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娼館オズマ  作者: 烏なんこつ
第二部
37/40

娼館の親仁が思い出す話




「―――レセルヴァの花が食べたい」


「よし分かった。少し待っていてくれ」


 俺はソファーから立ちあがる。

 実の娘であるマリエに、それまで相手をしていろよ? と目線で命じ、颯爽と支配人室を出た。

 廊下には面白そうな表情を浮かべたサイベージが立っている。


「はてさてレセルヴァの花ってのは何なんですかね?」


 この野郎、聞き耳を立ててやがったのか。

 フン、と鼻息一つで無視し、三階にある支配人室から一気に階下の大食堂へ。


 広い食堂の中央にあるオープンキッチンでは、そこを一手に仕切るコック長、六腕巨人族(ヘカトンケイル)のゲンシュリオンが何やら仕込みを始めていた。

 六本の腕で調理具を器用に操る巨漢の前に立つ。


「すまねえ、ゲンシュリオン。ちょいと訊ねたいことがあるんだが」


「む? どうした支配人?」


 口元から鋭い牙が覗く凶悪な面相が振り返る。

 しかし、ピシッと糊のきいたコックコートを着用している彼の性格は、至って温厚だ。


「おめえさん、レセルヴァの花って聞いたことはあるかい?」


 俺の後を付いてきていたサイベージが盛大にズッコケていたが、無視する。


「レセルヴァの花……?」


 ゲンシュリオンは太い六本腕を組む。

 しばらく唸っていたが、結局静かに首を振った。


「いや。あいにくと聞いたことはないな」


「それじゃあ、似たような名前の花とかは?」


「それも知らん。そもそもオレは料理人であって花屋ではないぞ」


「マジかよ……」


 俺は天を仰ぐ。

 

「旦那、もしかして知りもしないのに安請け合いされたんですか!?」

 

 仰天顔で訊いてくるサイベージをジロリと睨みつける。


「知りもしないもへったくれもあるか。女房殿が所望するなら、なんとしてでも用立ててやるのが連れ合いのスジってもんだろうがよ」


「おっしゃることはご立派ですけど、どうするつもりなんですこれ」


「四の五の抜かしてんじゃねえ。おめえも文句垂れる前に知恵を貸しやがれ!」


「それって借りる方の態度じゃないでしょ……」


 ブツブツ言っているサイベージだったが、こっちも腕組みをして何やら宙を睨むことしばし。


「うーん、やっぱり思い返しても、そんな花は聞いたことはないですねえ」


「やっぱ使えねえな、おめえ」


「………それよか旦那。エルフさんって、何となく花を摘んで優雅に蜜を吸っているイメージがあるんですけれど」


 サイベージのいう事は、まあ、分からんでもない。

 森の果実を食み、花の蜜を吸うなんて優雅な真似、連中の秀麗な見た目にぴったりだからな。


「それを、ミトランシェさんは『食べたい』とおっしゃたんですよね?」


「ああ、間違いなくそう言ったぜ。だから俺ァ、真っ先にゲンシュリオンに訊ねたのさ」


「支配人。そもそも花弁というのは調理するものじゃあない。彩りとして料理の上に散らすことはあるがな。過食部は種子、つまりは果実の部分だ」


 真面目腐って言ってくるゲンシュリオンに、俺は頷く。


「そいつぁ分かってるつもりさ」


 アイツは『レセルヴァの実』とは言わなかった。となれば花そのものを食べたいって意味に違いない。

 元いた世界の日本では、食用菊や桜の花びらの塩漬けといったものがあった。

 だからこっちにも似たような食用の花があって、レセルヴァの花もその類だと見当をつけたのだが。

  

「どうしたの支配人さん?」


 そう声をかけてきたのは娼婦のサマンサとアリンだ。

 いや、なんでもねえよ。こっちはいいからおまえたちは営業開始に向けて支度をしな―――と言いかけて、思いとどまる。

 三人寄れば文殊の知恵というが、それでも埒が明かないこの状況。

 だったらもっと知恵を増やせばいい。


「なあ? おまえらも、客との寝物語とかでレセルヴァの花って聞いたことはないか?」


「レセルヴァの花……?」


 不思議そうに首を捻るサマンサは思い当たる節はない様子。

 

