさと化粧を直しな。そんで食堂へ行ってめいっぱい愛想を振り撒いて、たんまりとご祝儀を貰ってこい。ハレの日まではうちの店の従業員なんだから、働け働け」


 言いおいてサマンサの部屋を出た。

 廊下の角を曲がって、誰も見ていないことを確認してから深々と溜息を突く。

 こんな風にせっかく身請けが決まった娼婦が、神経質になってしまうことがままある。

 これも一種のマリッジ・ブルーってやつなのかな?

 そんな娼婦の話し相手をするのも俺の仕事なわけだが、これでなかなか神経を使う。


「ったく、肩が凝って仕方ないぜ」


 腕をグルグルと回して凝りをほぐしていると、またしても背後から声をかけられた。


「あ、いたいた店長さん」

「店長さん、ちょっといいですか?」


 二人の声に振り向けば、そこにいるのはマリィとメリィの双子の娼婦見習いだ。

 ガキの頃は、まるでエサを待ちかねる雛鳥みたいに四六時中ピーチクパーチクと小うるさい娘たちだったが、13歳の誕生日あたりから拍子抜けするほど大人しくなった。

 そんな二人は、ワンセットでアリンの専属としている。

 ますます見分けが付かなくなった顔が雁首を並べて来たということは、やはりアリンのことだろう。


「ついさっき、今日もルーファスさんがいらっしゃって……」


 マリィの口にしたルーファスは、アリンの身請け相手の名だ。

 身請けを予約された娼婦はもう客を取らないが、相手である旦那だけは例外となる。

 営業時間中であればいつでも訪れてもらって、部屋にしけこんで泊まろうがナニをしようが構いやしない。

 けれどメリィの表情からは、そういうことではなさそうだ。


「邪魔するぜ」


 アリンの部屋の扉を蹴り破る勢いで開け放てば、部屋主である娘はちょうど窓際の椅子の腰かけ、ケーキを手に大口を開けているところ。

 俺の登場に驚いたアリンだったが、目を丸くしたままケーキをパクリと一口。

 もぐもぐごくんと咀嚼して、ようやく小首をかしげてくる。


「どうしたんですか、支配人さん?」


「どうしたもこうしたもあるかよ、おめえ……」


 アリンの前のテーブルは、並べられたケーキやお菓子が文字通り小山のよう。


「またルーファスの旦那が持ってきてくだすったのかい?」


「ええ、そうなの! どれもこれも新作だって……!」


 喜色満面の笑顔で答えてくるアリン。

 彼女の身請け相手となるルーファスはこの街の菓子職人だ。

 俺の店を訪れるたびにアリンを指名してくれたのは知っていたが、自作のケーキを持ち込んでいたことまでは知らなかった。

 気づけば、身も心もどころか、胃袋までガッチリ掴まれてしまったアリンである。

 そんなルーファスが身請け話を持ってきたときに、彼は照れながら俺にこう言っていたっけ。

『僕の作ったケーキを、あれだけ美味しそうに食べてくれる人は彼女以外いないんです!』


 一方でアリンも、出自はいささか『食うこと』に無関係ではない。

 彼女の両親は街でそこそこ名の売れた料理屋を運営していた。

 借金して店を改装してより客を呼び込もうとしたのは間違った判断じゃなかったかも知れないが、不幸なことに新装開店の直後に両親は辻馬車に跳ねられて死亡。

 残ったのは真新しい店と多額の借金で、これをまだ少女だったアリンに何とかしろというのは無理な相談。

 助けてくれる知己も親戚もおらず、店も土地も奪われ、それでも残った借金のカタにも売り飛ばされたアリンは、流れ流れて俺の店に来たという次第だった。

 