「あ、あたし他の子にも訊いてみるね!」


 アリンは二階の娼婦たちの部屋へ向かうため階段を駆け上がる。

 間もなくぞろぞろと娘たちが食堂へと集まってきた。

 口々に「レセルヴァの花って聞いたことある?」「どうして?」「なんか支配人さんがね」なんて話し始める。

 

「支配人さん。そもそもレセルヴァって何なの?」


 ついさっき怒った風に配人室を飛び出していったくせに、そんなことは微塵も感じさせず訊ねてくるクエスティン。


「そりゃおめえ、レセルヴァの花ってんだから花の名前に決まってんだろうよ」


「だから、それは咲いている場所なの? それとも花の形のことを現しているの?」


「そんな地名はちょいと聞いたことないですねえ」


 サイベージが飄々と答える。

 俺もベルファスト大陸の方々を巡ったほうだと思っているが、おそらくサイベージのほうが知見は広いはず。


「花の形を現しているといっても、これまたレセルヴァなんて言葉、地方の方言でも聞いたことはないですし……」


 集まってきた他の娘たちにも訊いてはみたが、誰も寝物語や街の噂話でも耳にしたことはないという。

 困ったな、八方ふさがりだ。

 どうしたもんかと首をひねっていれば、「それじゃ出かけてきます」とサイベージ。


「おいおい、どこに行こうってんだ?」


「エルチさんのところですよ」


 俺の店の娼婦だったエルチは、引退して市井の本屋へと嫁いだ。旦那は残念ながら亡くなったが、本屋自体は彼女が引き継いでいる。


「エルチさんなら何かご存じかも知れません」


「そいつは名案だな。頼むぜ」


 本屋はさほど遠くない場所にある。サイベージの足ならすぐに戻ってくるだろう。

 だからといって何もせずにヤツが戻ってくるのを待つのも芸がない。

 またぞろみんなしてうんうんと唸っていると、


「支配人さん。もしかしてレセルヴァって人の名前だったりするんじゃ?」


 手を挙げて訴えきたのはセルフィ。元は商家の娘だったせいか、強面の客にも物怖じしない若手娼婦である。


「ふむ。つまりはレセルヴァって人間が食べられる花をせっせと作っているわけか」


 何者だよ、レセルヴァさん。

 そもそもそんな食べられる花を作っているヤツがいれば、もっと盛大に話題になっているだろうし。


「食べられる花か? ワシは見たことがあるぞ?」


「!?」


 振り返れば筋骨逞しい短躯のドワーフが立っていた。


「おう、ボグボロ。おまえさんもいたのか」


 うちの給湯設備の管理をしてくれている彼は、地下の設備に籠っているのを専らとしているはずだが。


「上でそうガヤガヤされては、ロクに昼寝も出来んわ」


「おっとそいつぁ済まなかったな。……って、それよか知っているのか食べられる花のこと!?」


「おう、むしろワシが食ってやったぞ!」


 ガハハと豪快に笑い、手近の椅子を引き寄せてそれに腰を下ろすボグボロ。


「頼む。その話を詳しく聞かせてくれ!」


 俺が両手を合わせて拝むようにすると、


「支配人の頼みならば語って聞かせねばなるまいよ。しかしその前に、ちと喉が渇いたのう」


 立派な顎髭(あごひげ)をしごきながら意味ありげにニヤリと笑う。

 俺は給仕長のハーフリングであるメンメに軽く目配せ。

 溜息をつきつつ、それでもメンメはビールを満たしたジョッキを持ってきてくれた。


「おお、こいつはすまんな」


 受け取るや否や豪快に飲み干すボグボロ。自前の髭にさらにビールの泡髭を足して上機嫌で語りだす。


「ありゃ昔、ワシが仲間と大森林に潜った時の話じゃ」


 この大陸で、北のリングリア地方へ抜ける途上に大森林と呼ばれる広大な森林地帯が存在する。

 以前に、国の依頼で娼婦たちを連れて大聖皇国軍の駐屯地へ赴く時に通ったアレだ。

 