 まあ、破れ鍋に綴じ蓋とは言わないが、中々に似合いの夫婦になりそうだと俺は見込んでいた。

 傍目にも、二人ともすこぶる相性が良さそうに見えるし。

 けれどよ―――。


「おめえ、そんなにバカバカ甘いモノ喰いまくって、ちゃんと体型は維持出来てるんだろうな?」


 軽く睨みつけると、アリンの手がピタリと止まる。

 葛藤の眼差しが、俺と手元のケーキを何度も往復した。

 渋々とケーキから手を放した姿に、俺は頷く。


「よし」


 アゴをしゃくると、心得たマリィとメリィが俺の背後から部屋へ入って来た。


「ああん!! それは全部あの人がわたしのためにぃい!!」


 妙に艶っぽい声を出すアリンに頓着せず、双子はテーブルの上の御菓子類を一斉に回収。

 両手に抱えて戻ってきた二人に俺は言う。


「そいつは食堂に持っていってみんなで食べな」


「はい」

「はい」


 頷くマリィとメリィは嬉しそう。

 そんな双子を見送ってから、俺は改めてアリンと向かい合う。


「……幸せそうな様子を周囲に見せつけろって支配人さんは言ってたクセに」


 正式に身請けされるハレの日まで、一ヵ月の期間を設けるのは、未だ年季の明けない同僚と娼婦見習いたちに、『あんたたちも早く身請けされるように、良い客を掴まえられるように頑張れ』とエールを送る意味合いもあった。


「あのなあ」


 俺はバリバリと頭を掻いて、


「だからって、幸せを独り占めしてどうすんだよ。少しは周りにおすそ分けしろや」


 恨めしそうな涙目で見てくる姿に、サマンサの時とは別の意味で溜息が出た。

 幸せ過ぎて、周囲のことが目に入らなくなる。こっちはこっちでマリッジ・ハイみたいなもんだな。

 おまえがトロけた砂糖菓子みたいな表情を浮かべてる姿なんざ、もうみんなしてお腹いっぱいだぜ―――なんてことは言わずに、俺はここでも多少言葉を選ばなくてはならない。


「待ちに待った大切なハレの日に、太り過ぎてドレスが着れないなんて洒落になんねえって話だ。無事嫁いで市井に戻ったら、その後は好きなだけ喰わせてもらえばいいじゃねえか」


「……うん。そうする、そうします」


「けれど、あんまり太るのも考えもんだぜ? いくら旦那の作る菓子が美味いからってバクバク喰って、おまえの見た目が変わり過ぎちゃ、千年の恋も冷めるかも知んねえぞ?」


「そんなことないもん! あの人はありのままの君が好きだっていってくれたもん!」


「はいはい、ご馳走さんご馳走さん」


 軽くいなしてアリンの部屋から退散した。

 


 年季明けを待つことなく身請けされるのは娼婦の誉れとなるが、そこで良い相手を掴まえられるかは別問題となる。娼婦にもある程度は妥協が必要で、必ずしも好きになった本命の旦那が身請けしてくれるとは限らない。


 その点、二人は実に良縁に恵まれたと言えるだろう。

 なにせ、宝石が好きなサマンサは宝石商へ。

 食べることが大好きで、引退したら両親みたいな料理屋を経営してみたいと言っていたアリンは、多少の職種は違えど菓子屋へと嫁ぐ。

 二人の相手も揃ってなかなか立派な男たちだ。


 転じて、二人の夢は叶ったんじゃないか?

 けれど、俺が出来ることはここまでだ。

 結ばれた二人は末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし―――なんてのは昔話の世界だけ。

 叶えた夢を通過点に、人生はまだまだ続く。

 

 娼館を出て市井に戻った二人を、俺が直接手助けすることはもうない。

 彼女たちも彼女たちで、自身で新たな人生を切り開いて生きて行かねばならない。


 と、不安に思わなくもなかったが、サマンサもアリンにも、そこいらへんはしっかりと仕込んでいる。

 どちらも、どこへ出しても恥ずかしくない自慢の娘だ。

 きっとこのまま幸せに生きて行ってくれるさ。


 胸に沸き起こる二つの感情がある。

 不幸な生い立ちの娘を、立派な市井の男へと嫁がせることが出来た達成感。

 そして、そんな手塩にかけた娘を手放すことなる寂寥感。


 じわりと目の前が滲む。

 やばいな。齢のせいか、最近涙腺が脆くなってきて仕方ねえや。


 ずびーっと鼻を噛んで涙も拭い、俺は改めて気合を入れ直す。


 さあ、ハレの日まで一ヵ月弱。

 万難を排して、娘たちに一世一代の晴れ舞台を整えてやるか!

 

 


 そして瞬く間に日は過ぎ去り、ハレの日を前日に控えた夜。








  




 ―――“悪魔”が俺の店に来た。

 


 










 









 

 













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