 一応、森を貫く街道は整備されていたが、ちょっと横道に逸れれば簡単に遭難してしまうほどの危険地帯。

 森の奥には強大な魔物がウヨウヨいるとされていて、迂回出来る海路も確立された今、好き好んで探索に出向くのは冒険者くらいである。

 なるほど、そんな未開地であれば、未だ知られていない動植物が存在するのかも知れない。


 期待に胸を膨らませる俺の前で、ボクボロは続きを話し始めた。


「そん時は、かなり奥の方まで進んでな。鬱蒼と茂った樹木のおかげで太陽が遮られ、昼間でも薄暗いところじゃった。

 ワシらドワーフは夜目が効くでさほど苦労にはならなかったが、先頭を進んでいたやつが不思議な場所を見つけての。

 暗くジメっとした森の中なのに、なぜか小奇麗でこじんまりとした光の注ぐ広場があってな。そこにはとても美しい紫色の花が一輪、ひっそりと咲いておったのさ」


 ゴクリ、と誰かが生唾を飲む音がした。

 テレビもラジオもないこの世界。街で暮らす人間にとって、こんな冒険譚を耳にするのは最高の娯楽だ。


「しかもその花は、今まで見たこともないほど大きな花での! 花弁は人が両腕を広げたくらい長くて、柱頭は支配人の顔の大きさほどはあったぞ」


「そいつは随分でかい花だなあ。で、アンタはさっそく齧りついたってのかい?」


 俺の合いの手に、ボクボロはニヤリと笑う。


「まあまあ話は最後まで聞くもんじゃ。

 ワシの仲間が、フラフラと魅入られたようにその花へと近づいて行く。まるで蝶が花に惹かれるようにな。

 ワシもやつのように近づこうとして―――じゃが、ワシは見逃さなかった」


「なにをだ?」


「花の根元に、なにやら動物の骨らしきものが散らばっていたのさ」


「!?」


「いきなり花弁がガバっと大きく広がって仲間を包むように覆いかぶさった。さらに地面から地下茎も飛び出して、仲間を絡めとろうとする。

 そこにワシは斧の一撃を喰らわせてやったんじゃい!」

 

 ボクボロの熱のこもった語りに喝采が起きた。

 気を良くしたドワーフは続ける。


「花の軸あたりに斧をぶち込むと、何やら緑色の汁が盛大に飛び散って花は動かなくなった。こいつは人喰い花か、危なかったと仲間同士顔を見合わせていると、ちょうど腹が減ってきてな。

 あいにくと食料も切れかかっていたので、ものは試しと花弁を削いで焼いて食ってみたのだが、これがたっぷりと脂がのっていて旨かったぞい」


 得意げに語り終えるボクボロに、ゲンシュリオンが憐れむような視線を向けて言った。


「そいつはローパーと呼ばれる魔物だ。植物じゃあない」


「なんと!? じゃあワシは、花でなく魔物を喰ったというのか!?」


「やつらは花に擬態して、不用意に覗き込んだ被害者を捕食する。柱頭に見えたのはやつらの顔だよ。花弁は筋肉に覆われた腕みたいなものだ。肉は焼けば食えるさ。わざわざ好き好んで喰うやつの話は初めてきいたが……」


 いかにも聞いて損したという風情でゲンシュリオンはキッチンの内へ戻ってしまう。


「……一応、花には違いないじゃろ?」


 しょんぼりと肩を落とすボクボロ。


「うーん、エルフってお肉を食べるんだっけ?」


 これはクエスティン。


「食うみたいだぜ。積極的には好まないらしいが」


「だったら違うんじゃない? あたしはミトさんがわざわざ魔物を食べてる姿なんて想像できないよ」


 人は見掛けによらないんだぜ? いわんやエルフともなれば―――と、自重自重。

 自分で自分の女房をサゲてどうするって話だ。

 

 ともあれクエスティンの意見も真っ当かな。

 あいつが豪快に肉にかぶりついている姿なんて俺も見たことがないし。


「しゃあねえなあ。ちょいと本人に訊いてくるわ」


 だったら最初から訊いておけ、ってのは無しだぜ。俺だって格好つけたいんだよ。

 

 どっこいしょと二階への階段に足をかける。

 馬鹿と煙はなんとやら、とはいうわけじゃあないが、支配人室を三階なんかに造らなければ良かった。年々階段を上がるのもしんどくなっている気がする今日この頃。

 軽く息を切らせながら三階に到着すれば、ちょうど支配人室からマリエが出てくるところ。

 俺に気づいてたちまち駆け寄ってくる。


「父さん、まだなの?」


 あからさまにイライラしている様子に、


「面目ねえ。そもそもレセルヴァの花ってのが良くわからなくてよ」


 宥めるようにそう答えると、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をするマリエ。


「冗談でしょ?」


「冗談でこんな情けないツラが出来るか」


「だって母さん、むかし父さんに作ってもらったっていってたよ?」









 結局、俺は食堂へとUターン。


 娘から伝えられた新しい情報。

 レセルヴァの花という料理を、俺が作ったって……?


「駄目だ。さっぱり思い出せねえ」


 頭をふりふり階段を降りていると、ちょうどサイベージが食堂の扉を開けて入ってくるところ。


「おう、どうだった?」


 さっそく訊ねれば、サイベージは首を振った。


「エルチさんもご存じないとのことでした。ただ……」


「ただ?」


「レセルヴァという響きは、ひょっとして古代エルフ語ではないのか、というお話でしたよ」


「古代エルフ語か」


 遥か昔にエルフたちが使っていた言葉らしい。

 長く生きたエルフたちの中でも口伝でしか残っておらず、巷を闊歩する若い(?)エルフや、ハーフエルフたちには知るものは殆どいないとか。


「となりゃあ、マリエのやつが知らないのは無理もないか」


 ハーフエルフとなる俺の娘は、まだ20と幾つだ。エルフたちにしてみれば、尻に殻がついたままのヒヨッコみたいなもんだろう。

 

「これ以上のことを調べるとしたら、首都にある帝立図書館にでも行くしかないんじゃないですか?」


「そうか。ご苦労だったな」


 俺たちのやり取りを眺めていたクエスティンが不思議そうに尋ねてくる。


「それで? その意味をミトさんに訊いてきたんでしょ?」


「いや、そいつはちょっとな……」


 言葉を濁す。

 どうにも『レセルヴァの花』という料理を俺は作ったことがあるらしい。

 そいつを、任せろ待ってろと啖呵を切って出てきたのに、忘れてましたすいません、って女房殿に合わせる顔があるか?


「なんで?」


 クエスティンを筆頭に、どうして? どうして? と口をそろえてさえずってくる娘たちに辟易していると、思わぬところから救いの手が伸びてきた。


「あ、旦那! 良いこと思い付きましたよ!」


「お!? なんだどうしたサイベージ!?」


 ここぞとばかりにその助け船に飛び乗る俺。

 野郎二人でガッチリと肩を組み、食堂の隅まで移動。


「ふう、助かったぜ」と礼を言う俺に対し、サイベージは本当に良いことを思い付いていたのには恐れ入る。


「旦那旦那! 古代エルフ語ってからには、昔から生きているエルフさんならご存じってことなんですよね?」


「おう。古代っていうからには、たぶんそうなんじゃないか?」


 しかし、訊ねようにも、ここらにそんな生粋のエルフなんて、うちの女房以外にいるか?

 

 するとサイベージは我が意を得たりとばかりにニヤリと笑う。


「ちょうど今、うちにもう一人エルフさんがいらっしゃるじゃないですか!」


「……ああッ!!」


 


 






 俺の店の建物は、中庭を囲むように正方形に建っている。

 入口があり、大通りに面する正面の棟は、風呂や大食堂が設えられている。

 正面の棟から奥に伸びる左右の棟はそれぞれ娼婦たちが客を迎える部屋であり、同時に彼女たちの個室となる。

 この三つの棟が繋がってコの字型になっているわけだが、コの字の口を塞ぐように独立して建つ別棟も敷地内に存在した。

 棟伝いで行くこの別棟は、本館に比べれば簡素かつ実用的な建築で、下働きの娘たちの寝床や物置として使っている。

 そしてそこの一室に、遠く北の大陸から亡命してきた、魔族にしてサキュバスのイーヴ姫の一行も匿っていた。


 サイベージを伴ってやってきた俺を出迎えてくれたのは、ダークエルフのロロスロウ。通称ロロ。

 イーヴ姫の第一従者を自認する彼女は、俺たちが訪れるまで机に向き合っていたようだ。紙の束や羽ペンを見るに、詩や日記や備忘録を書いて部屋籠もりの無聊を慰めているらしい。 

 ロロは持っていたペンを置くと、俺の話に耳を傾けてくれた。


「なるほど、お手前の事情は理解させてもらった」


 サイベージの思い付きは、ダークエルフと言えどエルフには違いない、ひょっとしたら彼女は古代エルフ語を知っているんじゃないか? と言う事だ。


 一縷の望みを託してやってきた俺たちに、ロロは豊かな胸の前で腕を組む。

 エルフってのは別嬪揃いで、華奢でともあれば儚そうな印象すら受ける種族なのたが、このダークエルフは違う。非常に肉付きの良い身体は、まさにボンキュッボン! である。もっとも、全てのダークエルフが彼女みたいなムチムチ体型かどうかなんて知らんぜ?


「古代エルフ語は、名の現す通り遥か昔のエルフの公用語だったようだ。今や、長い時を生きてきた原初に近いエルフたちの記憶にしか残っていないと聞く」


 ロロは切れ長の瞳で俺たちを見ている。

 それから彼女は、蠱惑的な唇を尖らせると、声音を変えた。


「その古代エルフ語について尋ねるということは、お手前は、私を大昔から生きる年増エルフと見込んだということでよろしいかな?」


「……え?」


「こう見えても美容には気を使っているつもりなのだが、悲しいなあ……」  


「いや、そいつは、その……!」


 しどろもどろになる俺。

 そういやロロの実年齢は聞いたことがない。

 だからって、エルフも只人の女みたいに実年齢は気にするとは想定外だ。


「い、いやな、これはこのサイベージの思い付きでな……!?」


「ちょお!? 旦那、それは酷いですよ!」


 野郎同士で責任をなすりあっていると、プッとロロは噴き出す。


「いや、すまない、ちょっと拗ねてみただけだ」


 憮然とする俺たちの前で、ロロは再び腕組みをする。


「ともかく、私もそのような言葉は聞いたことがない」


「そうか、これでいよいよ手詰まりってやつだな……」


「しかし、姫さまならご存じかも知れない。姫さまは、古代語の蒐集を趣味になさっていたからな」


「本当かよそれ!?」


 切れたと思った糸が繋がったその瞬間。


「だー」


 という声に振り向けば、そこには小さなベッドに横たわる姫さまの姿が。

 今、サキュバスであるイーヴ姫は、男の精気の過剰摂取で赤ん坊へ若返っている。

 ……そんな彼女から訊きだせと?


「実のところ、姫さまは肉体的に若返りはしたが、精神はそのままであらせられるかも知れないぞ?」


「すると何か? 身体は赤ん坊でも、中身は15歳のまんまって可能性があるってことか?」


「私も過去に類を見ない事象だ。あるいは」


 ベビーベッドを見る。

 俺たちが来るまで眠っていた姫さまだが、今は目を覚ましている。

 丸い大きな目を見開いて、なにが嬉しいのかさっきからキャッキャと手足を動かしっぱなしだ。


「すまねぇ姫さま。もし聞こえていたら、古代エルフ語について教えてくれないか?」

 

 キャッキャッキャ。

 具体的な返答はなかった。


「ああ、いかんいかんオズマ殿!」


 ロロに注意される。


「今の姫さまは赤子だぞ? 赤子には相応しい声のかけ方があるだろう?」


「と言われてもなあ……」


 そんな真似をするのは、はっきりいって小ッ恥ずかしい。

 しかし、意を決して、ベッドに寝転がる姫さまの隣に立ち、耳元で声を張る。


「い、イーヴちゃ~ん? むかしのエルフのことばを知っていたらおじちゃんに教えてくれるかな~?」


 ぶふおっ! と何か凄い音がした。

 振り向けば、ロロが腹を抱えるようにして蹲っている。

 どうした具合でも悪いのか? と声をかけそうになって、その細い肩が小刻みに震えているのが分かった。

 ダークエルフは笑っているのだ。


 憮然とする俺の横で、こちらも痩身を折りたたむようにして爆笑しているサイベージがいる。


「ヒヒ、だ、旦那、す、素敵すぎですよ、ヒヒヒヒ……!!」


「うるせえ笑ってんじゃねえ!」


 怒鳴りはしたものの、きっと俺の顔は真っ赤だ。

 つーか、だったら他にどういう風に声をかけりゃいいってんだよ?


「いやあ、オズマ殿。堪能させて頂いた」


 さんざか笑い倒してからロロが居住まいをただす。目尻の涙を拭う様すら色っぽかったが、俺は苦虫を嚙み潰すしかない。


「もしかしなくても、俺をからかったんだな?」


「そう凄まないでくれ。私はオズマ殿の新たな一面を見れて嬉しいのだ」


「あいにくと嬲られて喜ぶ趣味はねえんだよ」


 睨みつけるとロロは謝罪するように両手を上げた。袖のない短衣から胸がこぼれそうになる。


「本当に済まなかった。この通りだ。その侘びというわけではないが、レセルヴァという言葉の意味について教えよう」


「!?」


 てめえ最初から知ってやがったのか!? 

 そう怒鳴りつけたい衝動を抑え込み、耳を傾ける。


「古代エルフ語で『レセル』は【不毛】や【死に絶える】ということを意味する。

『レセルヴァ』となれば、【不毛な土地】もしくは【死の大地】という意味になるかな」

 









「となると、レセルヴァの花というのは、『不毛の大地に咲く花』という意味になりますね。

 ですが、本来、花も咲かない場所であるから不毛なのでは?」


 喋りつづけるサイベージを横に思考に沈む。

 食堂のある本棟に戻れば、なお娘たちが姦しく俺たちの帰りを待ちわびていた。 

 

「どうなったの!?」


 真っ先に訊ねてくるクエスティン。

 俺が黙っていると、サイベージが替わりに説明してくれる。


「不毛の大地に咲く花? それってなぞなぞ?」


 揃って困惑する娘たち。

 それでも互いに色々と意見を言い合っていたが、やがて疲れたのか各々で茶を飲んだりソファーでだらけ出した。


「……旦那?」

 

 サイベージの声で我に返る。


「やっぱり心当たりはないんですか?」


「いや……」


 俺はバリバリと頭を掻いて、


「むしろ心当たりがあり過ぎるんだよ。

 アイツと行った場所を上げれば、南方に広がる砂漠とか、前人未到の大渓谷にカタコンペと、不毛な場所には事欠かねえんだ」


「……その頃からミトさんと仲が良かったってこと?」


 なぜか不機嫌そうな声を出すクエスティン。


「どうだろうな。出会った当初、特に第一印象なんか最悪だったと思うぜ?

 なにせ、アイツが水浴びしているところに、俺が乱入しちまった格好だからな」


 軽く呟いたつもりだったのに、俺の前に娘たちが雁首を並べ始めた。

 みんなして目をキラキラさせている姿に気圧されてしまう。


「それで!? 支配人さんはどうしたの!? 抱いたの!?」


 訊ねてくるのはクセッ毛娼婦のマニ。新人の頃の初々しさはだいぶなりを潜め、(こな)れてきたというよりはただのゴシップ好きだな。


「出会いがしらに抱く馬鹿がいるか。裸を見ちまって申し訳ない、と誠心誠意謝罪したさ」


「へえ? あたしはそこでムラムラきた旦那がミトランシェさんを押し倒したとばっかり」


 しれっとサイベージが言うと、集まった娼婦たちが一斉に頷く。


「……おめえら、俺はいったいなんだと思ってるんだ?」


「女たらし」


 間髪入れずのクエステインの返事に、またしても皆が一斉に頷く。


「………」


 そりゃあ女衒じみた真似をしている自覚はあるが、そんな身も蓋もない言い方はせんでも。

 店主としての威厳もへったくれもねえじゃねえかよ。


 不覚にも軽く凹んでしまう俺に対し、またしてもマニが手を挙げて言った。


「結局、支配人さんはミトランシェさんをコマしたの?」


 言い方を変えりゃいいってもんじゃねえよ。


「ともあれ、裸を見られたアイツは偉くご立腹でな。俺はその代償に手伝いをさせられる羽目になったのさ」


「そいつはちょいと端折り過ぎじゃないですか?」


 即座に文句を言ってくるサイベージを睨みつける。


「実際そうだったんだから仕方ねえだろ?」


 水浴びを終え川から上がると、ゆっくりと身体を拭い、服を着るミトランシェ。

 身繕いを終えて立ち去るのかと思いきや、目にも止まらぬ速さで細剣を喉元に突き付けられた。

 冷たい表情のまま、静かに彼女は激怒していた。

 

 平身低頭で謝る俺に対し、初対面のエルフの小娘はとことん容赦がなかった。

 遠慮なく剣先で突き回されて、半ば拷問じみたやり取りをされた挙句、俺はてめえの身の上を洗いざらい喋らせられた。元々がこの世界で生まれた人間ではなく、別の世界からやってきたことも含めて全部だ。

(ちなみに、俺が異世界人であることは娼館の連中には一切伝えていない。触れただけで相手の命を奪う手の力も含めてな)

  

「その手伝いの内容ってのもイカれてたぜ。よりにもよってドラゴン退治とはよ……」


 ドラゴン!? と、みんなの目の色が変わった。

 この世界のドラゴンは、ある意味もっともメジャーな怪物である。

 本の題材やお伽噺、吟遊詩人の歌に唄われるくらい、その存在は巷間に膾炙している。

 同時に、実際に暴れ回られれば、国が軍隊を動かして対処するくらいの生物災害であることも浸透していた。

 

「ミトランシェさんはドラゴンスレイヤーだったんですね!? なるほど、だからお強いわけだ!」


 しきりに頷くサイベージに、俺も同意せざるを得ない。


「ああ。ありゃあ色々と凄まじかったぜ。炎を吐きまくるドラゴンもおっかなかったが、ミトランシェのやつもとんでもない威力の精霊魔法を縦横無尽にぶっ放してよ」


 俺の脳裏にその時の光景が浮かぶ。

 あの場で、絶対にコイツとだけは喧嘩しまい、と心に誓ったっけ。


「……なんだよ?」


 気づけばサイベージや娘たちの距離が近い。


「その話、もっと詳しくッ!」


 みんなして食いつき方が半端ねえ。

 それも無理はないか。こっちの世界じゃ実際にドラゴンを退治した話を事細かく聞ける機会なんて、ハリウッド映画の超大作を鑑賞することに等しいからな。


 でもなあ。

 ドラゴンのブレスとアイツの精霊魔法が飛び交う場はさながら怪獣大決戦で。そんでも、トドメを刺したのは俺の力で……。


「………ッ!!」


「だ、旦那、どうしたんです?」


 無言でキッチンへ駈け込む俺のあとをサイベージがついてくる。


「ゲンシュリオンッ! あれはどこだ!? あれは!?」


「あれ? ……ああ、それなら、まだ十分に残っているが」


「悪い、少しもらうぜッ!」


 フライパンを引っ張り出して火にかける。

 

 なんだなんだ? と遅れてやってきた娼婦たちも注目する中、俺はそいつをフライパンへと放り込んだ。


「これが……?」


 目を見張るみんなの前で、強く俺は頷く。


「おかげで思い出したぜ。ドラゴン退治をしたあとは、それこそぺんぺん草一本も生えない“不毛の土地”だったことをな」

 

 その場で、確かに俺は料理を振舞っていた。

 ミトランシェが口にしたレセルヴァの花ってのは、つまりはそいつのことだろう。


「よし!」


 出来上がった料理を皿に盛り、俺は一気に支配人室を目指す。

 後ろでみんなして怪訝そうな顔をしていたけれど知るもんか。



 








「待たせたな!」


 支配人室のドアを蹴り破る勢いで飛び込む。

 ソファーに座っていたマリエはビクっと背中を震わせたが、対面席のミトランシェは全く動じることなく俺の登場を受け入れた。


「ほら、ご所望の物だ」


 女房殿の前に皿を置く。


「……これが、レセルヴァの花?」 マリエが皿を覗き込んで目を丸くした。


「これって単なる目玉焼きじゃない!」


「ああ、そうだぜ。ちょうど真ん中の黄身が花芯で、白身の部分が花弁に見えるだろ?」


 ドラゴンがデカい舌を突きだして事切れているのを確認したあと。

 腹が減ったもう動けない、とへたりこむミトランシェに俺は周囲を探す。

 さっきもいったが、ドラゴンのブレスと、対抗したミトランシェの精霊魔法で、あたり一面焼け野原。

 そんな中に、食べられるものなんてあるわけないだろと思ったら―――見つけた。

 なぜか無傷のドラゴンの巣の中にでっかい卵が一つ。


 調理道具も残らず吹き飛んでいたから、俺は近く転がる岩からなるべく平らなやつを選ぶ。

 まだブレスの余熱で燻っているそれで、どうにか卵を割って目玉焼きを焼くことが出来た。

 もちろん丸いフライパンで作ったわけじゃないから、綺麗な円形に焼き上がるわけもない。

 白身の縁なんか凸凹で少し焦げていたが、だからこそ出来上がりは花の形に見えたのかも知れないな。


 小さな頬を緩ませるミトランシェに、俺は彼女の希望に沿えたことを確信した。

 白魚のような細い指が目玉焼きを抓み上げる。

 そのまま口に咥えてはむはむと食べる姿に語りかけた。


「昔に比べて小さい花になっちまったのはご愛敬な。さすがに今直ぐドラゴンの卵を手に入れるのは無理だ」


 鶏卵を使った、何の変哲もない目玉焼きだ。

 女房殿は「了解した」という風に軽く頭を振ると、それから唇の端の黄身をペロリと嘗めている。


 その仕草も、浮かべる表情もなんとも蠱惑的なもので、同時に既視感に襲われる俺。


「お、おい!?」


 いきなり首っ玉に抱き着かれた。

 頬を赤くした小さな顔がすぐ目前にあり、細い手が襯衣(シャツ)のボタンをむしり取るように外す。

 続いて唇が塞がれた。舌先に感じる黄身の味。


「ぷはっ! ちょっと待て! まだ日が高けえんだぞ!?」


 どうにか顔面を引きはがすも、ミトランシェの細腕は俺の胸元をガッチリと掴んだまま。

 片方の手は胸板をまさぐり、もう片方の手は器用に衣類をむしり取っていく。

 思わず視線を巡らせれば、驚いた表情をしたマリエがこちらを見ていた。


「た、助けてくれ……」


 俺の求めに、愛しい娘はソファーから立ち上がるとクルリと背を向けた。

 ツカツカと支配人室の入り口まで歩くと、


「ごゆっくり……」


 無慈悲にドアは閉ざされる。

 一気に脱力した俺は、ミトランシェに投げられるようにソファーに転がった。

 天井を見上げたまま、女房殿が雨霰と振らせてくる愛撫を浴び続ける。


 ―――そうだ。ドラゴンを斃したあの時もそうだった。

 巨大目玉焼きで腹を満たしたコイツに、半ば無理やり押し倒されたんだ。


 娼婦たちから「女たらし」と揶揄された俺だが、決して少なくない女遍歴の中で、完膚無きまで太刀打ちできなかったのは実はこの女房殿なのである。

 あまりにショックすぎて、ついさっきまで記憶の底に沈めていた。なるほど、なかなかレセルヴァの花を思い出せなかったことにも合点が行く。

 

 加えて、このときに出来たのが、さっき俺を見捨てて出ていった娘のマリエである。

 俺としては、エルフの一夫一妻制でガチガチの結婚観なんて微塵も知らなかったのだが、これできっちりとカタに嵌められた次第だった。

 まあ、今回は既に腹に子供がいるから、またぞろ孕む心配はないんだろうけどな、ははは……。


 ズボンをむしり取られる感触。

 素肌と違う温度に包まれながら、俺は全身を満たしていく快楽に身を任せた。


 










 ―――エルフも、人によってはすこぶる肉食。




 

  

  

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